生い立ち

「三丁目の夕日」時代の少年

「三丁目の夕日」時代の少年

昭和34年北海道で生まれ、生後6ヵ月後には転居し、その後は東京育ち。
当時の日本は、戦後14年を経て復興はしつつもまだまだ貧しい状況にあり、それでも「頑張れば、あしたはきっともっとよくなる」と未来に対する希望を糧に、庶民は強く明るく生きていた。そういう時代に、勤勉な両親の背中を見て育った。
小学校時代は身体が小さかったため、運動会などスポーツではスターにはなれなかったが、心の奥底にはいつも「いつかはやってやる!」との強い想いを秘めていた。
中学生になると、小学校とは学区の異なる中学へ入学したため、ゼロからの友達作りに苦労した。ある日、先生から「お前の唇は金管楽器向きだ」とスカウトされたことがきっかけで、吹奏楽部へ入部。吹奏楽の世界では名門の田柄中学で、練習に打ち込む毎日を送っていた。その御蔭か(?)学業成績はふるわず、クラスで隣の席だった薬屋の息子にまでテストの点数を馬鹿にされる始末。そこで、持ち前の負けん気で奮起して、中学2年からは部活もしっかりこなした上、帰宅後の毎日夜7時から12時までの5時間を復習と予習に励んだ。その結果、中間テストはいきなり学年でトップ10に、さらにその後はずっと学年トップをキープし続けた。
高校は超進学校の都立富士高校へ入学。今度は、音楽から一転、当時の高校では珍しかったアメフトに青春をかけた。

元祖学生起業家・1億円を稼ぐ

立教大学に進むと、英語のクラスで、たまたま出席簿順が早いためにバスツアーの幹事に指名された。普通の人なら嫌々引き受けるクラス旅行の幹事を「どうせやるならとことんやろう、みんなが楽しめる企画にしよう」という気持ちで取り組み、自らバス会社・宿泊施設などと積極的な交渉を行った。
その中で、最高の条件を提示してくる会社を探しているうちに、各社の価格設定のあまりに大きなバラつきを知り、旅行に付随する価格はあってなきに等しいことに気がついた。そこで、自分が中心になって安い旅行企画を立て、周囲の学生たちに販売すれば、みんなも喜び、自分も儲かると考えた。大企業の大人たちが考えつかないような自分らしい企画やマーケティングを実施し、ついに4年間で60億円を売り上げ、1億円を手にすることになった。
何事にも徹底的に取り組み、どうしたら人を楽しませることができるのかを考え抜く姿勢が、クラスの学生バスツアーを立派なビジネスにまで成長させ、またその後の人生にも大き影響を及ぼすことになった。

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