生い立ち

幼少期~中学生 突然だった父の他界

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中学生時代に訪れた突然の転機が
後の人生に大きな影響を与えた
横浜の二俣川の近くで育ち、家族構成は両親と2歳上の姉の4人家族でした。
小学生の時はとにかく遊んでいました。遊ぶといっても、ファミコンなどに興味はなく、外でサッカーなどをして遊んでいました。姉が中学から私立に通っていたため、両親も中学受験をさせようと思っていたらしいようですが、いかんせん勉強に興味がなかったので、地元の公立中学に進学しました。

中学校ではバドミントン部に入部しました。友人に誘われあまり深く考えずに入部しました。バドミントンは風に影響される競技で、夏でも閉めっきりの体育館で行ないます。皆さんが思っている以上にタフなスポーツです。北京、そして、今年のリオ・オリンピックでのバドミントン勢の活躍には大変興奮しました。

中学生時代には、大きな人生の転機がありました。
暑い夏。通っていたヴァイオリン教室から帰ってくると、家の中で母親と姉が泣いているのです。何事かと思い聞いてみると「お父さんが亡くなった」と知らされ、言葉にはならない衝撃が全身を貫きました。
父は自動車の広告などを製作する会社を営んでおり円高不況の煽りを受けるなど、色々と苦労をしていました。自営業だったので多少の蓄えはあったと思いますが、母親は本当に苦労をしたはずです。
その時、心の中では漠然と「自分が何とかしなきゃいけないんだ」いう気持ちが芽生えて、そこから遮二無二なって勉強をしました。立派な男になるためにはまず勉強が大切だと思ったのです。

高校生時代 ~奨学金を受けとり母親に恩返し

高校進学では、実は早稲田大学高等学院の他にも慶応の付属も受かっていました。どちらの学校に通おうかと考えていたところ、塾の先生から「お前は早稲田の方が向いている」とアドバイスを受け、通学の便が良い慶応を諦めて早稲田に決めました。
早稲田大学高等学院では再びバトミントン部に入部しました。付属校で大学受験がない分、勉強は普通にやりながら、冬は友人とよくスキーにいきました。早稲田の学年で上位5番までに入ると受けられる大隈記念奨学金という制度を3年間、受けることが出来ました。少しは母親に恩返しできたのかなと思っています。

勉強のコツをしいてあげるならば、テストの前にグッと集中して勉強することでしょうか。
幼い頃から集中力はあるほうだったと思います。普段は気を張らずにいて、イザという時にモードが切り替わるようです。何事もメリハリが重用だと思っています。
また、早稲田の授業は独特でしたね。公民では「二大政党制の意義」だけで前期が終わってしまったり、世界史では延々と「フランス革命」についての授業といった感じで、男子校ということもあって、特徴ある高校だったと思います。

大学 ~ベンチに座って人間観察の日々

高校卒業後は早稲田大学の政治経済学部を選びました。学校へは真面目に通っていましたが、特になにをするでもなく、仲の良い友人5,6人と缶コーヒーを片手にベンチに座って喋りながら、よく人間観察をしていました。とうとう他の学生たちからは「ベンチーズ」と呼ばれていました。
大学でも3年間、奨学金を受けることが出来ました。
4年生になり、外交官になることを目指していました。しかし、試験に落ち、あわてて、就職活動を始めましたが、他の人と比べるとかなり遅れていて、企業研究もほぼ行なっていませんでした。当時は商社・銀行・損保に人気があり、私も急いでOBに連絡を取り、終盤にやっと興銀(現・みずほ銀行)に内定をいただきました。若い頃から興銀マンに良いイメージを持っていた母親も大変喜んでくれました。

就職・新人時代 ~配属先の課長から教わった大切なこと

旧興銀本社ビル
旧興銀本社ビル
当時は既にバブル経済が崩壊しており、この年はかなり採用を絞っていました。
政策投資をしている部署に配属となり、興銀では唯一、株式市場と接点がある部署でした。
入行して5月辺りになると、会社に行くのが嫌になっていました。なぜなら、夢を持って社会人生活がスタートしたにもかかわらず、いざ職場に向かうと配属先の課長が会社で寝ているのです。
続々とマーケットの情報が入ってきても課長は相変わらず寝ています。私としてはとても違和感を感じていました。そして、とうとう生意気にも課長へ文句を言ってしまったのです。もう、職場の雰囲気は最悪で、会社に行くのが毎日、嫌でした。

その数ヵ月後、先の課長から神田の寿司屋へ飲みに連れて行かれました。その寿司屋で「お前、俺が寝ているだけだと思っているんだろ」の一言から始まり、腹を割って生意気な新入社員と真剣に向き合ってくれました。それが非常に嬉しかったのです。また、寿司の食べ方からお酒の飲み方など、男の流儀も教えてくれ、課長に対しての印象がいっぺんに変わりました。
神田の寿司屋での一件の後、当時は興銀会という四大証券との会合に私も同席することになりました。四大証券の幹部が集まるなか、先の課長が見事に会の進行を務めていたのです。会での課長の立ち振る舞いをみていたら、憧れを抱くと同時に自分の失礼な思い込みや発言に申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。

ニューヨークへの出向が転機になり、新しいことへのチャレンジしたいという気持ちが芽生え10年勤めた興銀から、ゴールドマン・サックス証券に移りました。
その後は、拙著に詳しく書いたとおり2009年にUSEN常務執行役員CFOに就任し、2013年にアルメックスの社長に就任いたしました。
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