役者ほど素敵な商売はない
俳優
市村 正親 氏

俳優 市村 正親氏

俳優
市村 正親(いちむら まさちか)氏

俳優 市村 正親 氏

著者プロフィール

俳優
1949年 埼玉県川越市生まれ
西村晃の付き人を経て
1973年 劇団四季の「イエス・キリスト=スーパースター」でデビュー
圧倒的な演技力で同劇団の看板ミュージカルスターとして活躍
退団後は、ミュージカル、ストレートプレイ、一人芝居など様々な舞台に出演
2019年 春の旭日小勲章を受章
2020年 『ミス・サイゴン』『生きる』が上演予定

生い立ち

両親

父親は「武州新報」というローカル新聞を発行、母親は赤ちょうちん「いっちゃん」のおかみでした。父親は戦争から帰って来てから、農家の長男の権利を全部次男に譲ってまでも、俺のやりたいことをやらせてくれと貫いた人。どことなく夢やロマンみたいなものを持っている気がするね。父も母も当時はお互いに付き合っている人がいたらしいんですよ。親の命令で結婚して、どんな人かも分からないし、母は結婚初夜の日に枕元に出刃包丁入れて寝たっていうんだから。子供のころ聞いたときは本当にびっくりしましたよ。

子供の頃のエピソード ~僕なりのアイデアで周りを喜ばせる~

小学3年生の正親少年
小学3年生の正親少年

僕は無事に昭和24年1月28日に生まれて、一人っ子。両親にしてみたら目に入れても痛くないぐらいだと思いますよ。物心がついたころから、父は新聞の仕事をやっていたし、母は飲み屋をやっていたので、子供の頃は、小学校が終わるとお店でうろうろしたり、一畳ぐらいの酒蔵で寝ていたんですよ。夜お店が終わると起こされて、自転車で家に帰るの繰り返し。お店の目の前には映画館があったので、映画を見る機会が多かったな。テレビが普及し始めてからは、近所の子たちと遊んで、夕食を食べた後は、テレビを見てるみたいな。いわゆる鍵っ子ですよね。

僕はガキ大将ではなく、ガキ大将にリードしてもらっている方でしたね。だけど、リードしてもらっている中でも、僕なりのアイデアで周りの人を喜ばせたりしていました。お店の母の金庫から10円20円30円ぐらいをちょろまかして、神社の裏に埋める。翌日みんなと遊んでいる時、「わぁ!お金の匂いがするよ」って言って、前日埋めたお金を見つける。「あっ、お金だ!」「まーちゃんすごいね!」「何だか知らないけど、匂ったんだ!」みたいな感じでね。

後は、みんなで沼(伊勢沼)に赤虫を捕りに行って、それを釣り道具屋さんに売りに行ったりとかね。当時は「くずやー、おはらーい」っていうのがあり、屑鉄を集めて屑屋さんに売ったり。電線を修理しているところに行くと赤屑(※銅のこと)がいっぱい落ちているんですよ。なにせ赤は高いので。

小学生の時、山田太郎さんの「新聞少年」っていう歌が流行ったんだよね、「僕のアダナを知ってるかい朝刊太郎~♪」みたいな。僕もかぶれやすいからすぐに新聞配達やったんです(笑)。

「オペラ座の怪人」ファントム誕生秘話から、劇団四季退団の真相、蜷川幸雄が繰り出す「ダメ出し」の真意、そして突然のがん闘病まで。
演劇界のレジェンドが語る激しい舞台人生!

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学生時代のエピソード

学生時代のエピソード

中学の時、野球は巨人、相撲は大鵬・若乃花・柏戸の時代。みんな野球部に入ったんです。でも野球部に入ったら、身体を冷やすから夏泳いだらダメだっていうんですよ。泳ぎを禁止するなら野球部はダメだなと、辞めちゃったんです。野球が上手くなりたいわけじゃなく、なんとなくブームが巨人だから入っただけだったのでね。で、柔道部に引っ張られたんですよ。柔道やっていると、寝っ転がったり、押さえられたり、投げられたり、投げても受け身するから痛くないでしょ。石の上でやるわけでもないし畳の上だから。兄弟がいないからみんなに構ってもらっている気がしてね。一人っ子だから楽しかったんですよ。一対一だったしね。

絵が好きだったので、3年生になってから美術部に入りました。本当は中学校に体操部があったら入って、逆立ちとか、トンボ切ったりしたかったんですよ。きっと映画の猿飛佐助とかに影響されているんですね。それがなんだかインプットされていて、高校入ったらすぐに体操部に入ったんです。体操は好きで入ったので、泳ぎを禁止されても何されても、一生懸命頑張ったんですよ。だけど、家で練習をしていたら、当時、窓とかに使われていたダイヤモンドガラスっていうギザギザのガラスに足をぶっ込んじゃって、指が半分取れかかり16~17針縫っちゃいました。2年生の大会の時には、あまり成績がよくなく帰ってからまた練習だって時に、朝、母が風邪っぽかったことが気になって、集中力が欠けてたんだろうね。首を後ろに返し忘れて、首から落っこっちゃって、3ヶ月入院、吊ったままね。その辺りをきっかけに、なんとなく体操部から足が遠のいたのかな。

生涯の道に出会う

3年生を送る会をやろうと、同級生が、市村参加しろって、お芝居みたいなのをやったんですよ。それを見ていた演劇部顧問の茨木先生が、
「市村君お芝居興味あるの?」
「楽しいですね。」
「じゃあ演劇部入んなよ」
がきっかけで、3年生から入り、燃えちゃったんだよね。最後に火がついたのが演劇部だったんです。

そこから、とにかく、一人っ子だったから自分でどんどん行っちゃうわけです。例えば、代々木まで芝居を見に行くとか、赤坂見附の砂防会館に行くとか、当時の演劇雑誌を調べて、とにかく見に行ったんですよ。その中で、『オットーと呼ばれる日本人』という作品と出会って、
僕の生涯の道はこれだな!!と感じたんだよね。
たかだか2、3時間の間に他人の激しい人生を生きられる!!
こんな素晴らしい商売はないなって。

高校の卒業アルバムより
高校の卒業アルバムより

高校生になると、仲間と一緒に神宮球場でコーラの売り子をやったりして、そんなことをやりながら、おかげさまで、赤羽にある児童劇団に入ったんです。結構な数のオーデションを受け、日活映画『涙になりたい』に出たんです。西郷輝彦さんが主演で、恋人が松原智恵子さんで、僕の役は、松原智恵子さんの弟の友達。セリフもあってね。これが映画デビューです。実は恥ずかしいからずっと今まで内緒にしていたんですよ。何かの時に言ったら、局の方が見つけて来てくれて。18歳の僕が写っているんです。実際の現場でスターに出会って、より一層燃えちゃったんですよね。
西郷さんのようにいつか僕も主役を張る!までは思わなかったのですが、松原智恵子さんの弟の役をやっている人に対しては、「なんで俺があそこじゃないんだ!」って思いはあったな。
その頃、ハナ肇さんや青島幸男さんのところに、弟子にしてくださいって行ったんですよ。当時、週刊平凡とか週刊明星の端っこに、タレントさんの住所が出てたんですね。で行けたんです。その時、うちで取ろうってなっていたら、今の僕はいないんです、きっと。今頃、挫折しきった、違う人生があったかもしれないですね。もしかしたら、うちの母の飲み屋を継いでいたかも。

いい方の一人っ子

遊び心があって、どんどん外に出て行く。まるで子供。周りがどうしたら喜ぶかなって考えている。それね、一人っ子のサガなんですよ。一人っ子は内に入っちゃう人と、出て行く人がいる。僕は出て行くタイプ。いい方の一人っ子なんです(笑)。

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役者人生

役者人生

大きな転機

舞台芸術学院に入学し、役者の世界に1歩足を踏み出しました。僕は真面目に、一日も休まず、(舞芸に)通ったんです。なぜかというと、入学式で学長が「君たち1人のお金じゃ、これだけのカリキュラムは組めない。君たち52人全員が、入学金や授業料を払ってくれるおかげで、これだけのカリキュラムが組めるんだ。周りの51人が自分のためにお金を払ってるんだという気持ちでやりなさい」とおっしゃったんですよ。これはいい言葉だなと思って。休めば、それは人のために使うお金になっちゃうからね。なので僕は一日も休まなかったんですよ。
講師陣の中のお一人だった、西村晃さんが学校にいらした時、誰かお付きを探してるということで、無遅刻無欠席だった僕を教務の先生が紹介してくれたんですよ。
夏の1ヶ月お付きをして、また学生に戻り、卒業する間近に西村さんの芝居を見に行った時に、卒業したらどうするんだって話になり、何も決めてないって返事をすると、名古屋の名鉄ホールで芝居をやるんで、1ヶ月手伝ってくれないかと言われ、お願いしますとお返事しました。そして、この公演中に西村さんに正式に付き人をやってくれないかと誘われ、それから3年間付き人をやったことが一番の大きな転機でした。

出会いが重なる ~神様が与えてくれた3年間~

中学高校の頃から、西村さんとの大きな出会い。次々と出会いが重なっているわけですよ。
1ヶ月の名古屋公演は、文七元結をベースにした『めおと太鼓』という芝居で、主演は三木のり平さん、女房おかねに中村メイコさん、娘お久に十朱幸代さん、文七役が古今亭志ん朝さんで、長屋に住む浪人の役が西村さんでした。これがまたいい芝居だった。特に目の前で繰り広げられた三木のり平さんと志ん朝さんの『大川端』ですよ。これを1ヶ月見たんですよ。そりゃもう、こんな勉強はないですよ。同時に西村さんが出ている映画『座頭市』。目の前に勝新太郎がいるんです。その隣に、森雅之さん、西村さんがいてね。東映に行けば、萬屋錦之助さんがいて、萬屋さんが織田信長をやった時、うちの師匠が斉藤道三をやったんですね。濃姫は野川由美子さん、それをずっと見てるわけですよ。歌舞伎座の講演で萬屋さんが徳川信康役で『反逆児』をやったんです。家康が17代目勘三郎ですよ。萬屋さんの信康を歌舞伎座で、毎日見れたんですよ。すごいでしょ。おまけにそっちはシリアスな芝居。しかも映画じゃなくて、舞台だったから。生を30回見れたんですよね。中村嘉葎雄さんや、水上勉さんの『雁の寺』など、暗い芝居も僕は見ているからね。華やかなものから、お笑いから、いろんなものを見せてもらった。あのなんとも言えない時間・・・。

“その3年間は神様が僕に与えてくれたんですよ。”

いきなり弩級の現場に入って行ったわけだから。素晴らしいプロフェッショナルの俳優さんたちをまざまざと見て、それと同時にそうじゃない2番手3番手ぐらいの人を見たんですよね。その人たちは表向きと裏向きの顔が全然違って、付き人だった僕の前で出すんですよ。こんな役者にはなりたくない。なるんだったら、萬屋さん・勝さん・のり平さんみたいに、芝居のことしか話さない、愚痴言わない役者になりたいと思ったね。

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劇団四季

劇団四季

はじめてのオーデション

劇団四季時代のオフショット
劇団四季時代のオフショット

付き人時代、何か新しいことに挑戦したいと思い、バレエ教室に通ったんですよ。そこに、名倉加代子さんというダンサーの先生がいて、たまたまバレエのレッスン中、
「何やってるの?」
「特に何も。」
「だったら劇団四季のオーデション受けてみたら」
って声をかけてくれたんです。
何せ、何か来ないか?と毎日口を開けて待ってるんだから。
偶然にも、バレエ教室のピアノの先生だった木内重子ちゃんが劇団四季の女優さんだったんです。劇団四季のオーデション受けることを伝えると、ピアノカラオケを作ってもらったりして。結果的にはオーデションに通ったんです。

『ミス・サイゴン』 ~新たなエンジニアが生まれる~

今年5月から帝国劇場を皮切りに『ミス・サイゴン』の公演がスタートします。
初演から29年目なんですよ。劇団四季を辞めて、なんとか絶対取ってやるっていう意気込みで『ミス・サイゴン』のオーデション会場に行くと、「エンジニア」そのものが入って来たと審査する外人の方は思ったらしいんです。僕はそんなことはわからないから、とにかく絶対この役をとるって意気込みだけはあってね。それがなんか僕の身体から出てたんですね。オーデションに受かって、これがまた1年半というロングランだったのが良かったんですよ。

1年半の『ミス・サイゴン』が毎日本当に楽しかったんですよ。毎日好きな仕事をやるわけだから、1年半まったく飽きることなく。さすがに週10回っていうのはバテたけれども、若さがあったので、月曜日はゾクッとしたら即点滴に行ったり、週に1回のケア日でね。

『ミス・サイゴン』(写真提供/東宝演劇部)
『ミス・サイゴン』
(写真提供/東宝演劇部)

その『ミス・サイゴン』を、初演から28年経ってもやらせてもらえる。僕がダメだったらやらせてくれないわけですよ。継続させてもらっているうちに、人は“レジェンド”だって言うようになっちゃって。だけど初演の時にやったこと、4年前にやったことは忘れて、ゼロからまた作って行けるチャンスを与えてもらっているから、役者としてはこんなに励みになることはないし、またいろんな発見が出来ると思うんですね。新たなエンジニアが生まれると思うな。それは年齢も違うし、平成から令和に時代も代わったし。これまでと違うもの、どういうものが生まれるのかなーと自分自身とても楽しみです。

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本をお読みになる方へメッセージ

本をお読みになる方へメッセージ

どんな状況もポジティブに持って行ける

社会を生きていくのは大変なことが多いと思うんですよ。しょげたり、ボヤいたり、愚痴ったりする瞬間があると思うんです。この本を読んで、どんな状況もポジティブに持って行くことができるんだよって、自分の愚痴を前向きに持って行けるようなヒントになったらいいなっていうのが僕が伝えたい正直なところなんですね。

インサイドを意識をする

“インサイド”を大事にしているね。文楽もそうだけど、形じゃないんだココ(胸を押さえ)なんだよ。ココがしっかりすればブレないからね。インサイドに意識があるかどうかで、表現の仕方が違ってくると思うんですよ。だからゴルフもインサイド。体幹と頭をしっかりやればいい。池を避けちゃダメなんだよね。今朝、ユーチューブを見たんだけど、避けようとするから球が行っちゃうんだ。だったらそっちに打ってみなって。入ってもいいから。池を避けるように向いて入っちゃうんだったら、向いて入った方がいいだろってね。

■取材チームからの一言

大人の色気が滲み出ていらっしゃる、とても素敵な市村氏。
市村氏とお話しをすると、すべてが楽しく、明るい未来しか見えない。そんな気持ちになります。
人を楽しませること、喜ばせることが好きなこと。遊び心満載で茶目っ気たっぷり。
そんなお人柄が人を惹きつける魅力なのだと思います!
実は、弊社の代表ととても似ている!ちなみに弊社代表もいい方の一人っ子です(笑)

著書の中で、若い方へのメッセージが語られています。
『何かのために、誰かのためにすることではなく、自分は心の底からこれをやりたいんだという、そんな情熱を傾けられるものを見つけてほしい。』

お芝居にかける情熱
その情熱があるからこそ、何があってもポジティブに捉えることができる!
たくさんの素晴らしい出会い、チャンスをものにされる力。
初演から29年目になる今年、『ミス・サイゴン』の「エンジニア」として舞台に立たれることがすべて証明されていると思います。

『ミス・サイゴン』(←公式ホームページ)

市村氏とのご縁に心から感謝を申し上げます。
ありがとうございました。

プロフィール詳細

プロフィール 生年月日 1949年1月28日
出身地 埼玉県川越市
血液型 A型
生活リズム 平均睡眠時間 5〜6時間
自己流 ゲン担ぎ 朝、家の仏壇に手を合わせること
舞台の本番前に神棚に挨拶すること
集中法 ひとりきりになること
リラックス法 美味しいお酒を飲むこと
健康法 腹五分でおさえること
休日の過ごし方 ゴルフ
座右の銘 一生一度、おもいっきり夢いっぱい
好み 趣味 ゴルフ
好きなブランド ジルサンダー
好きな食べ物 刺身
好きなお酒 シングルモルト
好きなエリア 京都祇園
好きな色
お薦め 好きな作家 芥川龍之介
ビジネスパーソンに薦めたい本 『役者ほど素敵な商売はない』
Voice 事務所から一言 演劇を信じ、命がけで舞台に向き合ってきた半生。
演劇の神様に愛され、偉大な演劇人浅利慶太、蜷川幸雄の背中を追いかけ、越えてゆくであろう役者でもあります。
自分に正直に生き、愛に溢れた人です。

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