テクノホスピタリティを世界へ

株式会社アルメックス 代表取締役社長 馬淵将平氏

著者インタビュー
テクノホスピタリティを世界へ
断トツナンバーワンへの挑戦
株式会社アルメックス 代表取締役社長
馬淵 将平氏(まぶち しょうへい)

執筆の動機

家族へ伝えて欲しい誇れる仕事

アルメックスはおかげさまで今年の6月に、創立50周年を迎えました。記念式典の準備に企画・広報と約1年間の時間を掛けました。

創立50周年
創立50周年記念式典にて

式典準備期間中に「社の軌跡をしっかりと残すことはできないものか」と、考えていました。最初は社内誌を考えていたところ、ダイヤモンド社さんから「社内誌となると一度目を通して、そのまま終わってしまう可能性が大きい。それならば、しっかりとした本として残したほうが良いのではないか」と提案をいただきました。

自動精算機というニッチな市場ではあるものの、高いシェアを獲得し、ターゲットの各業界から広く認知いただけるようになった事、そしてUSENグループに入って区切りの10年というタイミングも重なったので、「よし、書いてみるか」と、取りかかりました。書き上げるまで約半年ぐらいは掛かりましたね。

きっかけはタイミングが良かったことですが、一番の目的は、アルメックスで働いている社員と、未来のアルメックス社員へ伝えたい事があったからです。当社はまだまだ一般的な認知度は低いと思います。ただ、行なっている事業は社会的に意義のあるもので、これからも伸びる分野だと確信しています。

当社の事業の一つである自動精算機の導入先はレジャーホテルが多く、社員が家族から「仕事は何やっているの?」と聞かれると答えづらいと言う社員も少なからずいました。

「我々はITメーカーであり、そのひとつに自動精算機というソリューションをレジャーホテルに提供している」と頭では誰もが分かっていても、世間的には言いにくいところがあるんでしょうね。

「我々は最新のテクノロジーを提供している会社である」という事実を社員の家族にも知ってもらいたい気持ちが大きかったのです。

そして、最後に今後の採用について。この本が就活生へのアプローチにならないかと考えました。認知度という点で今はまだ大企業にくらべると採用に苦労する面があります。少数でも良いので、エッジの効いた人材に来ていただきたいと思っています。この本を通してアルメックスを知って欲しいという思いもあります。

テクノホスピタリティを世界へ

自動精算機のリーディングカンパニー、アルメックス社の開発の歴史を紐解く国内初の書籍である。

生い立ち

幼少期~中学生 突然だった父の他界

イメージ画像
中学生時代に訪れた突然の転機が
後の人生に大きな影響を与えた

横浜の二俣川の近くで育ち、家族構成は両親と2歳上の姉の4人家族でした。

小学生の時はとにかく遊んでいました。遊ぶといっても、ファミコンなどに興味はなく、外でサッカーなどをして遊んでいました。姉が中学から私立に通っていたため、両親も中学受験をさせようと思っていたらしいようですが、いかんせん勉強に興味がなかったので、地元の公立中学に進学しました。

中学校ではバドミントン部に入部しました。友人に誘われあまり深く考えずに入部しました。バドミントンは風に影響される競技で、夏でも閉めっきりの体育館で行ないます。皆さんが思っている以上にタフなスポーツです。北京、そして、今年のリオ・オリンピックでのバドミントン勢の活躍には大変興奮しました。

中学生時代には、大きな人生の転機がありました。

暑い夏。通っていたヴァイオリン教室から帰ってくると、家の中で母親と姉が泣いているのです。何事かと思い聞いてみると「お父さんが亡くなった」と知らされ、言葉にはならない衝撃が全身を貫きました。

父は自動車の広告などを製作する会社を営んでおり円高不況の煽りを受けるなど、色々と苦労をしていました。自営業だったので多少の蓄えはあったと思いますが、母親は本当に苦労をしたはずです。

その時、心の中では漠然と「自分が何とかしなきゃいけないんだ」いう気持ちが芽生えて、そこから遮二無二なって勉強をしました。立派な男になるためにはまず勉強が大切だと思ったのです。

高校生時代 ~奨学金を受けとり母親に恩返し

高校進学では、実は早稲田大学高等学院の他にも慶応の付属も受かっていました。どちらの学校に通おうかと考えていたところ、塾の先生から「お前は早稲田の方が向いている」とアドバイスを受け、通学の便が良い慶応を諦めて早稲田に決めました。

早稲田大学高等学院では再びバトミントン部に入部しました。付属校で大学受験がない分、勉強は普通にやりながら、冬は友人とよくスキーにいきました。早稲田の学年で上位5番までに入ると受けられる大隈記念奨学金という制度を3年間、受けることが出来ました。少しは母親に恩返しできたのかなと思っています。

勉強のコツをしいてあげるならば、テストの前にグッと集中して勉強することでしょうか。

幼い頃から集中力はあるほうだったと思います。普段は気を張らずにいて、イザという時にモードが切り替わるようです。何事もメリハリが重用だと思っています。

また、早稲田の授業は独特でしたね。公民では「二大政党制の意義」だけで前期が終わってしまったり、世界史では延々と「フランス革命」についての授業といった感じで、男子校ということもあって、特徴ある高校だったと思います。

大学 ~ベンチに座って人間観察の日々

高校卒業後は早稲田大学の政治経済学部を選びました。学校へは真面目に通っていましたが、特になにをするでもなく、仲の良い友人5,6人と缶コーヒーを片手にベンチに座って喋りながら、よく人間観察をしていました。とうとう他の学生たちからは「ベンチーズ」と呼ばれていました。

大学でも3年間、奨学金を受けることが出来ました。

4年生になり、外交官になることを目指していました。しかし、試験に落ち、あわてて、就職活動を始めましたが、他の人と比べるとかなり遅れていて、企業研究もほぼ行なっていませんでした。当時は商社・銀行・損保に人気があり、私も急いでOBに連絡を取り、終盤にやっと興銀(現・みずほ銀行)に内定をいただきました。若い頃から興銀マンに良いイメージを持っていた母親も大変喜んでくれました。

就職・新人時代 ~配属先の課長から教わった大切なこと

旧興銀本社ビル
旧興銀本社ビル

当時は既にバブル経済が崩壊しており、この年はかなり採用を絞っていました。

政策投資をしている部署に配属となり、興銀では唯一、株式市場と接点がある部署でした。

入行して5月辺りになると、会社に行くのが嫌になっていました。なぜなら、夢を持って社会人生活がスタートしたにもかかわらず、いざ職場に向かうと配属先の課長が会社で寝ているのです。

続々とマーケットの情報が入ってきても課長は相変わらず寝ています。私としてはとても違和感を感じていました。そして、とうとう生意気にも課長へ文句を言ってしまったのです。もう、職場の雰囲気は最悪で、会社に行くのが毎日、嫌でした。

その数ヵ月後、先の課長から神田の寿司屋へ飲みに連れて行かれました。その寿司屋で「お前、俺が寝ているだけだと思っているんだろ」の一言から始まり、腹を割って生意気な新入社員と真剣に向き合ってくれました。それが非常に嬉しかったのです。また、寿司の食べ方からお酒の飲み方など、男の流儀も教えてくれ、課長に対しての印象がいっぺんに変わりました。

神田の寿司屋での一件の後、当時は興銀会という四大証券との会合に私も同席することになりました。四大証券の幹部が集まるなか、先の課長が見事に会の進行を務めていたのです。会での課長の立ち振る舞いをみていたら、憧れを抱くと同時に自分の失礼な思い込みや発言に申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。

ニューヨークへの出向が転機になり、新しいことへのチャレンジしたいという気持ちが芽生え10年勤めた興銀から、ゴールドマン・サックス証券に移りました。

その後は、拙著に詳しく書いたとおり2009年にUSEN常務執行役員CFOに就任し、2013年にアルメックスの社長に就任いたしました。

ビジネス美学

優秀なビジネスマンは「馬鹿賢い人」

「賢い馬鹿」より「馬鹿賢い」人間に魅力を感じます。高い学歴を持ち、いかに頭が良くても、人の気持ちが読めず、お客様の身になって考えられない人は、優秀なビジネスマンとはいえないと思います。馬鹿も出来るし、包容力がある。お客様の気持ちを動かせる人。柔軟性もあって最終的に賢い部分も出せる人が、優秀なビジネスマンだと思っています。

もう一つ、「Out of the BOX 」という言葉を社員には伝えています。自分で決めた箱の中、つまり、自分の許容範囲内は楽なんです。自分の理解できる範囲中で自分の居心地を求めるだけなら楽ですし平和です。しかし、人が成長・進化する時は、世の中も変わってきていることを知らなければなりません。高い志を持ち続けるためには自分の殻を破り、外を見なければならないのです。自分の仕事はコレだけだ、と決めるのではなく、京セラの創業者でもある稲盛さんもご自身の著書に「何でもやってみれば面白い」と書いているように、自分でリミットを設定せずに、しっかりと外から大局的にながめ、本気で取り組めば次のステージが見えてくるということなのです。外に出る方法の一つに海外へ行ってみるということもあるかもしれません。

私も、ニューヨークに赴任した時に、自分がいかに小さいかを痛感しました。ゴールドマン・サックス証券への転職でもかなり迷いましたが、自分の気持ちに正直に思うままにやろうと思い切って飛び込みました。人生は選択の連続です。一生懸命やれば楽しいものです。もちろん苦しいときもありますが、人生は短いのですから賞味期限切れになる前に思いっきり挑戦したらいいと思います。We aspire to inspire before we expire!

ビジネス哲学

待っているだけでは結果は出ない

ゴールは偶然の産物ではない
FCバルセロナは見事復活を遂げた

拙著にも書いている「ゴールは偶然の産物ではない」ということです。これはFCバルセロナが一時低迷した時に掲げた再生へのスローガンです。ゴールドマン・サックス証券時代を含め、USENでも大変な思いをしました。その時に学んだビジネスは目標や目的を手繰り寄せるためには、偶然を待っていてはダメだということです。当たり前のことのようですが、多くの人が出来ていないことでもあり、意識してやるべきことなのです。
 
 
 

「ブレない、媚びない、屈しない。」「でも優しい」

もう一つは「ブレない、媚びない、屈しない。」この言葉は自分への戒めでもあり、考えれば考えるほど難しいのですが、最後に「でも優しい」も付け加えています。「ブレない、媚びない、屈しない。」は大事ですが、この考えだけでビジネスは成り立ちません。お客様から見る自分はどうなのか、そして何を求めているのか。広い視野と柔軟な考えを併せ持つことで、ビジネスが生まれてくるはずです。

「一源三流」

最後に、「一源三流」という言葉があります。
1・友のためには喜びと悲しみの涙を流す。
2・仕事のためには汗を流す。
3・最後に国や家族のためには血を流す。
これは、幕臣の山岡鉄舟の言葉で、私が心を寄せる先達の一人、山本五十六が率いた帝国海軍でも用いられていたそうです。
この言葉の意味を仕事に置き換えて、常に自分自身を振り返っています。

夢について

常に水平線を追いかけたい

馬淵社長
テクノロジーとホスピタリティーを追及し続ける

今の職責で結果を出すということは当たり前の話で、今後の夢をあえて言葉にするならば、「水平線を追いたい」ということでしょうか。水平線にはゴールはなく、進めば進むほど新しい水平線が続いています。進んでいくうちに、途中、島(小さい目標)を見つけることは出来ますが、そこで止まることなく常に水平線を追いかけていきたいです。

個人的な夢でいえば二人の娘に、そして彼女たちの世代や若い社員に10年20年後の今よりさらにグローバル化が進んだ世界でも、自ら人生を切り開いて生き抜くために必要な考え方や知恵など、私自身が経験を通し学んできたことを広く伝えていきたいですね。

プロフィール詳細


プロフィール 生年月日 1972.11.4
出身地 横浜
血液型 AB型
生活リズム 平均起床時刻 AM6:00
平均就寝時刻 AM1:00
平均睡眠時間 5時間
平均出社時刻 AM8:30
平均退社時間 会食時:PM18:30
 以外:PM19:30~21:00
自己流 ゲン担ぎ 十字架切り(娘2人がミッション系女子校なので)
集中法 黙祷
リラックス法 喫茶店
健康法 月数回ランニング
休日の過ごし方 極力家族と過ごす。
座右の銘 「常在戦場」
「ゴールは偶然の産物ではない」
「一期一会」
「一源三流」
好み 趣味 Violin、読書
好きなブランド 特になし
好きな食べ物 カレーライス、蕎麦
好きなお酒 ハイボール
好きなエリア 目黒、世田谷、横浜
好きな色 レッド、ブルー、ブラック
お勧め 家族とよく行くお店 兵隊家(田園調布のお蕎麦屋さん)
ビジネスにお勧めのお店 たまさか 西麻布

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兵隊屋(田園調布)
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