生い立ち

幼少期 ~貧乏が「お金を稼ぐこと」に対する原体験

6畳一間の貧乏生活
6畳一間の貧乏生活

生まれたのは茨城県守谷市ですが、私が3歳の頃、父が営んでいた不動産会社を潰してしまったために、その後は大宮、川崎など何度か引越しを繰り返しました。
物心もついた頃には、6畳一間のトイレもお風呂もない家に住み、貧乏だった記憶が残っています。幼心に見た、母が台所の流し台の洗面器に水をためて身体を拭いている姿は、今でも鮮明に目に焼きついています。私も夏場になると、何とか学校の帰りに友達の家のお風呂に入れてもらえるための口実を考えていました。
私は今37歳ですが、既に日本全体が豊かになっている中、同年代でこれほど貧しい生活を経験した人は少ないと思います。「貧乏」が私にとっての原体験であり、お金を稼ぎたいという強い想いが私の人生とビジネスにおけるパワーの源泉となりました。

小学生時代 ~母が一家の生活を支える

交通事故に遭い、生死の間をさまよう
交通事故に遭い、生死の間をさまよう

8歳の時に交通事故に遭い、生死の間をさまよって3ヶ月入院しました。その時の怪我で、今も私の左足の指は動きません。
ぶつかった車を運転していた相手から何とかお金を引き出そうとしている父を見て、改めて自分の家が貧乏であることと、自分でお金を稼ぐ必要性を感じました。
事業に失敗してからまともに働かない父に代わり、母がパートに出ていました。そのお金さえも、父はパチンコで使い果たしてしまうような生活をしていました。次第に疲弊していった父は、今の世の中や他人の批判ばかりをするようになっていきました。
しかし、三つ子の魂百までとは良く言ったもので、それでも私は父母の愛情を持って育てられたと思います。小学生の頃は、明るく社交的で協調性のある真面目な子供でした。成績も良い方でした。

中学校時代 ~母の死をきっかけに自分と父の生活が荒んでいく

母の死がきっかけで、生活環境が一変する

中学に上がると部活に入って身体も鍛え、外見にも自信が持てるようになってきました。勉強もそこそこ出来る方で、特に文系教科の国語と社会は学年1番の成績をとったこともあります。
ところが、中学2年生のときに母が胃ガンで亡くなりました。家計を支えるために働き、なかなか医者にも行こうとしなかった母は既に手遅れになっており、入院からわずか1ヵ月半のことでした。借金取りが家に来るようになると、父は、家に帰らなくなりました。
そこから私の生活は荒れていくのです。私も家に帰らなくなり、地元の不良チームに入ってかなりやんちゃをしていました。
思春期の多感な時期に母を亡くし、堕ちた生活をしている父を見ながら、当時の私は世の中に対する訳もない不平不満を持ち、やりきれない思いを抱えて、常に何かに苛立っていたと思います。

高校時代 ~仲間の大切さを学んだ不良チームから抜けた訳

中学までの明るく真面目な私は鳴りを潜め、堕落した父と同様、高校時代は最も荒れた時代でした。

仲間の大切さ・組織マネジメントの初歩を学ぶ
仲間の大切さ・組織マネジメントの初歩を学ぶ

私が入ったチームは、もともと地元のやんちゃ遊びグループだったものが、次第に大きな組織になっていきました。
仲間とビジョンを語ることで将来像を共有し、当時ファッション誌に掲載されたり、テレビの取材を受けたりしたことが、結果としてメンバー集客のマーケティングになっていたのかもしれません。組織の中で幹部に押し上げられる格好となり、気がつくと私は不良チームでNo.2の地位になっていました。
不良チームの話ですから必ずしも褒められることではありませんが、「武闘派」であれ「ビジネス派」であれ、どちらも仲間を信じ、組織を束ねる力が求められます。仲間を大事にすること、仲間が困っていたら必ず助けに行くことは私の信条でした。

喧嘩や抗争に明け暮れながら、自分の家庭環境のフラストレーションの捌け口として、ただ気の合う仲間と楽しく過ごすことが楽しく生きがいでもある日々でした。
一方、組織が大きくなっていく中で、本当は自分はこんなことがしたくて不良になった訳ではないという思いが常に頭の中にありました。幹部としてチームを束ねながら、いつもどこかに弱い心・醒めた目を持っていたと思います。
10代の有り余るエネルギーと行き場のないフラストレーションが、仲間と語る美化されたビジョンという夢の力を借りて、大きくなり過ぎた組織が暴走し始めました。
ある夜、後輩が敵対する暴走族に襲われ、亡くなりました。もともと刺激を求めてチームに入った人間が多いため、仲間が死んだという極限の非日常に妙に高揚しているメンバーもいました。

大学受験のため猛勉強に励む
大学受験のため猛勉強に励む

しかし私はそこで「俺は、いったい何をやっているのだろう?」とすっと醒めたのです。
17歳の冬、後輩の死をきっかけに私は不良チームを抜け、大学に行くために遅まきながら猛烈に勉強しました。仲間からは「あいつは俺たちを裏切った」とそしられ、しばらくは地元の友人と断絶していた時期もあります。
猛勉強の末、何とか大学に補欠合格したものの、学費のことを考えていませんでした。大学から送られてきた入学案内を見ると、到底、私の家の経済状況で払える額ではありません。

専門学校 ~半年で宅建を取り、父と同じ不動産の世界に

そこで、経済的にも時間的にも大学進学よりビジネスの道、父の仕事でもあった不動産業界の道を選ぶことにしました。あれほど堕落した姿を見せられ、文字通り流血するほど衝突した父でも、父に連れられて歩いた不動産ビジネスのダイナミズムに私も惹かれていたのです。
不動産業界で生きていくためには、何はともあれ宅地建物取引主任者(宅建)の資格が必要と考え、奨学金の試験を受け、専門学校に通いました。がむしゃらに勉強し、専門学校に入学した年の10月には宅建に合格しました。宅建さえ取れてしまえば、専門学校に用はありません。
就職情報誌で見た、一番報酬の良い不動産販売会社の面接を受け、1社目で合格した会社に就職しました。

就職・起業・上場・破綻 ~自分の力で稼ぐことの絶頂からどん底まで

わずか3年で営業成績トップへ

入社後、当時の面接担当者から何度も「杉本は面接のときからお金のことばかり聞いていた」と笑い話にされるくらい、自力でお金を稼げるようになった私は夢中で働き、3年目から営業成績はトップになりました。
ここから私のビジネス人生が始まります。
起業を決意するきっかけ、エスグラント社を立ち上げたころの苦労、急成長から上場の絶頂から破綻までの地獄と奈落の底、再起するまでの苦悩と周囲の支援などについては、是非、この本を手にとってみて欲しいと思います。

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