タニタの働き方革命
株式会社タニタ 代表取締役社長
谷田 千里 氏

株式会社タニタ 代表取締役社長 谷田 千里氏

株式会社タニタ 代表取締役社長
谷田 千里(たにだ せんり)氏

株式会社タニタ 代表取締役社長 谷田 千里氏
株式会社タニタ 代表取締役社長 谷田 千里氏

著者プロフィール

株式会社タニタ代表取締役社長
1972年 大阪府吹田市生まれ
1997年 佐賀大学理工学部卒業
1998年 株式会社船井総合研究所入社
2001年 株式会社タニタ入社
2005年 TANITA CORPORATION OF AMERICA,INC.取締役
2007年 株式会社タニタ 取締役
2008年 株式会社タニタ 代表取締役社長就任(現職)

執筆のきっかけ

~心身の健康づくりを目指して~

一つは『危機感』です。今年の4月から「働き方改革関連法」が施行され、罰則つきの残業規制がスタートしました。「働き方改革」=残業削減と捉えられがちですが、私は残業時間のみにフォーカスした「改革」を進めても、日本は活性化しないのではないかと考えています。

『タニタの働き方革命』(日本経済新聞出版社刊)では、「日本活性化プロジェクト」という弊社で行っている取り組みについて紹介しています。簡単に説明すると、希望する社員を雇用から契約ベースの関係に転換することで、主体性を発揮できるようにしながら、報酬面でも本人の努力に報いる仕組みです。「タニタ活性化」ではなく「日本活性化プロジェクト」と名付けることで、これまでの『タニタ健康プログラム』(タニタが提供する自治体や企業向けの集団健康づくりパッケージ)と同様に、自社だけでなく他の企業や日本全体の活性化に貢献したい!という切なる願いを込めています。

少し話がそれますが、「心身の健康」と言いますよね。「心身」はなぜ「こころ」が先なのでしょうか。優先順位が高い良いものを先に言うので「心身」。心(こころ)と身(からだ)を反対には書きません。こころの健康に重きを置いていて、日本語は核心をついていると思います。
他の事例では、経営資源を表す「ヒト・モノ・カネ」。人が一番先です。日本語はすごくないですか。最近では「ヒト・モノ・カネ」に「情報」が加わっていますね。「モノ・カネ・ヒト」でもいいし、「カネ・モノ・ヒト」でもよかったかもしれないのですが、「ヒト・モノ・カネ」の順番なのです。「心身」も「ヒト・モノ・カネ」も重要なものを先に言う。よく意味をとらえて表しています。何をお伝えしたかったかと言うと、これまでは弊社ではフィジカルな面にフォーカスしてきましたが、健康は心身が関わるので、こころの健康についても考えるようになったということです。

弊社では「健康経営」に取り組んでいますが、それでも健康を損ねる人やそれを理由に会社を辞める人が出てきていました。内訳を見ていくと、こころの病が原因という場合が数件ありました。他社の例を聞いてみると、1、2割ぐらいに上るとのことでした。2割の影響は大きいので、解消できればと考えるようになりました。現在、国の政策や世の中の流れは、残業を規制する方向で進んでいます。私自身のことを考えてみると、昨日は朝7時には家を出て夜10時に帰宅。十数時間働いています。残業時間だけを考えると、過労死など健康被害の懸念があるレベルです。これが、ベンチャー企業の方々になると私以上に働いています。では、なぜそのように働き続けられるかと考えると、「自分で仕事をしている」と思っているからです。従って、社員に主体性を持ってもらうことが大切で、そのために何ができるかを考え始めました。もともとネガティブな課題の解消を目指して始めたのですが、実際に制度づくりを工夫していくと、最終的には「これこそが、タニタが提供できるこころの健康だ!」と思えるものになりました。この取り組みは社会的に意義があると自負しているので、『タニタの働き方革命』を出版することにしました。時間規制の考え方から離れて、主体性を持って働くことで、心身ともに健やかに働ける仕組みであることを理解いただき、時間にとらわれない働き方の議論が生まれればと思いました。

スポーツで例えてみます。月100時間という練習時間が設定されていたとします。上限に達したらもう帰るルールです。あと少しやれば何か掴めそうな感じがするけれども、今日はもう3時間超えているから続けられない……。それでは成長するはずがないですね。労働時間の規制はこれに近いものがあると考えています。10時間かけている事務作業を効率化して、8時間にすることは出来ると思います。ただ、それでは新しいことを生み出せない。弊社には「バーベルクラブ」というクラブ活動があるのですが、その名誉会長の筋肉増強理論が秀逸です。「筋線維はダメージを受けて切れて、それが治る時に筋線維の増強が繰り返される」と言われて、「なるほど」と思いました。これは仕事にも通じることだと思うのです。自分はここまでしかできないという限界を超えたら次は出来るようになる、少し上限が上がっている、その繰り返しで成長していくわけです。

「社長はいったい、何を言い出すんだ?!」――
タニタ食堂に続く、驚きのチャレンジ!
「会社員」と「フリーランス」のいいとこ取り。
この画期的な新制度導入をめぐる試行錯誤を描いた
迫真のノンフィクション
自由に働く。やりたいことをやりぬく。
それこそが、本当の「健康経営」だ!

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生い立ち

生い立ち

ハンガーストライキをやった理由

子ども時代は「可愛らしい」タイプではなかったですね(笑)。子どものころから何でもそつなくできた方です。
今もそうですが、自分の意見は曲げない性格でした。小さい頃、しばしばハンガーストライキをしていた記憶があります。家族で遊びに行く時に「やだ」と言って行かず、ハンガーストライキ。結局お腹が空きすぎて胃液を吐く、そんなことを小学3、4年までしていたと母が言っていました。一番多かったのは幼稚園の時のようです。今、冷静に分析すると、意見を通したいという思いもあったのですが、4人きょうだいなので、気をひいて愛情を引き出したかったのでしょうね。長男はそもそも愛情が集まる。三男は息子で一番小さいので母の愛を集められる。長女は、これは父の愛情がたくさん。次男の私は「自分はいらないんだ」と思ってしまったのでしょう。親になった今だとよくわかります。
自分を曲げなかったと言うとかっこいい話ですが、ただ単に愛情を求めていたということが大きいと思います。

帝王学 ~遊びの一環で事業に親しむ~

ご家族でのお写真
幼いころの家族での写真
左から3番目が谷田千里氏

帝王学を特別受けたという記憶はありません。『ファミスタ』というファミコンの野球ゲームが子どもの頃はやっていて、「兄弟の中で3連勝した人が社長になろう」と兄弟3人で言っていましたからね。小学生の頃は、会社についてはそういう冗談話くらいしかしていないですから、本当に記憶にありません。誰も継ぎたいとは言っていなかったです。父は聞こうとはしていたのかもしれないですが、そもそも仕事が忙しかったので、その時間はなかったのでしょう。そのような中で、私は物作りが好きだったので、父が持って帰る商品化前のサンプルでずっと遊んでいました。父に聞かれて、感想をフィードバックしていたのは、私だけだったと記憶していますし、父からもそうだったと言われています。楽しいのでやらされた感は全然なく、むしろいじりたかった。発売前のものを触れるなんて、普通に考えると信じられないことですからね。「まだ変わるけどどう思う」と聞かれると、「触っていて壊れた、どうして?」といった話を父は聞いてくれました。そのやり取りが本当に楽しかったのです。
高校時代はインターネットのホームページがはやってきたころで、タニタのホームページの構成をツリーで書いた記憶がありますね。多分父は理解していなかったでしょうが「これがなぜここにあるかわからない。これはここにある方がいい」ということを伝えました。絶対会社に持って行っていますね(笑)。

本社がある板橋で育ったので、その頃の友達は近くにいます。お互いに後を継いでいて、小学校から高校まで一緒だった不動産関係の事業をする友人が、一番仲が良いです。その子の親から「このタンクを洗ったら、お小遣いをいくらかあげる」と言われて、一緒に洗った覚えがあります。働いてお金を得た初めての経験でしたが、これは絶対に教育ですよね。友達のお父さんから教育されていますね。

学生時代

栄養士の免許を取ろうと思ったきっかけ

調理師学校時代!
調理師学校時代

高校から大学へ内部進学をせずに、調理師学校に行きました。調理師免許を取得後、椎間板ヘルニアになり、入院とリハビリで2か月半くらいベッドにいました。最終的に手術をして、治療は上手くいきましたが、主治医から調理師として働くことを止められました。18、19歳の若い身空で諦められなかったので、調理師がだめなら栄養士と思ったのがきっかけです。その後再度短大を経て大学へ通いました。  

そもそもなぜ調理師になろうと思ったか

現在の千里社長 当時と体型が変わらず素晴らしい!
ビデオレター用に
調理する現在の姿

子どもが4人いて母は忙しく、よく私が食事の手伝いをしていました。決して美化して言っているわけではないのですが、母が不在の時、子どもたちだけで食事をするわけです。
極端な話ですと、朝はお茶漬けノーマル、夜は鮭味でとお茶漬けが続いても兄は大丈夫だったようですが、私はこれが嫌でした。そこで、自分でつくることにしたのです。これが料理を始めたきっかけです。父の敷いたレールから外れたい思いがあり、「包丁1本」という感じで手に職をつけるのが早いなと思い、調理師免許を取りました。もちろん料理が好きだったことも理由の一つです。

昨日、協賛イベントのビデオレターを撮影しました。食に関するもので、まさに調理師学校に行っていたときの服装で、原稿を見ながらきゅうりを切りました。その包丁さばきを見た社員から「すごいですね!」と言ってもらえました。まだ腕は衰えていないようです(笑)。料理も仕事も通ずるところがありますね。ゴールを見据えて手間をかけるという面で。
本心は楽をしたい。楽をするために工夫をする。それがないと目の前にある仕事を改善しようという気が起きないと思うのです。

お金を稼ぐ大変さを知りたかった

高校までは実家にいて、「アルバイトはダメ、それよりやることがあるだろう」と言われていました。「自分で稼ぎたいんだ」と言ってもやらせてもらえず、初めてのアルバイトは、佐賀に行った後で、ローソンの直営店でのことです。父が佐賀に来た時に、それを知って「車でも欲しいのか」と聞かれ、「そうではなく、働いてお金を得るのが、どれだけ大変なのかを知りたい」といったやり取りをしました。ウキウキ働いていたらそういうことを言われて。本来なら逆のような気がしますけど、父としては働かせたくなかったようです。

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タニタに入社

タニタに入社

タニタに入ったきっかけ

佐賀大学卒業後に、寄り道はしましたが、船井総合研究所に入りました。会うお客様は社長や取締役が多く、経営者の考え方が理解できるようになったことで、父の考えが理解できるようになってきました。簡単に言えば私が成長して大人になったというだけなのですが。そうした頃に父からタニタに来てほしいと言われました。コンサルティングの仕事が楽しかったので、離れるのは惜しい気持ちがありました。

船井総合研究所で、得意先に同行した先輩のコンサルタントの方が「これは私が専門で取り組んでいる内容をまとめたものですので、どうぞ」と言って著書を置いていくと、「先生!」といった具合にお客様の目の色が変わるのを間近に見ていました。本の力を感じた瞬間です。そこから、いつか自分の本を出したいと思い、ノウハウを溜めるには7年ぐらいは在籍して経験を積みたいと考えていました。少なくとも3年は当たり前と思い、本を出すまでは働きたかったのです。しかし、いろんな先輩に相談したところ、「いつか戻って親孝行するんでしょう」と言われて、タニタに入ることにしました。

コンサルから平社員へ

こうして、21世紀の幕開けになる 2001年1月1日にタニタに入社しました。
間もなく20年ですね。私としては、親の敷いたレールを歩んでいない兄と私は社長にはならないだろうなと思っていました。弟が立教大学を出てるので、継ぐなら弟だと周りには言っていました。入社当初から、在庫整理や新商品企画の中止、人員削減などいろいろなことを手がけました。当時私は平社員でしたので、今思えばやってはいけなかったのかもしれないですけど、やりました。最終的には社長である父が決定したことですので、私が嫌われるのはおかしいですが、具申したのは私だと周りはわかります。コンサルタントの意識のまま、社内改革を冷徹に進めたので相当嫌われました。あの時にもう少し老獪さがあれば、そのような進め方はしなかったのですけれど。ある時父に呼ばれ、「お前はグローバル経営を学ぶべきだ。社員からクレームが多いのでほとぼりが冷めるまで国外へ」と言われ、タニタアメリカに出向しました。

アメリカ時代 ~経営者としての心構えと人との接し方を学ぶ~

アメリカ時代内部の立て直しに奮闘していた頃
アメリカ時代
内部の立て直しに奮闘していた頃

当時、海外各地の現地法人の長は日本人だったのですが、アメリカの現法ではいち早く現地でトップを採用し、オペレーションさせる試みを始めたところでした。
当初、アメリカ人社長をサポートするために来ていた日本人の上司がいました。現地での経験がある方だったので、手ほどきを受けて学ぼうと思っていましたが、前任者の大赤字が発見されて自身の人件費の現地負担を軽減させるため1年経たないうちに、日本に帰国することになり、内心焦りました。「千里さんはコンサルティング経験があるので、一人で大丈夫でしょう」と言われ、その上司の代わりに取締役に入りました。こうして、secretary and treasurer(秘書役および会計役)のポジションで働くことになりましたが、現地法人の社長は外出が多かったので、内部のことを私が中心に立て直していきました。一緒に取り組んだのが自分だからとは言いませんが、本当に敏腕の社長で、大幅に黒字になりました。
私が役に立てたこともあったかとは思いますが、その社長から学ぶことの方が多かったです。 その一つとして、取締役になってからは手帳でスケジュールをつけ続けています。「訴訟になった時、自分の行動を証明できるのはこういうものしかないから」と言われました。私が社長になって、10年経った今、スケジュールを記した手帳は10冊に上ります。今は社内システムとして導入しているグーグルカレンダーも使っているので、必要性は薄らいでいます。それでもずっと守ってつけています。
他にも、冷静に人と向き合う心構えも学びました。アメリカの現地法人社長が人員削減で女性社員に解雇を通知したことがありました。私は似たような状況で女性に泣かれたとしたら、何もできないでうろたえると思います。その社長は冷静に対応して、後で話すことを提案。そうしたところ、30分後には普通に話をしていました。こうした経験を経て、厳しいことが言える経営者としての心の持ち方や人との接し方など沢山のことを学ぶことができました。一皮どころか十皮くらいむけたアメリカ駐在時代だったと思います。

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ビジネスポリシー

ビジネスポリシー

長期利益・近江商人の心得

『長期利益』の視点で考えることをビジネスポリシーにしています。
考え方を紐解いていくと、近江商人の商売の方法に近いです。短期は見ません。自社商品を売ろうという形では考えません。
長期的にどういうことが成し遂げられるかを考えます。短期でこちらが損をしても、人間関係ができれば助けてくれるだろうと思うので、そういうことを考えながら行動しています。人との縁は大切にしているので名刺コレクターです!

将来の夢

アメリカ駐在時代、妻が時間を持てあましているようだったのでMBAに行くことを勧めました。そうしたところ、2年制のプログラムを1年半で卒業するくらい超優秀。マーケティング理論を知っていても、英語の文献を読み切るのは私にとっては難しいことですが、妻はMBAを修了して院卒の修士になっているのです。私は大卒の学士ですから、勝ちたい気持ちがあります。個人的な夢としては、リタイアするときに論文を書いて妻に勝てる学位をもらい、「博士だ」と言えるようになりたいです(笑)。「妻の学位に勝つには、大学教授になっていればいいかな」と思っています。これが個人的な夢です。

会社については、長く続くようにしたい。
そのために、自分がいなくてどれだけ回るようにできるかを日々意識しています。

リーダーに求められる資質とは

自主性だと思います。

中堅社員の育成には「グロービス・マネジメント・スクール」のサービスを利用して教育をしています。これとは別に、私が講師となって、先日、設立75周年誌を使った社内講習会を全社員に対して行いました。2019年度下期のスタートである10月1日に社内講師制度の導入を宣言しました。取締役・執行役員は必ず1回は講師を担当します。教えるときには勉強が必要になるので、講師側の勉強にもなると思い、この仕組みを考えました。まずは私から始めることにして、自らExcelの表まで作ってスケジューリングをして、その日程をも発表しました。順番の交換は許しますが、やらないのは許さないことにしています。

すべての人を健康に~顧客を広げるアプローチ~

ポップカルチャーとコラボレーションした商品
ポップカルチャーとコラボレーションした商品

さまざまな企業やアニメ・ゲームなどのポップカルチャーとコラボレーションした商品をたくさん出していることに、親しみを感じてもらい、好評をいただいています。
健康は、からだに不調を感じてから気にし始める方が多いのですが、その前に気を付けていただくことが大切だと考えています。そのきっかけとなるようなコラボレーションに今後も取り組んでいきたいと思います。

■取材チームからの一言

タニタが販売するクロロゲン酸を
豊富に含んだコーヒーと
タニタ監修の食品

『売り手によし、買い手によし、世間によし』
近江商人の商いの考え方ですが、千里社長がスタートされた「日本活性化プロジェクト」も、この考え方がベースになっています。

残業時間、制度に左右されるのではなく、働く人がやりがいを持って心身ともに健やかに働ける「健康経営」の新手法。
「日本活性化プロジェクト」は本質にアプローチした取り組みだと思います。

画期的な制度をスタートされた千里社長の頭の中を覗いてみたい気持ちです。

インタビューでは、とてもリズミカルにユーモアを交えながらの千里社長のお話に釘付けになりました。軽快なテンポに、お茶目な仕草、まるでルパン三世みたいで、人から愛される魅力をお持ちです。お顔も似ていると感じるのは私だけでしょうか。
この日は、広報担当2名もご一緒下さり、日頃からの密なコミュニケーションが伺えるやりとりは、信頼関係の賜物ですね。

私達も心身の健康への意識を再認識させていただいた有り難い一日になりました。
皆様も、心身の健康を考えるきっかけになっていただけたら幸いです!

千里社長、タニタ社の皆様とのご縁に心より感謝申し上げます。
ありがとうございました。

プロフィール詳細

プロフィール 生年月日 1972.6.6
出身地 大阪府吹田市
血液型 A型
生活リズム 平均起床時刻 6:00
平均就寝時刻 23:00
平均睡眠時間 7時間
平均出社時刻/th> 8:00
平均退社時刻 21:00
自己流 ゲン担ぎ お参り、お墓参り
集中法 基本的に、仕事モード(スーツを着る)になれば集中
リラックス法 家族と過ごす
マンガ・小説・アニメの鑑賞
健康法 歩く・食べ過ぎに注意
休日の過ごし方 掃除洗濯
座右の銘 1粒で2,3度おいしい
好み 趣味 読書、ゲーム
好きなブランド モンブラン(ペン・万年筆)
フェラガモ(靴)
好きなお酒 梅酒
好きなエリア 電脳城
(電気やコンピューター関連の商品・部品を取り扱うショップが数多く集まるビル。香港にあり、日本の秋葉原の電気街のイメージに近い。)
好きな色 黒、紺系
お薦め 愛読書 さまざまな分野を読む
十二国記(白銀の墟 玄の月)小野不由美
※18年ぶりの新刊が10月に発売
ビジネスパーソンに薦めたい本 日本の未来をつくる「啓育立国」下村博文
良くいくお店 いちけん(ときわ台)
ビジネスにお薦めの店 NINJA
Voice 秘書(社員)から一言 人との出会いをとても大事にされる方です。社員に対しては、出張の度にお土産を買ってくださる気遣い上手のボスです。外出先から帰ってくる際、嬉々として駅のスタンプラリーを集めてくるようなお茶目な一面も。そういうところも「1粒で2,3度おいしい」ですね、社長。

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