生い立ち

幼少期~中学生 手のつけられない腕白小僧

野球ばかりしていた少年時代
野球ばかりしていた少年時代
私は、北千住という下町で3人兄弟の末っ子として生まれました。母からは「学校の先生になりなさい」と小さい時から言われていて、裕福な家庭だったものですから家庭教師も付けられました。ですが、いつもすっぽかして野球ばかりしていました。

中学生の時にも、遠くの有名な学校に行くことになって、通うのが大変だからと私に運転手が付いたんですね。運転手さんは僕の下校時までずっと待っていてくれたのですが、それをいつもすっぽかして友達と遊んだり、野球やってたり・・・。親には「運転手さんはどうするんだ!」と叱られました。

その頃は本当に何も考えず、好きなことばかりしていましたね。ただ、そういう中でも新しいことが好きで、新しい野球チームを作ったりしました。

高校生~社会人 父の会社が倒産

高校2年生の時、父の会社が倒産しました。夜逃げ寸前までいきましたが、そんな中でも母親は大学進学を勧めてくれました。しかし、進学にはお金がかかりますし、当時は大学に行く意味も見いだせなかったため、私は就職することにしました。そこで、好きだったカメラの道を選んだんですね。「手っ取り早く儲かるんじゃやないか」と思ったし、ちょっとカッコいいじゃないですか。それで、得意だったスキーを活かせる雪山カメラマンになりました。いいロケーションを探すために自分で滑って降りてきて。滑れないカメラマンはたくさんいたので、重宝されましたね。初めて海外に行ったのがヨーロッパでした。

社会人 カメラマンから営業

趣味のカメラを仕事に
趣味のカメラを仕事に
スキーとカメラマンを両立し、海外で滑っては撮って、雑誌社に売るという仕事をしていました。好きなことで稼ぐ、最高に楽しかったですね。

しかし、ある日突然、社長から「営業になるか、会社をやめるかどちらか選べ」と言われてしまいました。自分ではいい線いってると思っていたんですが、「趣味でやっている分にはいいが、売れる写真ではない」と。その時は頭にきて辞めようかなとも思ったのですが、実際に営業をやってみると意外と性に合っていました。

ビジネスポリシー

営業は根性

営業マンは根性が大事
営業マンは根性
営業になりたての頃は私も全く仕事を取ることが出来ませんでした。周りの先輩達は、朝、喫茶店でお茶してるんですね。そこからパーッと散って行くんですね。それほど苦労せずに仕事を取ってるように見えた。なぜ同じようにして私は仕事を取れないんだろうと悩みました。

そこで、私は周りと同じようにしてはダメなんだと気づきました。そこからは逆に周りを反面教師にして、営業としてのコミュニケーション法などを自分で模索しながら必死に営業をするようになりました。一つ契約が取れた頃から、これだと思う営業スタイルを掴むことができましたね。

今は少し違うかもしれませんが、昔の営業はやはり根性がなきゃダメじゃないですか。諦めたりしたら。そういう意味では、毎週通う。そこで断られてもまた通う。これは当たり前でしょうね。一番大事だと思います。そして、商売してお金を貰うってことは、第一にお客様の売上げが上がっていかなきゃいけない。お客様の売上を上げるのが一番なんです。売り込んだ後、長いことお客様との関係を作っていくことが大事ですね。

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