生い立ち

自立を促したオープンでフランクな家庭環境

昭和17年京都の山科で生まれ、幼いときに転居して埼玉の浦和育ち。
国鉄勤務の父は関門トンネルの掘削に携わる技術者で家を空けることも多く、母は小学校3年生の時に心臓病で亡くしている。自身は6人兄弟の3番目だが、歳の離れた長兄は小学生の時に肺炎で亡くなっている。
本来なら母と長男を失った不幸に家庭は沈んでしまうところだが、京都の雅、遊びの気質が流れる家庭で、幼いときから家族でトランプ・将棋・碁・花札などを楽しんだ。
しかも、トランプならポーカー、ツーテンジャック、花札なら八八など本格的なルールで大人と一緒になり、どうやったら勝てるのか(勝つための技術や勝ち方)を本気で考えるくせが自然とついた。
子供のころから何をするにも賭け事をする環境で育ったことは、一般家庭に比べると少しは特殊だが、実はこの時のゲームに勝ちたい強い思いと、ではどうしたら勝てるのかと常に考えるくせが、自立を促したといえる。
相手に勝つ戦略を考えるということは、まさに相手の裏を読むということである。読むためには、ファクト(事実)からファインディング(なぜそうなっているのか)を見出す必要があるのだが、これには感性が重要である。この感性は「気づく力」であり、芸術や自然に触れたり、少し難しい本を読んだり、なにごとにも好奇心を持ったりすることで磨かれる。頭を使って自分で解を出すこと(クリエイティビティ)には、まさにこの感性が重要であり、感度を高めるには“自由”が保障されていることが大事である。
日常から賭け事を楽しむ自由な環境で、自分の頭を使って、大人や強い相手に勝つ戦略を考えるくせは、思考の自立を促した大きな要因になった。

和の美学と洋楽の融合で“遊び”に情熱を注いだ学生時代

埼玉大地理学研究会の仲間と登山
埼玉大地理学研究会の仲間と登山

洋楽と野球(それも大リーグ)好きだった兄の影響もあり、幼い頃から興味を持つようになった。中学時代には初めて見たアメリカのプレスリーの音楽映像に大きな衝撃を受けたことを今でも鮮明に覚えている。また、高校時代にはイギリスのビートルズが鮮烈デビューし瞬く間に一世を風靡、ともに青春を謳歌した。
こうして学生時代を振り返ってみると、生まれた京都の雅、和の美学“遊び”の気質と、多くの国から多様な音楽が入ってくる既にグローバルな文化が融合した中で育った。現在の基盤となる独自の感性はこの時代に培われてのではないかと思う。また当時はFM横浜のヒットパレードを聞きながら、将来はディスクジョッキーか、レコード会社のディレクターになりたいと考えていた。
大学は浦和の自宅から通えるという理由で埼玉大学へ入学。地理を専攻したが、安保闘争で授業が休講になることが多かったため、友達と麻雀をしたり、文化と遊びに情熱を注いだ学生時代だった。
ただし、学業は高校までは“学習”だが、大学は“学問” (知識を創り出す)するところだと強く自己認識していた。そのため大学に入ってからは、フィールドワークを通して新しい地理上の事実認識や発見、そもそも地理学とは何か、といった根本的なテーマに自問自答し、その答えを導き出そうと真剣に取り組んだ。

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