生い立ち

幼少期・小学校時代 ~言葉の壁で苦労した海外生活から得たこと

人生とビジネスの困難を克服するための原体験となった海外生活
人生とビジネスの困難を克服するための
原体験となった海外生活
父が商社マンだった関係で、3歳の時にアメリカのボストンに渡りました。英語が出来ないせいで苦労した思い出は少なくありません。
子どもにとって、目の前の状況や原因を客観的に理解するのは難しいものです。イースターの時のチョコエッグが自分の机の中にだけ入っていなかった時、差別されているのか、それとも自分に何か原因があるのか、単に先生が入れ忘れただけなのかと悶々としました。このように自分と相手の両方の気持ちを思い悩む性格が、今でも繊細な面に残っているところがあるかもしれませんね。
自分自身の辛さもそうですが、弟がいじめられていた時に兄として助けてあげられなかったことは今でも悔しく思っています。母には心配をかけたくないために知らせず、幼かった弟もそれほど傷ついていなかったのかもしれませんが、家族の中で当時の話が出る度に、今でも苦い思いになります。
幼な心に過酷な状況をどのように克服していくか、このような状況の中で自分も含めみんながハッピーでいられるようにするにはどうしたら良いかと考えるようになりました。これが原体験となり、周囲の共感を得られていない未知の環境の中で、ネガティブになりそうな気持ちをプラスの方へコントロールする力が身についていったように思います。 ボストンに続き小学校低学年までは父の転勤でオーストラリアで生活しました。
自然に囲まれたオーストラリアでの暮らしはのびのびとしていて、木登りや虫取りに夢中になりました。オーストリアには捕虫網や虫籠がないので、素手で捕まえていました。日本に帰ってきてからも、セミやトカゲを素手で捕まえては、箱にラップを張って空気穴を空けた手作りの虫篭に沢山入れていたことを思い出します。あとは、レゴブロックにもはまっていましたね。
日本人のコンテキストを読む力は、国語の「行間を読む」教育でも培われている
日本人のコンテキストを読む力は、国語の
「行間を読む」教育でも培われている
正直、当時の勉強のことは良く覚えていないのですが(笑)、今考えるとアメリカの方が小学生の勉強の内容は深いように感じます。これは言語(母語)の特性によるところが大きいと思います。母語が英語の人たちはアルファベット26文字さえ覚えてしまえば、小学生の時から歴史や政治の話が出来るようになります。
一方、日本語はひらがな・カタカタのほかに、漢字を学ぶ必要があり、小学校の6年をかけて約1,000字を覚えます。日本では、覚えた漢字のレベル、すなわち使える単語・語彙のレベルが会話の内容のレベルに強くリンクしてしまうのです。
英語圏の子どもたちは母語の言語の特性で、小さい頃から会話の中で大人と同じ社会のトピックスにさらされるわけです。そのため、授業のほかに学校内や家庭内の会話において、アメリカの方が内容的に深くなるのではと思います。
また、アメリカと日本では学校で学びを促す方法も大きく異なっていると思います。
例えば、読書感想文。「エジソンの伝記を読んで読書感想文を書きなさい」と言われると、日本の子どもの多くは、あらすじを書いた後に「今の便利な生活はエジソンのお蔭だと思います」とか「だから、諦めないことは大事だと思いました」とか書くパターンが多いのではないでしょうか。アメリカの子どもなら、おそらく「エジソンの生き方にインスパイアされたので、僕も起業したいと思う。今考えているビジネスアイディアは、これこれこれこれで・・・」となると思います。
国語のテストでも、日本では「この文章で作者の言いたかったことを、次の5つの中から選びなさい」という設問が多いですね。自分がどう思ったかやどう考えるかということよりも、文脈や行間から相手の気持ちや考えを汲み取る姿勢が求められるのと、正解は決まっている(外から与えられる)ということが基本になっています。
私は、日本とアメリカのどちらが良くてどちらが悪いとは思っていません。良し悪しの議論はありますが、日本の国語教育のお蔭でコンテクストを読む力は圧倒的に日本人が高いと思います。
私自身が小中学生の時には意識していませんでしたが、自分に子どもが出来てから気が付いたことのひとつです。

中学校・高校時代 ~父の急逝が人生の大きな転機に

小学4年生の時に日本に帰国し中学・高校は地元の都立学校に進みました。
部活やスポーツより、音楽にはまった時期です。小学校の頃からビートルズやポップスなどを良く聴いていましたが、中学・高校になるとだんだんロックやヒップ・ホップに嗜好が変わっていきました。ここまでは恵まれた環境で思春期を過ごしてきました。 ところが、私が高校1年生の時、父が海外滞在中に過労で急逝してから、生活態度が一変しました。商社マンとして海外を飛び回っていた父は、私の憧れでもあり、誇りでもありました。その父が仕事の最中にあっけなく逝ってしまったことで、無力感に襲われ勉強にも身が入らなくなりました。高校の後半は、スケートボードを担いで夜な夜な渋谷や池袋に出かけたり、芝浦や西麻布のディスコに出入りするようになりました。
当然、学力は急降下して大学受験にも失敗し、1浪して青山学院大学の国際政治経済学部に進学しました。

大学 ~リベラルな環境でマーケティングと経営学に対する興味を育む

Aoyama Gakuin Aoyama Campus building number 1
自由で多様性の高い環境で、経営学の面白さを知る
青山学院大学の国際政治経済学部は、帰国子女が多い学部です。ミッション系の私立というリベラルな校風も加わって、学内でも異分子の多い学部でした。
日本の集団主義を基調にした教育では、全体の平均点が高く、優等生は皆似たようなタイプになってしまいます。ところが、帰国子女はそれぞれの国でそれぞれの教育を受けてきており、得意なことと苦手なことが各人各様バラバラです。その上、何かに突出している半面、苦手なことはほとんど出来ないことがあったりもします。同じ学部でも自分の苦手なことが同期の得意分野だったり、別の分野ではその逆だったりと、それぞれが負けまいと刺激し合って切磋琢磨する、良い意味でコンペティティブ(競争的)な環境でした。実際に入学してみると、自分の性格にはマッチした大学でした。 ある日、大学進学を祝福する祖父から1通の手紙をもらいました。そこには「学びは大事だから、しっかり勉強しなさい」と書いてありました。
大学の授業は真面目にすべて出席し、質量ともにその後の大学院に比べたらまったく及びませんが、当時の大学生としては勉強していた方だと思います。 大学時代は様々なアルバイトもしました。色々なものを見たり読んだりすることで、世の中の流行やトレンドがどこにあるかのを感じたり、知ったりすることに興味があり、地元のレコード店ではいち早く新譜に触れ、コンビニでは新しく入ってくる商品や雑誌をよくチェックしたりしていました。
1~2年生ではマクロ/ミクロ経済などに対する興味から、3年生になると次第に経営やストラテジー、マーケティングや組織論などに分野が広がり、ゼミでは国際経営学科の石倉洋子先生のものを選びました。石倉先生は、日本の女性で初めてハーバード・ビジネス・スクールで経営学博士を取得した方です。今ではテレビでも企業研修でもハーバード流が取り上げられていますが、石倉先生のハーバード式の講義やケーススタディによる授業はとても刺激的でした。
業界研究や企業研究のために四季報を読み込んだり、雑誌や新聞のスクラッピングが習慣になりました。今のようにインターネットで簡単に記事検索できる時代ではなかったので、毎日コツコツ調べ、部屋の壁中が記事だらけになっていました。ゼミでテーマを取り上げた半年が終っても、卒業するまで2年間ずっとスクラッピングは続けていました。 父の姿の影響や幼い頃の海外経験から、小さい時から漠然と「海外で仕事をしてみたい」と思っていました。
就職活動では、外資系の経営戦略コンサルであるマッキンゼーとボストン・コンサルティング、マーケティングで有名なP&Gの3社を第一志望に考えていました。残念ながらマッキンゼーとボスコンはエントリーが通過せず、この時はさすがに学歴の壁にコンプレックスを感じました。
P&Gはインターンシップから参加して選考プロセスに乗り、日本企業に比べてかなり早い時期に内定をもらいました。その後、日本企業も1業種1社ずつくらい受けてそれなりに内定をいただき、三菱商事が一番遅い時期の内定となりました。
自分としては、P&Gでマーケターになるつもりでしたが、商社マンとして志半ばで倒れた父のことを思う母から「是非、商社に入社して欲しい」と請われました。商社で海外事業も出来ますし、三菱商事には社費留学制度も整っていたので、最終的に三菱商事に入社を決めました。

就職・新人時代 ~異端児ながら、ビジネスの作法と事業経験をしっかりと積む

商社では環境の違う出向先で様々な事業を経験
商社では環境の違う出向先で様々な事業を経験
入社前の内定者の集まりには銀髪で出席して、同期の度肝を抜いてしまいました。同期135人は全体的に真面目で大人しい印象で、仲良くなったのは、どちらかというと異分子だった帰国子女の20-30名です。
最初に配属された部署はまったく海外と関係のない事業でしたが、先輩と一緒に仕事をすることが多く、電話での話し方や議事録の取り方、宴会でのビールの注ぎ方まで、日本企業におけるビジネスの基本作法を新人時代にしっかりと教えてもらいました。 また、商社では1人よりも複数(チーム)で仕事を進めることが多く、歳の離れた人とも話をしたり、組織での仕事の進め方も覚えました。
入社1年目が終わる頃から、事業会社に出向することが多くなりました。最初に出向したメモリーテックには三菱商事出身の社員が多く、次のエイベックスには私ともう一人の方だけでした。3社目のローソンは、ご存知のとおり三菱商事の社員がたくさんいます。状況や環境が異なる企業においてそれぞれに違う役割で仕事が出来たことは、非常に濃い経験になったと思います。

留学 ~ハーバードではMBAビジネス・リーダーとしての「生き方」を学ぶ

MBAと留学生活では、人生のあり方そのものを学んだ
MBAと留学生活では、人生のあり方
そのものを学んだ
2004年、サンリオとアメリカに合弁会社を作ることになり、上手く話が進めば合弁会社のCEOに就任する予定でした。初めて海外駐在できる機会を得、CEOをしながらカリフォルニア大学バークレー校のEW MBA(夕方と週末型のMBA)に通学することを考えていました。
残念ながら合弁会社設立の話は破談となり、EW MBAである必要はないため、フルタイムMBAに切り替え、ハーバード大学のビジネス・スクールに通うことにしました。
ハーバードでは量・質ともにハードでしたが、マーケティングやエンターテインメントなど興味のある分野で楽しい授業が多かったです。特に、ロバート・キャプラン(Robert Kaplan)のリーダーシップ論には影響を受けました。
ビジネス・スクールでは、経営学の理論を学べたことも貴重ですが、コースで取り上げられるテーマや教材を媒体にして、教授や仲間たちとのディスカッションや交流によって、リアルにリーダーシップや人生のあり方を学べたことは私にとって最も大きな収穫だったと思います。
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