ギグセールス株式会社 取締役副社長
福山 敦士(ふくやま あつし)氏
著者プロフィール
1989年 横浜生まれ横浜育ち
2011年 慶應義塾大学環境情報学部卒業。新卒でサイバーエージェントに入社。1年目からグループ会社(株式会社CA Beat)の起ち上げに参画。本社への事業譲渡後、25歳でグループ会社(株式会社シロク)の取締役営業本部長に就任。27歳で独立起業、株式会社レーザービーム創業。複数事業を立ち上げ3度のM&A(売却)を実行。東証一部上場企業の株式会社ショーケースへのM&A時、同社執行役員、30歳で取締役COOに就任。PMI、組織改革、採用育成、人事制度再設計、企業買収、新規事業開発などに従事。2020年、ギグセールス株式会社にM&Aにて参画、取締役就任。「学問をつくる」活動の一環として慶應義塾高校始め、各種教育機関にて講座開発を務める。学生時代は野球ひと筋16年。高校時代は甲子園ベスト8。著書多数。累計10万部超。二児のパパ。
執筆のきっかけ
本書は「営業」×「自己成長」をテーマにした作品です。
物事に「絶対」はありません。しかし、絶対的な自信をつくり育てることはできる。そのためのスキル・メンタリティ・セルフグロースの方法論を盛り込みました。
社会情勢や、営業職を代替するテクノロジーの台頭により、自信のない営業職からの相談が増えています。また、企業・読者・セミナー参加者で、若手から経営者まで同じような悩みをいただきます。
日本市場では、自社商品の販売をしたい企業の営業ニーズはなくなりづらく、コロナ禍でも求められ続けています。しかし、オンラインでの商品情報へのアクセスが容易になった昨今、法人営業の難易度が年々高まっております。なぜ自社の商品が良いのか、どんな時に役立つのか、イメージができていない若手営業職ほど自信を失いやすいのが現状です。
“営業職である以上、受注をすることがお客様を幸せにする行為そのものである。”
遠慮せず堂々と、必ず受注して帰ってきてください!という営業職の背中を押したい気持ちと、「学校では学ばなかったけど、社会で求められること」のギャップを埋めるべく、ひとりでも多くの人々が活躍できるようなきっかけをつくりたいと考えております。
これまでの著書も伝えたい本質は、全てに共通しています。それは「メタ認知」です。
本書も、決して営業とは何かを知ってもらいたいのではありません。「メタ認知」さえできれば、得意分野か不得意分野か、ある意味客観的にわかりますし、「メタ認知」ができればどんなポジションにいても、自分を成長させることができるのです。 自分のことを知る。目標を立てた上で現状とのギャップを埋めるべく動いてみる。その結果、自分がどう感じたか気付きを振り返り、自己フィードバックをする。このサイクル自体は、クライアントワークにも応用できるし、何よりも自分自身が成長することにもつながるという、そのつながりを伝えたいという思いで書きました。
足りないのは頑張ることではない。「ルールの理解」だ。
「営業活動」ではなく、「受注活動」をしよう。
営業の仕事は、お客様のビジネスを成功に導くこと。
―相手の発注を促すための最速のプロセス・ノウハウを解説。
生い立ち
幼少期 ~納得しないと動かないとういう子供の頃の原体験~
男3人兄弟の3番目。大人の言うことが聞けない問題児でした。「なぜ?どうして?」を繰り返す子どもでした。野球の練習とかでも、なぜグラウンドを走らなきゃいけないの?とか、なんで声を出さなきゃいけないの?とか、納得しないと動けなかったので、コーチにその都度「何でですか?」って聞いていたんです。けれど答えは「いいからやれっ」。それがどうしても納得できませんでした。なので、グラウンド1周大きく走れと言われたら、誰よりも大きく走る。声出せって言われたら誰よりも大きな声を出す。それはそれで怒られちゃうんです。反抗していたのですね。コミュニケーションが苦手でした。
監督、コーチ、先生方、誰に対してもそうで、理由が納得できればどこまでもやる。現代っ子です。当時、同級生に「親からあっちゃん(当時の呼ばれ方)と遊ぶなって言われたから、今日は遊べないよ」って言われたことがあり、中学受験をするような親御さんからも問題児扱いされていました。それを僕の親に伝えたらとても悲しまれたということがありました。
そこから考えると僕はあまり変わっていません。人を動かすためには「なぜやるのか」というストーリーを相手自身が納得してもらうことが大切だと思っています。説得ではなく納得です。営業の際も、僕が素晴らしいプレゼンテーションをし、相手を説得するのではありません。あくまで決定権は相手にあることを認識してもらい、そのために必要な情報を用意し、決断のきっかけを提供します。すると、受注後、上手くいきます。自分で自分を説得してもらうというのが大事だということに気づいたことは、多分幼少期の体験が影響している気がしています。
学生時代 ~「野球で日本一を目指す」を本気でやってきた~
小学生から大学までの16年間、野球ひと筋。小中高大の全てで全国大会に出場し、日本一を2回、甲子園ベスト8を経験しています。
・少年野球チーム:鴨志田スワローズで全国大会ベスト4
・リトルシニア:緑中央(現:横浜青葉)で日本一2回、日本代表選出
・慶應義塾高校45年ぶりの甲子園出場 ベスト8
・慶應義塾大学 体育会準硬式野球部 学生コーチ職の創出
27年振りのリーグ優勝 57年振りの全日本大会出場 ベスト8
高校野球引退後、プロ野球の道には進まないことを決断。せっかく大学に通わせてもらえて、野球部での活動もできるのであれば、野球を通じて将来活躍できる人材にならなければならないと感じ、研究活動(学会発表)と野球部での活動において圧倒的な結果を出し、そのプロセスを書籍にすることを決意。
家庭環境
父親は62歳で亡くなりました。バブル絶頂期の平成初期に独立をし、事業で失敗。仲間の裏切りもあり、いつの間にか不動産の連帯債務者となっていたりと、いろいろありまして。小学校高学年くらいの頃から、毎晩家庭ではお金の話で険悪な雰囲気の中過ごしていました。唯一、自分の野球と勉強の結果が明るい話題となっていたこともあり、あらゆる遊びや誘惑を断ち、とにかく結果を出すことに必死でした。
高校進学後、ついに家庭が経済的にも精神的にも持たなくなってしまいました。母親から現状を伝えられ、今後の生活のことを話す中で、「離婚しても良いのでは」という話になりました。兄もそれぞれ実家を出ており、母子家庭になった方が市からの補助も出て、生き延びられるという事情もあり、冷静に選択をしました。とはいえ、生活は厳しいまま、兄は学校を辞めて働きに出て、僕の高校の学費を負担してくれました。
高校大学一貫の慶応高校で、奨学金の申請者は一定数いるのですが、補助金の申請をするのは創立以来初めてだと事務の方に言われました。『巨人の星』の星飛雄馬みたいでした。母親にもそのことを伝え、大学に進学するかどうかを相談すると、涙ながらに「立派に卒業して欲しい、野球も続けて欲しい」と言われました。そんな背景もあり、大学に進学することは自分への投資であることを強く認識し、明確な意思を持って進学させて頂きました。
野球は続けたい、しかしプロになるわけではない。自分もアルバイトをしないと食っていけない状況下、最適な選択肢が体育会の準硬式野球部でした。このチームで結果を出すことが将来に繋がると確信し、自らが指揮を執りたい旨を上級生に提案し、学生コーチという役職を自ら作り、監督業をやらせて頂きました。
学業の方も、大学は研究会(ゼミ)で、学部生初の学会発表(論文発表:認知科学会・人工知能学会)を実現し、一番身近な大人が教授だったこともあり、当時は教授を目指していました。しかし、そこでもまた挫折がありました。教授になるまでの時間軸が読めなかったことです。ステップはおおよそ見えている、しかしポジションができるかどうかは別問題。そこに政治も必要だし、苦戦している博士課程の先輩方を何人も見ていたので目標設定に確信を持てないでいました。一方、となりの教室ではゲスト講師として、ディー・エヌ・エーの南場会長(当時社長)が登壇し「寝ないで働くのよ!」という旨の力強い発信をされていて、そこで起業という選択を知りました。今すぐ起業できるとは思えませんでしたが、ベンチャー企業で社長の近くで働き、ビジネスで結果を出す方が教壇に立てるスピードが速いかも、と思い、新卒で子会社社長が輩出されているサイバーエージェントへの入社を決めました。
社会人時代でのエピソード
実は営業が得意だった ~向き合ってみると“息を吸うようにできた”~
入社時、ビジネス初心者ということもあり、得意・不得意が理解できていませんでした。
2011年新卒でサイバーエージェントに入社。まだ「ABEMA」など生まれていない時代で、ネット広告営業会社でした。入社式と表彰式が同じ日にあり、表彰されている先輩の大半はスーツにノーネクタイ。Yシャツのボタンが2、3個開いており、20-30代の先輩が多くいました。これから伸びる市場に対し、先に働いている年齢の近い先輩方と同じことをやっても、頭一つ抜き出るイメージが持てませんでした。営業では勝てないと思いつつ、でも営業力があるこの会社で商品を作る側に回れば、存在価値を出せるじゃないかと思い、そちら側に身を置く選択をしました。2010年はスマートフォンが出たての頃。そのタイミングで一番初めにスマホのメディアを作れたこともあり、社内の先輩方みなさんが売ってくださり、所属管轄内で新人賞をいただきました。ただ、ネット業界は類似サービスが次々生まれやすい環境ということもあり、社内外に競合が増え、その1年間で一気に抜かれました。
これまではサイバーエージェント社内を頼れば、既に顧客資産がいっぱいあるので、あらゆる会社にアクセスできました。しかし、自分のサービスの競争力が落ちてしまい、代理店の方々のメリットを出すことが難しく、仕方なく自分の足で営業活動をしなければいけない壁にぶち当たった時、思いの外スムーズに契約を預かることができました。言うならば“息を吸うよう”にできました。自分が作った商品だからというのもありますが、お客さんと対峙して、お客様の会社の悩み、個人の悩みをいろいろ聞いて、「なんとか僕の商品で解決させてください!最悪、商品関係なく貢献させてください」という姿勢が自然と取れました。
お客様にも喜んでもらい、自社のメンバーも喜んでくれる。何より自分が約束した契約を遂行することと同じくらい、「受注(先に信頼を預かる約束)」自体に快感を覚えました。
自分の営業ひとつで、みんながハッピーになるのがすごく楽しく感じました。僕自身、全然「がんばっている」つもりはなかったんです。気付くと月のアポイント件数は毎月100件を超えていました。特に話題がなくても、会えば何かしら約束を預かってこれる、自分/自社のリソースを使って、あらゆる人の問題解決ができるスキームを見つけられたことが20代の1番の発見でした。しかし、他の人は100件アポ行けって言っても行けない。「お前100件行けよ」とプレッシャーをかけすぎて、潰れてしまった部下もいました。やり方自体を押し付けてはいけないことを痛感しました。
メンバーマネジメントの難局も一つ一つ乗り越え、25歳の時に、サイバーエージェントの子会社の取締役に抜擢いただきました。そのタイミングで、当時の人事本部長に、「福山君はようやく自分の得意分野とやりたいことがリンクしたね。」と言っていただきました。入社の時からそれまで、僕は商品を作ったり企画をしたりするのが得意なんだと思い込んでいたのですが、事実として、営業で成果が上がりましたし「福山=営業マン」という見られ方をされていることを理解し受け入れました。
なんとなく自分が営業に向いていることに気付いていたのですが、どこか認めたくない(企画で認められたい)という気持ちがありました。しかし営業をやってみると、息を吸うようにできた。社内でもトップクラスの成果を出せた。ビジネス以外でも同じような体験が過去あったように思います。野球のポジション、受験科目の選定など。他のみんなが苦戦していることを、自分は簡単にできてしまうことがある、そこでがんばった方が突き抜けられるなっていうことに気づきました。一方、企画は未だに好きなんですけど、得意かって言われると、まだまだ呼吸をするようにはできていないかも知れません。
「がんばっているつもりはないのに10成果が出る=がんばれば100成果が出る」
自分が得意な領域に気付けた時に、同じ実力でもやる業務・ポジションによって結果の出方がまるで違うということに気付きました。もしかしたら同じ営業でも「新規開拓」が得意な人、「リレーションを築くこと」が得意な人、「管理・サポート」が得意な人、などさまざまだなと、その配置で成果のほとんどが決まるんじゃないかなと思いました。
得意とは ~がんばっているつもりはないけど成果が出ること~
そもそも自分は営業が得意か、ビジネスが得意か、攻めが得意か守りが得意か、このあたりを自問自答してもだいたい気付かないので、一生懸命動いてみた結果、上司とか同僚に言ってもらって、そうだなって思ったらそれが得意なこと。言葉にするとがんばっているとも言えないけど、成果が出る。人からすごいねって言われるけど、えっ普通だよって答える。このポイントが強みなんだと思います。強みを活かして仕事に取り組めると、普通に生きているだけでハッピーになれると思います。
サイバーエージェントでの大失敗と反省と立ち直り
新卒1年目の頃、某ゲーム会社から、自社のゲームアプリを広告掲載して欲しいと依頼をいただきました。文字通り寝ないで働いたこともあり、頭がぼーっとしていて、全然違うゲームアプリをメディア掲載してしまいました。クライアントの「ど競合」ゲームということもあり経緯報告書と謝罪だけでは済まされず、補填対応もしました。「どうすんだよ!」と上司に怒られつつ、「すみません、気合入れなおします!」と答え、翌週、再度同じミスを続けてしまいました。血の気が引くのを感じました。反省の念はあるのですが、如何せん、本当に頭が回っていませんでした。当時、土日も関係なく出社をしていましたが、その週末は会社ではなくカフェに場所を移し考える時間を捻出してみました。白紙のノートと向き合い、そこで「時間ではなく知恵で解決しよう」と決意しました。それまで時間をかけることで問題解決を行なってきた自分は、解決策が「長く働く」一択になっていました。すると、いつまでたっても24時間以上のパフォーマンスが出せないこと、1つ問題が発生すると、処理している間に別の付加価値を産めないことに限界を感じました。クリエイティブ思考には制約がセットです。時間を制約と捉え、その制約内で成果を倍にすることを目指さない限り、この先社長になった時に困ると思い、問題を徹底的に書き出し、1つ1つ解決策を考え実行に移しました。いわゆる因数分解です。事実と解釈を分け、なるべく事実ベースで自分の行動を振り返ることで自分自身をまだまだ進化させられる実感を得ました。
学生時代(野球部時代)は「気合で乗り切る」というソリューションが通用したのですが、ビジネスに関しては「気合で乗り切る」だけでは通用しない壁にぶつかりました。そこで因数分解的思考法を発見し、曖昧な言葉を「動作化する」技術を身につけました。その体験をこちらの本(『いつも目標達成できない人のための自分を動かす技術(すばる舎)』)にしたためています。
起業のきっかけ
起業のきっかけは2014年の親父の死です。
もともと大学卒業後、起業を考えていました。しかし、すぐに起業する勇気はありませんでした。子会社の社長を目指して入社を決めたサイバーエージェントで、上述のような失敗もありつつ、徐々に結果で貢献できる人材になりました。その後、自分の担当する子会社もどんどん業績拡大し、本社も入社当初より遥かに大きくなり、知名度も高まり、資本市場でも頭角を現していく中で、周りからも認められ、自分も社内外で認められ、すごくおもしろかった。けれど、親父はなくなりました。62歳で・・・。祖父も60歳で亡くなっていました。もし自分の人生も60歳で終わりを迎えるとしたらと考えると、急に冷静になりました。当時25歳だったので、あと半分くらいかなと。自分がいなくなった後に残る価値とは何かを考えました。親父の家に遺品整理に行った時、デスクにフロッピーディスクがありました。2014年、インターネットの活用ができていなかったようでした。葬儀も4人しか参加されず、頼れる仲間がいなくて、情報もなかったんだなってことがわかりました。経営者って孤独だなって強く感じました。そんな経営者を助けられるビジネスをしたいなと。
そして、自分がやりたいことと、やらなくてはならないことの整理ができました。やりたいことはIPO、やらなくてはならないことは孤独な経営者を助けること、そしてそれらのノウハウは10代のうちに学べる状態を作ること、と決めました。
それらは、当時のサイバーエージェントだとできないと判断し、退職・独立を決断しました。とはいっても要職だったので1年間引き継ぎをして出るという形で。
上場を目指す
起業当初は、M&Aをするつもりはありませんでした。僕も上場を目指して事業拡大をする中で、資金調達の一環で出会ったのがショーケースという会社。最初は事業譲渡によって、ご縁をいただきました。PMI中に、会社のあらゆる背景を知り、上場直後の会社の大変さを痛感しました。当時の代表が、会社を変革したいという強い想いもあり、僕自身も自分で上場を目指すよりも既にある上場企業の経営をするのも、目指す志の達成においては、むしろスピードを速められると判断し、甘んじてお受けしました。
その後、PMI、組織改革、採用育成、人事制度再設計、企業買収、新規事業開発など多岐に渡って業務執行させていただき、いろいろあり退任しました。2020年から再度IPOを目指してギグセールス社で活動しております。
コンサルタントになった動機
コンサルタントになるつもりは特になかったです。ただ、メタ認知は得意ですし、課題発見、解決策の検討と実行案の提案は得意でした。これもお客様に言われて気付きましたが、自分の営業活動は全てコンサルティング型の営業です。故に、コンサルティングは得意です。自分の会社もそうですけど、他人の会社に対する理解も早く、独立後、絶えずコンサルティングを求められ続けています。やるつもりはなかったのですが、こちらも呼吸をするようにできているという意味で、結果的に得意なのかも知れません。
経営業はスポーツ同様、その場の判断スピードが勝負を分けることがあります。ある意味本能的に決めている部分もありました。しかし、決断と結果を元に、都度振り返りを行うなど、言葉にする努力を続けていく中で、たぶんメタ認知が日々磨かれ、コンサルティング能力も高まっているのだと思います。
コンサルティングポリシー
“背中と言葉” というキーワードを大切にしています。
この時代、正論・正解には誰でもアクセスできます。企業の悩みの多くは、「分からなくてできない」から「分かっているけどできない」にシフトしています。つまり「如何に実現するか」という実行フェーズの議論です。
現実を動かすためには、リーダーシップが必要です。人を動かすリーダーシップには、理屈だけでなく、時には自らが背中で示さないといけない局面がやってきます。それが権威なのか実績なのか場面によりますが、誰もが机上の空論を見飽きています。正論だけでなく、共感をデザインしないと、現実って変わらないなと思っています。共感を生み出すためには、意味づけと誰が言うか、この2点が大切だと思います。正論だけでなく「なぜこれをやるのか」の意味づけを言語化すること。「誰が言うのか?」という背中。僕は背中を大事にしています。自分ができていないことを言わないですし、自分の空想は語らない。言いたいんだったら自分がやってからにしようと。実績は、まぐれやたまたまでは足りないので、何度もできることを証明し、何度も行える再現性を追求します。本気で現実を変えるために、正々堂々と正論を語るために、自分自身のバリューアップも行います。
商い(あきない)道
~ビジネスでもっとも大事にしていること~
“哲学”を磨き続けること。
そもそも人生、商い(ビジネス)だけが全てではないと思っています。これは時代がそうさせていて、おじいちゃんお父さん世代は、日本の経済成長と自分のビジネス活動が近い成長曲線を描いていたので、ビジネスワークをがんばることが日本の成長にも繋がったし、家の幸福度、豊かさにも繋がった時代だと思っています。でもこれは平成中期から後期にかけて一気に日本のGDPがとまり、人口減少が始まり、ルールが変わりました。日本は世界的にみても、かなり成熟した国なので、他国に先駆けて幸福度が一つの指標になりました。ビジネスを選ばない人も一定数いて良い時代であり、国です。ビジネスワーク以外にも、ファミリーワーク、カルチャーワーク、アートワーク、フィールドワークなど選択肢はあります。
うちの奥さんも子育てしています。ホームワークであり、ファミリーワークです。すごく大事な仕事です。命がかかっていますんで。一方僕は、たまたま今はオフィスワーク、ビジネスワークをやらせてもらっていますが、同時に行なっているのがアカデミックワークです。こちらも僕のミッション(学問をつくること)でもあり魂が燃えています。
僕はビジネスが得意ですし、営業も得意ですし、コンサルティングも得意です。コンサルティング提供を、企業にもするし学校にもするのが僕の宿命だと感じています。その立場として、人には早くその向き不向きを気づいてもらいたいので、なるべく10代にビジネスを知ってもらいたい。向いている人はそのままやって欲しい。向いていない人は最低限の関わり方を模索して欲しい。例えば高校時代、バンドをやっていた人も、そのまま音楽で食っていくことを10代でほぼ諦めちゃうんですね。そこから先は一般企業へ就活する・・・以上。みたいな。本当は20~60歳の40年間、本気でバンド活動を続けたら1回くらい紅白に出られるんじゃないかなって思います。向き合うことって今の時代できるんじゃないかなって。じゃあ最低いくら稼げばいいのか、それは稼ぐ必要があるのか、借りればいいのか、出資してもらうのか、今は選べる時代なので、ここをちゃんと計算していくっていうのがある意味ビジネスワークですよね。これを早く知っておくと、夢を追いかける時間は長くなる。と思っているので、これを実現したいです。
いろんなワークがある中で、ビジネスを選択して幸福になる人はそれをやればいい。もしビジネスに向いていないのなら、潔くやめるってことも現実的な選択肢です。そんなこと言ってたら食えないっていう人は、ビジネスとの関わり方を自分なりに定義する必要があります。例えば期日を切って、ここまでは週5で働くけど、ここから先はビジネスワーク週2に減らしてアートワークをメインに生きていきたいなど。キャリアブレイクと呼んでいますが、1年間ちょっと休んでみて、1回自分と向き合ってみて、魂を大事にしていくのもいいんじゃないかなと思います。
我々世代が、全員が全員、ビジネスだけをやらなくて良いと言い切れるのは、あらゆる社会インフラ・社会保障が整った国だからです。それらは諸先輩方が長年作ってきてくださったから成立しています。僕らは「車輪の再発明」をする必要はありません。次の時代に向けてやってくる課題と向き合う必要があります。その一つが個人の幸福度だと思います。
平成生まれの人たちは結構迷っていて、彼らが見えている現実と、親世代が送ってきた時代の常識とのギャップが大きく、親世代のキャリア観はこれからの未来に向けてアジャストしづらいものとなっています。そんな時代のうねりを大きく感じているティーンエージャーの方たちにいち早くビジネスを知ってもらいたいと思っています。
休日という概念はない
僕の人生は、1つの目的に対し、複数のプロジェクトが動いています。それぞれが1週間単位のスケジュール感で動いているわけではありません。短期・中期・長期の時間軸がバラバラで、一緒に仕事をする相手もバラバラなため、休日を定めることが難しいのです。時間のコントロールに全責任をとっているという意味では、毎日が休日だという捉え方もできます。
お客様にその考え方を押し付けることはしないため、アポイントの日程提示は気を付けますが、創業者系の経営者の方は、上記に近い考え方の方が多い印象です。むしろ先方の会社の休日:土日の方がリラックスして会話ができると好意的な方もいらっしゃいます
多様な働き方が許容される今の時代に、休日という概念は溶けていくと思います。とはいえ、人間なので休みの時間を確保する必要はあります。僕もそうです。ただ、丸一日休む必要はありません。身体のトレーニング同様、上半身を鍛える日もあれば、下半身を鍛える日もあり、身体を休ませる日は頭のレーニンングをするということは可能です。
学問をつくる
来年から、慶應義塾高校で選択必修科目を正式にやらせていただくことになりました。科目名は「ビジネス実践講座」卒業研究科目なので3年生が対象です。もともとあった科目ではなく、自ら企画提案し、先生に協力いただき具現化にこぎつけました。
それ以前は、事業構想大学院大学、代々木ゼミナールなどで同様に企画提案し、講座をつくるということは続けておりました。いずれも単発講座だったり、据え置きのオンライン講座であり、年間を通じた必修科目は今回からが初めてです。まずは僕が講師として立ちますが、基本的には教科としてビジネスを学問にしていきます。先生方が生徒をファシリテートできるようなプログラム作り、学習コンテンツ開発を当面はやっていきます。僕はビジネスを学習コンテンツに仕上げていく立場なのですから、自分自身もビジネスと本気で向き合い続けます。直近は上述の通りIPOを目指し実現させます。そのプロセスで得られた知見をコンテンツ開発に役立て、世に普及させていきます。本講座を成功させ、普及させ、義務教育化されるコンテンツとしてエントリーするまでをやりきります。
自分は何が残せるか ~未来に投資する~
「日本は教育が遅れている」という評論を続けても現実は変わりません。気づいちゃった自分が変える必要があると思います。10代にビジネスを教えたい。ビジネスの可能性と必要性に早く気付き、それぞれの夢を追いかける時間を増やしてあげたいと思います。
子ども世代への投資は、未来に投資することに他なりません。
歴史を紐解くと、慶應義塾の創設者:福沢諭吉先生も死後にずっと崇め続けられるって、すごいことだなと思います。自らが生前創設した学塾から輩出された人たちが日本の発展に貢献してきたという功績が、年々積み重なり増え続けています。そんな福沢諭吉先生の肩書きも、武士、蘭学者、著述家、啓蒙思想家、教育者・・・など複数あります。いろんな肩書きはありますが、何より慶應義塾を創設し、『学問のススメ』というベストセラー作品を世に出したことが大きな功績だと思います。
僕もそんな福沢諭吉先生の現代版のような存在になりたいという意味を込めて「お札の顔になる」ことを目標の1つにしています。学塾ではなく学問をつくること、ベストセラー作品を生み出すこと、これらを生きている間に達成したいと思います。
僕は100万部を狙う才能はないので、1作品:1万部を狙いつつ、100冊書けば100万部いけるかなと思っています(今のところ達成ペース)。ビジネス書で1万部は結構しんどいですが、そういう戦い方をしている人はいないので。さらに教科書を発行できれば毎年100万部近く狙えると目算しています。ただし、教科書を新しく作ろうとしても参考書にしかならないので、「新しい科目をつくる=学問をつくる」ことで達成できると考えています。無論、後付けですが、ワクワクする目標のため言葉にしています。
ビジネスパーソンへのアドバイス
~自分の魂のレベルを上げていくこと~
“自分で自分に教えてあげる。”
これまでの話と重複してしまうのであえて違う話をします。
セルフコーチングって言っていますが、結局教える人が一番学ぶんですよね。コンサルタントもコンサルタントになった瞬間が一番学ぶというか、教えているけど、教えている人が一番学ぶっていうのが、世の常です。自分自身に教えてあげるという活動をすれば多分成長スピードは確実に上がります。コーチングとは本来「教える」ことではなく「引き出すこと」ではありますが、自問自答をすることにハードルを感じる方も多くいるため、あえて「自分に教えてあげる」というステップを提唱しています。
次のステップとして、メタ認知があります。自分自身が何を感じ、何を考え、何を行動したか、振り返って自分自身に教えてあげる。過去の自分に教えてあげる。未来の自分にアドバイスする。これを繰り返すことが、メタ認知をすることに繋がります。
自己成長とかビジネススキル習得もあるんですけど、何より自分の気持ちを大事にして欲しいなって思います。自分の魂のレベルを上げていくことです。
青臭い目標とか、高い志を掲げていい時代になっているので、変な回り道をしなくても大丈夫です。戦略的な下積みは必要ですが、無駄な下積みは不要です。人口減少社会に置いて、自分のリソースの無駄遣いは罪です。諸先輩がたの努力と苦労のお陰で、やりたいことができる、きれいごとを堂々と言うことが許される時代になりました。ひと昔前はやりたいことができず、言いたいことが言えない社会だった時代もありました。あらゆるマイノリティの方々が声を上げて、社会を変えて、成熟した今の社会があります。こんな仕事は嫌だなと思ったら辞めても大丈夫、このお客さん嫌いだなと思ったら、仕事を断っても大丈夫。自分がいいと思ったことを貫ける時代になっていますから。迷ったら自分の胸に手を当てて欲しい。いろいろと本を読むのも大事ですが、同じくらいの時間をかけて、自分自身と対話して欲しいと思います。自分の心に正直になりましょうと。
■取材チームからの一言
大きな時代の変化を強く感じた2020年。
世の中の仕組みも、大きく変化していく中、福山氏はこうおっしゃいます。
『メタ認知』をしましょう! それが全てです!
お客様の元に足を運ぶ営業でトップセールスとなり、その後はコンサルティング、教育、そして経営と、さまざまな分野で、さまざまなお立場で取り組まれ、現在はビジネスリーダーとして活躍されていらっしゃいます。
有言実行、スピード感、ポリシーである『背中と言葉』で伝えること。
まさに、背中で見せることを実践、体現される福山氏の言葉一つ一つの説得力は凄まじく、まさに、『魂職』であると感じます。
そして、インタビューの中では、『諸先輩方のおかげで』と敬意を表するお姿がとても印象的でした。
心頭体すべてが柔軟に、そして、いざという時の力強さで、将来はビジネスの新しい科目ができ、いつの日か、”1万円札になる”が実現されるのではないかと思います。
インタビュー当日は、全身黒のお姿で登場。
11月12月は黒。ギグセールスのテーマカラーが黒。お客様の陰になるっていう”黒子”が美学かなと思い、それを体現しようとインナーも含めて全身黒にされているそうです。
また、軽快にストレッチを教えてくださったり、とても和やかにお話をされる姿もとても魅力的でした。
ファーストコンタクト~アポイント~インタビューまでのスピードを私たちも体感。
2月・4月には、新刊を発行される予定だそうです。
福山氏とのご縁をいただきましたこと、心から感謝を申し上げます。
ありがとうございました。
プロフィール詳細
プロフィール | 生年月日 | 1989年1月18日 |
---|---|---|
出身地 | 横浜市 | |
血液型 | A型 | |
生活リズム | 平均起床時刻 | 6:00 |
平均就寝時刻 | 24:00 | |
平均睡眠時間 | 6-8時間 | |
平均出社時刻 | 出社という概念がありません | |
平均退社時刻 | 退社という概念もありません | |
自己流 | ゲン担ぎ | 同じ服を着続けること(白Tか黒T) |
集中法 | アイスコーヒーベンティ | |
リラックス法 | 自転車での移動 | |
健康法 | 水2リットル以上/日 | |
休日の過ごし方 | 休日という概念がないです | |
座右の銘 | 背中と言葉 | |
好み | 趣味 | 物件探し/動画編集 |
好きなブランド | ペンマーク | |
好きな食べ物 | 白米 | |
好きなお酒 | 飲めません | |
好きなエリア | 南青山・渋谷・横浜 | |
好きな色 | 青 | |
お薦め | 愛読書 | 『渋谷ではたらく社長の告白』 『MAJOR』 |
ビジネスパーソンに薦めたい本 | 書店にいって目に入った本があなたの課題感です⇒それを買いましょう | |
よく行くお店 | ガスト | |
ビジネスにお薦めの店 | ニューオータニ「岡半」 | |
Voice | 秘書(社員)から一言 | とにかくスピードが早い やると決めたことをやり切る 志と考えている次元が高い(日本を背負っている) |