日本唯一の経営者専門スーツ仕立て屋
株式会社イルサルト 代表取締役
末廣 徳司(すえひろ とくじ) 氏
著者プロフィール
1972年8月 奈良市生まれ
1995年3月 早稲田大学商学部卒業
1995年4月 株式会社ワールド入社
2009年2月 株式会社イルサルト設立
ワールド在籍時は、商品開発に関わる全業務を経験し、一週間に5万点以上を売り上げる大ヒット商品を連発し、会社の販売記録を更新。独立後は、経営者、政治家、医師、芸能人、スポーツ選手などエリート15,000名以上のスーツを仕立てる。日本経済新聞社が主催する経営者向けの着こなし術セミナーにも登壇する傍ら、世界展開するブランド「トミーヒルフィガー」の商品開発プロデュースも行うなど幅広く活躍中。
執筆のきっかけ
~服のチカラを、多くの人に伝えたい~
僕自身、服に救われた経験が何度もあり、服を変えることで人生も大きく変わっていきました。閉塞感のある今の世の中で将来に対する不安を抱えている方たちに、今まで自分が経験の中で見てきた「服が持つ本当の力」というのを伝えていきたいというのが、筆を執った一番の大きな理由です。
はじめは僕も服を「モノ」として売っていました。「今はこれがトレンドですよ」「格好が良いですよ」という売り方をしていたのです。しかし、他と同じことをしていても最後は必ず値段競争になっていきますから、一人でやっている僕のような会社は絶対に勝てない。そこで、「価値」を伝えていこうと思ったんです。
そう決めたら「モノよりコトを売る」こととか「服を選ぶための基準」など、自分なりの色々な持論が出来上がってきたんです。
そうなると今度は僕の持論が本を出すに値するものなのかどうかを試してみたくなりました。本を出すためにはまず、出版社の人に「この著者の言ってることは面白い、もっと世に広めたい。」と思ってもらわないといけない。だから、自分のやってきたことは多くの人に届けるべき内容なのかどうか、それが知りたかったというのも、もう一つの理由です。
「仕事で勝てる服」と「オシャレな服」は全く違う。
「ユナイテッドアローズ」で学び
「ワールド」で大ヒットを連発したスーツ専門家だけが知っている
一生勝ち続ける服の意外すぎるルール。
生い立ち
服の家系に生まれて
父が婦人服屋さん、祖父も会社を創って服を生業にしていたという家系だったので、自分も大きくなったら服屋になるんだろうなと自然に思っていました。
子供の頃は服なんて動きやすければいいやと考えていましたが、思春期になるとだんだんと女性の目も気になり、お洒落がしたくなっていきました。生まれた環境による「自分には服に関してアドバンテージがある!」という自信も後押しとなって、自分で選んだ服を買い始めました。
高校時代に起きた大事件
僕は大阪の明星高校に通っていて、近くの女学院の女の子と仲良くなりました。普段は学校帰りだったので制服でしたけど、初めて休みの日に会うことになったとき、一番自信のあった服を着て、どこに行って何をして…とデートプランに色々と思いを巡らせながら当日待ち合わせ場所に向かいました。
そして現れた彼女に言われたのは、「よくそんな恰好でここまで来たね。」の一言。それがとてもショックで、頭の中が真っ白になりました。自分を全部否定されたような感覚でした。当然、その後のデートはキャンセルです。
それからが辛い時期の始まりでした。「彼女がそう言うってことは、みんなも口には出さないだけで実は同じように思ってるんちゃうか」と考えると、怖くて服が買えなくなりました。周りにも馬鹿にされているんじゃないかという気がして、人に会うときも疑心暗鬼になり、どんどん内向していってしまったんです。
どちらかと言えばそれまでは活発なタイプでしたが、その事件をきっかけに性格が変わっていき、いじめられるようにもなり、成績も50人中2番目だったのが1年後には下から2番目にまで落ちてしまったんです。もうすっかり自信を無くしてしまいました。
救いのコーディネートプラン
そんな僕の様子を見ていた母が、姉に「弟のために服を選んであげてよ。ダサいし性格暗いし成績悪いし、いいことないから少し気分変えてあげたら?」と言ってくれました。
そこで姉が一週間分のコーディネート表を作ってくれました。セーターはこれ、カバンはこれ、靴下の色はこれというふうに、全部絵に描いてくれたんです。うちの姉、絵がめちゃくちゃ上手いんですよ。その上、コーディネート表通りの服も実際に用意してくれました。
その時は正直、姉のセンスのどこが良いのかあまり分かりませんでした。でも姉が選んだ服を着て出掛けたら、近所のおばちゃんに「なんか今日カッコええな。」と言われたんです。今まで僕にそんなこと言ったことのないおばちゃんがです。塾では同年代の友達にも褒められました。
褒められていくうちにだんだん「いい勘違い」をするようになっていきました。意外に僕はイケてるんじゃないかと思うと、毎日がだんだん楽しくなっていったんです。
当時、ちょっとお洒落な服屋は結構入りづらくて、店員に品定めされているような気がしたのですが、姉が選んだ服を着ているときは自信満々で入ることが出来ました。すべてに自信が持てるようになって、それまでしたことのなかったナンパも出来るようになり、おまけに成績もグングン上がってとうとうクラスでトップになりました。
その時思ったんです。「服ってすごい!」と。
こんなに気分が上がって、成績まで良くなって、人と会うのも喋るのも何もかも楽しくなるなんて、服の力って本当に素晴らしいと感じました。これが服に人生を救われた原体験です。
ユナイテッドアローズとの出会い
もっと服のことを知りたいと思って、たまたま入ったのがユナイテッドアローズでした。
そこで栗野さんという方が、4時間も靴の接客をしてくれたんです。僕を見れば学生だからあまりお金は持っていないだろうなというのは分かったと思うけれど、そんなことは全然気にもせず豊富な知識でプロの接客をしてくれました。
最初は客として入ったユナイテッドアローズでしたが、栗野さんの接客に感動し、自分も接客側に回りたい、服のプロとして働きたいと思い面接を受けました。
何とか合格はしたものの、バイト初日に僕の恰好見たとたんに店長が「君は倉庫行ってくれ」と言うわけです。初日だから仕方ないと思っていたら、販売職のはずなのに結局一カ月間倉庫に行かされました。
店長からすると、こんなセンスのない販売員を店頭に立たせるわけにはいかないということだったんでしょうね。姉の選んでくれた服が古くなって着られなくなり、自分流に戻したらやっぱり駄目だったんですね(笑)。
その後やっと店頭に立たせてもらえるようになったものの、毎朝の店長による着こなしチェックでダメ出しされるのがとても嫌でした。
結局「今日は全部OK!」と言ってもらえたのは8カ月後でした。そんなにダメ出しするのならなぜ採用したのかと、半ば不貞腐れ気味に「なぜ僕を雇ったんですか?」と店長に聞いたことがありました。すると、「確かに君の服はダサかったけど、人間性がとても良いと感じたんだ。君は服さえ変われば、すごく良くなると思ったから採用したんだよ。」という思わぬ答え。これは、嬉しかったですね。
8カ月間、色々ダメ出しをされながら、ファッションセンスを徹底的に叩き込まれました。当時ユナイテッドアローズはまだ4~5店舗しかない頃で、最初のコアメンバーにファッションセンスの神髄を直接教えてもらうことができたのです。
父の店を継ぐ修業のために
ワールドへの入社動機
どちらかと言えば自分は100を120にすることはできても、0から何かを生み出すことは得意ではないと思っていました。父は理屈ではなく直感で事業を成功させていったので、父のようなタイプでないと事業を始めるのは無理だという思いもありました。だから自分は父の店を継ぐことなら出来ると考えていたんです。
当時のアパレルメーカーのほとんどが百貨店への卸しが中心だった中、ワールドは唯一、全国で小売店販売をしていました。そこで、父の店を継ぐための勉強をするならワールドが一番良さそうだと考えたんです。
また、僕は海がない奈良県の出身なので、海に対して異常なほどの憧れがありました(笑)。ワールドの本社ってポートアイランドにあるんです。海を見ながら毎日働けるってめっちゃオシャレやん!と思ったのも決め手になりました。
ワールドで得たキャリアと自信
ワールド入社後はそのまま5年ほど海外駐在になりました。当時の海外駐在はとても待遇が良かったんです。同期より何倍もお給料をもらって、お金も使わないから貯まる一方ですし、いい生活をさせてもらいました。
海外駐在を含めて若いうちに色々な経験をさせてもらったので、そろそろタイミングだと考え32歳のときにワールドを辞めて父の会社に入りました。
改革を試みるも予期せぬ展開に
ワールド時代は約100店舗、売上約300億円規模の責任者をしていたので自信もあり、自分のやり方が全てだと思っていました。
一方、当時父の会社は4店舗、売上2億円。何だかしょぼい商売だなあと思ってしまったんです。商品の仕入れにしても、店長が属人的に情緒的な判断でやっているのを見て、何だかどんくさいなあ、こんなことはワールドのようにシステムを入れて効率的にやればもっと売上が上がるのにと思っていました。
僕がワールドで実績を上げていたことは社員の人たちも知っていたので、「エース帰ってきた!」なんて皆とても歓迎してくれました。
そこで、僕はワールド流で改革を始めました。例えばすべての店舗で同じ品揃えにした方が仕入れ値を下げられます。同じ品番を会社で縦積みにした方が、利益率が良くなる訳です。
それで一年後には2億円の売上げが2.5億円程度にはなるだろうと予想していたところ、実際には1.5億円に下がり、さらに翌年には0.7億円にまで落ち込んで、結局2年で売上げを半分にしてしまったんです。
その時は、僕の理論の理解も実践もしていない社員が全部悪いと思っていました。自分が悪いとは思ってなかったんです。そして売上はそのまま更に下がっていきました。
そうすると、最初は言う事を聞いてくれていた人たちから「社長の方が優秀やったな」「2代目はあかんな」「息子はおらんほうがええんちゃう?」といった声が聞こえだしてきて、辛かったですよ。
最後は全員から無視されました。会社へ行っても誰も話しかけて来なくなり、「あん時と一緒や…」と高校時代のことがフラッシュバックしました。
服に救われた2度目の体験
そしてとうとう心の病気になりました。円形脱毛症になり、食べるか酒を飲むしか楽しみがなかったので、体重も今より20キロほど多かったと思います。
結婚して3年目の嫁さんにもさすがに心配されてしまったため、ダイエットをしてかなり痩せることが出来ました。
痩せたらまた色んな服が着られるようになり、ファッションへの興味が復活していきました。売上が下がってお金もそんなになかったけれど、工夫するうちにまた毎日が楽しくなってきて前向きにもなれました。そこで何か勉強してみようかなという意欲も出てきて、セミナーに参加してみることを思い付きました。
“経営者専門スーツ仕立て屋”の原型あらわる
参加したセミナーでは主催者の藤村正宏さんに、「末廣さんは何が好きなの?どんな時が一番楽しい?」と聞かれ、「売上が上れば楽しいし、下がれば楽しくない。それ以上でもそれ以下でもないです。」と答えました。
当時は、銀行のATMで記帳をするときガリガリ、ガリガリという音がしている時間が長ければ長いほど嬉しい…それほどお金のことしか考えていませんでした。
藤村さんがさらに「お金以外には何が好きなの?」と尋ねました。僕が「ポルシェと紳士服が好きです。」と答えると、「それなら、ポルシェ好きのための洋服屋をやったらいいんじゃないか。そうしたら経費でポルシェも買えるし、楽しいんじゃない?」と藤村さんが言ったんです。
突然の提案に戸惑う僕に藤村さんが示してくれたのは「今あるお店の一角に〈社長の息子の勝手にこだわりコーナー〉を作る」というアイディアでした。
藤村さんは「ネクタイでもネクタイピンでもポケットチーフでも何でも良いから自分の好きなものを仕事に取り入れたら、絶対何かが変わるよ。」と言ってくれました。
翌日、試しにユナイテッドアローズでネクタイを3本買ってきて、並べてみました。結局一本も売れませんでしたが、思いがけない変化がありました。ネクタイを置いたことで、お客様と話せるようになったんです。「息子が今度成人式やねんけど、どんなネクタイがいいかな?」とか、「旦那が出張に行くのにシワになりにくいスーツってある?」という質問に答えることでお客様にとても喜ばれたのです。
初めて売上以外で仕事の楽しさを感じ、新しいアイディアが二つ思い浮かびました。
一つは、「出張型仕立て屋」です。お客さんの家や会社に行って採寸し、出来上がったものを持って行くことにすれば店舗がいらないからすぐできそうだと考えました。
もう一つは、「着こなしセミナー」です。例えば営業会社で好感度の上がる着こなし術を教えたら喜ばれそうだと思いました。今から約13年前のこと、これが今のビジネスのスタートになったのです。
ビジネスポリシー
苦い経験があったからこそ大事にしている、寄り添うということ
結局、父の会社ではワールドのやり方は全くうまくいきませんでした。
ワールドは大きな会社なので、最大公約数的な商品でマスをターゲットにしていくわけです。一方、父の店では一人一人のお客様に寄り添うビジネスをしていました。
その違いを理解せず、単にワールドと同じことをしていたからうまくいかなかったのです。
僕は今、一人一人のお客様の人生に寄り添うということを大事にしています。
例えば普通のお店だと購入前にはどんな好みなのかを直截的にお客様に尋ねます。
ところが、僕はそういった質問は一切しません。その代わり、最初にお客様の話をひたすら2時間くらい聞くんです。「ヒーローインタビュー」と呼んで、その人のこれまでの人生やこれからやりたいことを徹底的に聞き、10日ほどかけてコンセプトシートのようなものを作ります。
服選びは今の自分ではなく、将来の自分を基準に考えることが大切です。今の自分を基準にすると現状維持になってしまうんです。今に満足しているのなら、今好きな服を着ればいいし、今似合う服を着ればいい。でも将来の夢や目標があるのなら、その時に自分がどんな服を着ているのかイメージして、服の好みも進化させることが必要です。
僕はお客様の過去から将来にわたる話を聞いた上で、その人の人生が最高に輝くためにはどうしたらいいか考え抜いてプレゼンし、それから服を作っていきます。
よくコーチングみたいだと言われることもあります。「服を作りに来たつもりが、自分自身のことを深く理解することになった。ここまで自分に寄り添い、理解してもらったのは初めてだ。」と涙を流すお客様もいらっしゃいます。
学生時代にいじめられたことや父の店で無視された経験から、自分のことを必要としてくれる人を大事にしたいという気持ちは他の人よりかなり強いと思います。
次世代リーダーへ向けたメッセージ
服選びの常識を捨てて輝く未来を創造しよう
自分が思っている以上に、人は可能性を持っていると思います。大ぼら吹きでもいいから、輝く未来を想像(創造)していきましょう。そんな自分の可能性に気付いてほしいと思います。
服というのは、その人の思想や世界観といった価値観が一番表れるところであり、最も分かりやすい自己表現です。自分自身をワンランクアップしようと思うのなら、一般的な服選びの常識は捨てましょう。
今似合う服でも今好きな服でも、ましてやブランド服でもないんです。自分が10年後どんなふうに活躍してるのか。どんな服を着てどんな喋り方をしているかをイメージすることが大事です。あるいは具体的にロールモデルになる人を見つけて、その人に近づくようにしていくと、一気に変化のスピードがアップします。服にはそれくらいの力があると思います。
将来の夢
~服でお客様の人生を仕立てたい~
「服で人を幸せにしたい」これに尽きます。今年50歳になりますが、「人生を賭けて、服を選ぶ価値を伝え続ける」これが自分の使命だと感じています。
僕のお客様には色々なタイプの経営者がいて、それぞれにご自分なりのゴールイメージを持っていらっしゃいます。僕は服の力で、お客様がイメージするゴールまで一緒に行くお手伝いをしていきたいと考えています。
もう一つは、この時期に苦戦している小さい会社やお店のお手伝いをすることです。小さい会社こそお客様との関係性を大事にし、選ばれる理由を明確化していけば生き残れる可能性は高いと思います。
僕がこれまでに培ってきたノウハウやテクニックを共有して、長年愛される店舗作りのお手伝いをしたいと考えています。
「服で未来を創る」という想いが根底にありますから、やりたいことはたくさんあります。90歳まで現役で仕事したいですね。
■取材チームからの一言
当日は絶妙な色合いのブルーのコートに身を包み、流石はお洒落ないで立ちでお越しくださった末廣社長。関西弁の親しみやすい口調ながら、情熱的にインタビューに応じてくださいました。
近頃は服装に関すること以外にも相談を受ける機会が増えてきたそう。既にスーツ仕立て専門店の域を飛び越えて、コンサルタントや経営者のコーチとして活躍されていると言っても過言ではないでしょう。
この本は単なる着こなし術について書かれたものではなく、自己成長意欲までかき立てられる新しいジャンルの本だと感じました。それでいて細部にわたってファッションに関する有用な具体的情報も満載です。高みを目指す方にとって、装い(外面)と心(内面)の両面で次のステップに進む重要なエッセンスが詰まっていることは間違いありません。
プロフィール詳細
プロフィール | 生年月日 | 1972年8月5日 |
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出身地 | 奈良市 | |
血液型 | A型 | |
生活リズム | 平均起床時刻 | 4:30 |
平均就寝時刻 | 22:00 | |
平均睡眠時間 | 6時間 | |
平均出社時刻 | 6:00 | |
平均退社時刻 | 18:00 | |
自己流 | ゲン担ぎ | 特になし |
集中法 | 音を消す | |
リラックス法 | 家族と過ごす | |
健康法 | 1日2食 | |
休日の過ごし方 | ゴルフ | |
座右の銘 | なせばなる なさねばならぬ 何事も | |
好み | 趣味 | ゴルフ |
好きなブランド | サントーニ、マリネッラ | |
好きな食べ物 | イタリアン全般 | |
好きなお酒 | 白ワイン | |
好きなエリア | ナポリ | |
好きな色 | 茶色 | |
お薦め | 愛読書 | 白洲次郎さんの本 |
ビジネスパーソンに薦めたい本 | 「装いの影響力」!! | |
よく行くお店 | トラットリア トマティカ、カパンナ |