ご両親の教育方針 ~正しい道って何なのかを教わる~

両親は仲が良く布団屋で商売をやっていて、ものすごく真面目です。親の影響があり、社会に出たら真面目に生きる、正しいことをして生きるという、正しい道って何なのかを随分教わったと思います。基本それだけじゃないかなって。特に中学生になると、影響を受ける主体が変わっていきますよね。教育っていうのは親が言う、基本は正しいことをしなさいに対して、世の中にはもっとたくさんの要素があり、その要素をどんどん身に着けながら、自分自身を構成していくこと。たぶん中学生から高校生、大学生、社会人というプロセスを経ながら自分と関わる人で随分変わっていくんじゃないですかね。でも簡単にまとめて言えば、
ちゃんと正しいことをして生きて行きなさい!今は僕も10代の子供がいるのですが、やっ
ぱり親の影響を受けています。

アメリカのビジネス世界で常に言われる「do the right thing」、最終的には「正しいと思ったことを自信を持ってやる」それが重要になっていくんじゃないかと思いますね。
社会人になってくると、正しいことを自分に自信を持ってやりなさいという、その自信を
持ってやるというのは経験の積み重ねで、自信を持つというこの一つの言葉を簡単に言える
だけの経験っていうのは相当長い間かけないと出てこないと思います。正しいことをやる!しかも自信を持ってやる!学生時代とか社会人とか、あるいはGEの時代っていうのはそういう自信を身につけるプロセスだったんじゃないかと思っています。

学生時代の面白いエピソード ~夏の合宿で先輩ととんずらしたことで~

東大アメフト部時代に培った経験はビジネスに大きく影響
東大アメフト部時代に培った経験は
ビジネスに大きく影響
アメリカンフットボールは今までやったことがなく、体のぶつけ合いで素晴らしいスポーツだと思うんですが、一時期できなくなっちゃったんです。夏の合宿にみんなで電車で行く途中、とてつもなく嫌だっていう気持ちになって、ポンと先輩と二人で降りてとんずらしたんです。長野の中央本線で、ごとごと3時間くらい過ぎた場所で。泊まった民宿には女の子二人がいて、一緒に夜ご飯を食べ、先輩とやめてよかったですねーって(笑)人生楽しいっすよねーって。で、さあ寝ようかっていう話になり自分のパジャマを出そうとしたら、あれっ、これ僕のバックじゃない、先輩のバックだと気づき、しかも一番怖い4年生の先輩のバックを持って来ちゃったんです。一緒にいた先輩は2年生で僕は1年生。どうするかって、やっぱり持って行くしかないよね、と。次の日なんか女の子二人とどっか行こうなんて思っていたのに、また地獄に落とされちゃって。4年生の先輩からは、「やりたくないのならいいけれども、今帰っちゃうんじゃなくてずっと見とけって。」確かに見ることぐらいならいいなと思い、それから僕はずっと練習を見ていたんですね。すると、ここで負けていいのか、ここで自分自身をその楽な方向に行かせちゃっていいのかって、3ヶ月毎日練習には出てずっと練習を見ていて、毎日ものすごく考え、やっぱり俺はこの道から逃げていいのか、一旦やりかけたことから、ここで逃げたら将来またどっかで逃げるかもしれない。だから自分が本当に辞めるなら辞めるで、納得がいくまでずっと練習を見ていようと思って。みんなが練習をしているのを見ながら、3ヶ月か4か月か経った時にふと俺はやるんだと思ったんです。毎日毎日やらなくちゃいけない、けどやりたくない。逃げちゃいけないけど、絶対にやりたくない。その葛藤に対して、そこで、ふとした瞬間によしやろうって思ったんですね。次の日には防具を着て練習を始めていました。それから4年間続けたんです。

学生時代の「逃げちゃいけない、ここで逃げたら将来またどこかで同じように」という気持ちは社会人になってもあったと思います。

アメリカに留学したのですが、旅行も外人も大嫌いで、最終的に会社から行けよって言われて行ったのですが、みんなからしてみると、100人か200人に一人か二人しか行けないのに、お前それ光栄に思えよって言われつつ、自分自身は嫌で嫌でたまらなかった。ここでもやはり、逃げるっていうのは自分のコンフォートゾーンに入ってしまうんですよ。そこから出ようとするのは怖くてたまらないんです。だから日商岩井にいて毎日会社に来て、当時バブルの時代だから毎日銀座とか六本木とか楽しくてたまらない。東大に入ってエリート気分になっているのに今さらアメリカの大学ですかって。しかもアメリカ大嫌いだし。旅行も大嫌いだし絶対行きたくないって思ったんですが、ひとつひとつ自分のコンフォートゾーンを超えて行かなきゃいけない、ゾーンを出て行く時の葛藤って結構ものすごくたくさんあり、それはやっぱり社会人になってアメリカの大学に行ってこいってなった時もものすごい大きな葛藤でした。その時は難しい方を選ぶというか、人生の選択って、いろんなところにたくさんあるじゃないですか。野球部に行ってずっと続けるのも選択だし、アメリカンフット
ボールに行くのも選択だし、三菱商事に入るのも選択だし、日商岩井に入るのも選択だし、
それから外国に行くか行かないかの選択もあるし、そのひとつひとつの選択の分岐点っていうのは結構自分のコンフォートゾーンの中に入ったところの選択をするのか、出ようとして選択をするのか。

私がいろいろなところでスピーチをするのは、自分自身を変えていかなくてはいけない、自分自身を変えていくためには、常に自分のコンフォートゾーンから出て、新しいことに挑戦することによって始めて新しい自分が見えていく。自分自身が成長していく。それが基本的に大きな柱になっています。

社会人になった時の入社動機 ~何でも飛び込め的な社風が良かった~

日商岩井時代 自分で門戸を開くことを学ぶ
日商岩井時代
自分で門戸を開くことを学ぶ
一つは、アメリカンフットボールの先輩から誘われたこと、もう一つは、もう亡くなられたのですが、藤井さんという体育会系の固まりみたいな人事部長がいらしたこと。他の会社の人事部長は全然面白くないんですよ、やっぱり東大だな、みたいな感じで。商社の中ではこの人事部長が一番面白いから入ろうって思いました。藤井さんというか、日商岩井の社風というか普通のエリート集団ではない、わりと体育会系に近い何でもやってみよう、何でも飛び込め的な社風が良かったんじゃないかな。その前に僕は、東大工学部だったので、何で商社に行く
のってみんなに言われたのですが、僕らの学部だとほとんど行く人はいない商社を選びました。大学を卒業した時に、自分は技術系じゃだめだなと思ったんですよ。技術系では絶対上手く大成しないだろうと。大学の授業で使う技術系のことほとんどわからないし、なんで工学部に入ったのかわからないですが、自分は技術系はダメだなと、ただ技術をベースにした商社っていうのは面白いな、技術のバックグラウンドを持ったビジネスマン、商社マンというのは面白いと思い、そこで選択し、
メーカーには入らず、商社の中でも日商岩井を選びました。

途中で辞めることになりますが、日商岩井魂っていうものが結構あり、将来の自分を作るには役に立ったと思います。
日商岩井で早くから辞めた人たちが「溜池会」って会を作ったんです。結構若い人から年配の人を含め上場会社の社長になった人たちの集まりで、若い人は活躍している人がたくさんいます。最初は、日商岩井をもっと良くするためにどうしたら良いか、辞めた人が日商岩井に対して何か言おうっていう会でした。今の溜池会の主旨というのは、それぞれの啓蒙ですよね。それぞれの人たちが刺激し合いながら、自分が成長していく場になっている。お互いに同じ巣から出てきた人達なので、信頼し合いお互いを尊敬して、その人たちが日商岩井に対して文句を言うのではなく、自分たち同士が学び合うすごく良い会だと思います。年に2回集まりゴルフをやったりもしています。

日商岩井では、英語の試験があり、AA~Fまでの結果の中、僕はFクラスでした。なんで試験に通ったのかよくわかりませんが、東大を受けた時の英語はほぼ満点近く、得意の東大の暗記に対して、話すとか聞くとかは別でFクラス。MBAもTOEICとTOEFLと両方あり点数を満たしてないわけなんですよ。TOP20とか30に入れない点数で全部落とされ、これはどうしようもないと、とにかくアメリカに行くしかないと、ミシガンのアナーバーに行きました。が、ほとんど英語の勉強をせず、さらにはフランス人の友達が出来ちゃって、なおさら英語はやらず。一番の目的であるTOEICに受からないと9月には帰らなくてはいけないので、6月7月8月でいろんな知り合いの弁護士とかを紹介してもらっては、俺はできるんだ!点数なんか気にしないでくれ!俺はきっと将来すごくなるんだ!だから俺に対する投資をしてくれと直談判。10個所くらい行ったんです。8月の後半ぐらいにもう帰るしかないなと思っていたころ、当時TOP5くらいに入っているカーネギーメロンという大学で二人の日本人の枠にひとり欠員ができ、なんとカーネギーメロンに入ったんですよ。本当に点数が低いなって言われたのですが、ここでもこれはたまたま調子が悪かった点数で、俺は本当は出来るんだ!と言って。そういう意味では粘るしかないなっていう、でもカーネギーメロンに入れることになったら、他の大学からも最後の最後で3個ぐらいOKがきて、その中でもカーネギーメロンが一番優秀だったので、これにこしたことはないと。入ってみたら英語は全然わからないし、難しくて毎日必死だったのですが。いやもうガッツで乗り切りました。

自分がそこでただ単に願書を出して待っているような状態ではなくて、やっぱり実際に飛び込んでいかなくてはいけない。飛び込んでいけばきっと何かが拓けるんじゃないかな。もともと僕はそういう性格ではまったくなかったんですけどね。真逆だったので。でもそういう風なことを教えてくれたのはこの荒くれの日商岩井だったんです。荒くれ集団の中で、自分で門戸を開くことを教えてくれたのは日商岩井じゃないかと思います。
日商岩井は面白いですよ。他の商社とは全然違います。5大商社対、他商社っていうくらいですから、それだけユニークな存在だったと思いますよ。全員がね。

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