株式会社サンリオ 常務取締役(インタビュー当時)
鳩山 玲人(はとやま れひと)氏
著者プロフィール
株式会社サンリオ常務取締役、Sanrio, Inc.(米国) COO(最高執行責任者)。
1974(昭和49)年、生まれ。1997年に青山学院大学国際政治経済学部を卒業後、三菱商事に入社し、エイベックスやローソンなどのメディア・コンテンツビジネスに携わる。
2006年に渡米し、2008年にハーバード・ビジネス・スクールでMBAを取得。同年サンリオ米国法人に入社し、COO(最高執行責任者)就任。2010年に取締役事業戦略統括本部長に就任。現在、経営戦略統括本部長、海外事業本部長兼全社改革室長を担当。
執筆の動機
「本」は時空を超えた贈り物
今回で2冊目の出版になります。ですが、実はもともと執筆や出版に興味があった訳ではないのです。今回の出版には、時間をさかのぼって2つの理由があります。
まず、2013年に最初の本(「桁外れの結果を出す人は、人が見ていないところで何をしているのか 」)を出すきっかけになったのは、父です。と言っても、父は私が高校1年生の時に40歳という若さで急逝しました。
その25年前に亡くなった父が生前に書いた本の印税が、ちょうど2013年の年始に出版社から振り込まれてきたのです。本というものは本人がこの世からいなくなっても、これほど長い間、本人からのメッセージとして読み継がれ、同時に印税(といっても数百円でした)という贈り物を次の世代にまで残してくれることに驚きました。
自分の子供たちに何か残してあげたいという気持ちが高くなったのと、ちょうどその頃、親しくしていただいていた方が亡くなりました。残されたお子さんたちはまだ高校生と中学生で、父を亡くした時に私も高校生で弟が中学生だった自分の境遇に重なり合い、何か彼らの役に立てることはないだろうかと考えたのです。その時に父からの贈り物である印税のことを思い出し、私の本の印税を彼らの学費に使っていただきたいと考えました。
そして2年前に1冊目の本を出版することになり、そうしたことを継続していきたいと思いから、本を継続して書こうと思っていました。
本は、時間と空間を越えてそこに書かれたメッセージ以上のものを残してくれます。本当はこんなお話はしないことが美徳だと思いますが、本が持つ力の素晴らしさの一端をお伝えできればと思います。 これとはまったく別にもう一つの理由があります。先ほどのお話が出版の「きっかけ」だとすれば、これが今回の「動機」です。今日のこの取材にも同席してもらった江波戸裕子さんには、今回編集者として大変お世話になりました。江波戸さんは、青山学院大学の同窓(同期)からのお付き合いです。彼女とは今から3年前、最初の本より先に、私の経験をもとに海外に関する本を出そうと約束していました。先の本は、自分のこれまでのビジネススタイルについてまとめた内容でしたので、2冊目は私の海外に対する思いや、自分自身が苦労したこと乗り越えてきたことを、これから世界に出ていく人の背中を押せるような内容で書いてみたいと思いました。ところが意外と腰の重い私のせいで、約束からだいぶ時間が経ってしまいました。しかし「約束を守る」というのは、私の信念でもあります。時間がかかりましたが、企画を温めていたお蔭で、当初の企画より深みの出た内容になったと思います。
海外では、最初から優秀なメンバーでチームを作ってプロジェクトなどをスタートすることがほとんどです。中途採用なども同じ考えですね。良い仕事や待遇が欲しいのなら、「自分自身で上まで登って来い」というスタンスです。教育とか育成についてはあまり重要視されていない傾向があるかもしれません。私自身もこの本を企画した3年前は、どちらかと言えばそういう考え方をしていました。
しかし、実際に海外事業に携わる中で様々な状況や人材の課題に直面する経験を重ねるにつけ、事業をスムーズに進めるためには、周囲のメンバーをもっとグローバル化する教育も必要であるという考えに変わってきました。
その意味で、今回の企画から3年間を経て出版に至ったことは意味のあることだったと思います。
この本が、「海外でビジネスをしたい」「留学したい」と目標を持っている人や漠然とでもグローバルを意識している人、そしてこれから人生の違うステージに進みたいと考えている人も勇気づけることが出来たら、これほど嬉しいことはありません。
サンリオ常務取締役の著者の新刊。ハローキティをどのように世界展開したかなどの体験談を織り交ぜながら、ビジネスパーソンが世界で戦うための極意を語る。
生い立ち
幼少期・小学校時代 ~言葉の壁で苦労した海外生活から得たこと
父が商社マンだった関係で、3歳の時にアメリカのボストンに渡りました。英語が出来ないせいで苦労した思い出は少なくありません。
子どもにとって、目の前の状況や原因を客観的に理解するのは難しいものです。イースターの時のチョコエッグが自分の机の中にだけ入っていなかった時、差別されているのか、それとも自分に何か原因があるのか、単に先生が入れ忘れただけなのかと悶々としました。このように自分と相手の両方の気持ちを思い悩む性格が、今でも繊細な面に残っているところがあるかもしれませんね。
自分自身の辛さもそうですが、弟がいじめられていた時に兄として助けてあげられなかったことは今でも悔しく思っています。母には心配をかけたくないために知らせず、幼かった弟もそれほど傷ついていなかったのかもしれませんが、家族の中で当時の話が出る度に、今でも苦い思いになります。
幼な心に過酷な状況をどのように克服していくか、このような状況の中で自分も含めみんながハッピーでいられるようにするにはどうしたら良いかと考えるようになりました。これが原体験となり、周囲の共感を得られていない未知の環境の中で、ネガティブになりそうな気持ちをプラスの方へコントロールする力が身についていったように思います。 ボストンに続き小学校低学年までは父の転勤でオーストラリアで生活しました。
自然に囲まれたオーストラリアでの暮らしはのびのびとしていて、木登りや虫取りに夢中になりました。オーストリアには捕虫網や虫籠がないので、素手で捕まえていました。日本に帰ってきてからも、セミやトカゲを素手で捕まえては、箱にラップを張って空気穴を空けた手作りの虫篭に沢山入れていたことを思い出します。あとは、レゴブロックにもはまっていましたね。
正直、当時の勉強のことは良く覚えていないのですが(笑)、今考えるとアメリカの方が小学生の勉強の内容は深いように感じます。これは言語(母語)の特性によるところが大きいと思います。母語が英語の人たちはアルファベット26文字さえ覚えてしまえば、小学生の時から歴史や政治の話が出来るようになります。
一方、日本語はひらがな・カタカタのほかに、漢字を学ぶ必要があり、小学校の6年をかけて約1,000字を覚えます。日本では、覚えた漢字のレベル、すなわち使える単語・語彙のレベルが会話の内容のレベルに強くリンクしてしまうのです。
英語圏の子どもたちは母語の言語の特性で、小さい頃から会話の中で大人と同じ社会のトピックスにさらされるわけです。そのため、授業のほかに学校内や家庭内の会話において、アメリカの方が内容的に深くなるのではと思います。
また、アメリカと日本では学校で学びを促す方法も大きく異なっていると思います。
例えば、読書感想文。「エジソンの伝記を読んで読書感想文を書きなさい」と言われると、日本の子どもの多くは、あらすじを書いた後に「今の便利な生活はエジソンのお蔭だと思います」とか「だから、諦めないことは大事だと思いました」とか書くパターンが多いのではないでしょうか。アメリカの子どもなら、おそらく「エジソンの生き方にインスパイアされたので、僕も起業したいと思う。今考えているビジネスアイディアは、これこれこれこれで・・・」となると思います。
国語のテストでも、日本では「この文章で作者の言いたかったことを、次の5つの中から選びなさい」という設問が多いですね。自分がどう思ったかやどう考えるかということよりも、文脈や行間から相手の気持ちや考えを汲み取る姿勢が求められるのと、正解は決まっている(外から与えられる)ということが基本になっています。
私は、日本とアメリカのどちらが良くてどちらが悪いとは思っていません。良し悪しの議論はありますが、日本の国語教育のお蔭でコンテクストを読む力は圧倒的に日本人が高いと思います。
私自身が小中学生の時には意識していませんでしたが、自分に子どもが出来てから気が付いたことのひとつです。
中学校・高校時代 ~父の急逝が人生の大きな転機に
小学4年生の時に日本に帰国し中学・高校は地元の都立学校に進みました。
部活やスポーツより、音楽にはまった時期です。小学校の頃からビートルズやポップスなどを良く聴いていましたが、中学・高校になるとだんだんロックやヒップ・ホップに嗜好が変わっていきました。ここまでは恵まれた環境で思春期を過ごしてきました。 ところが、私が高校1年生の時、父が海外滞在中に過労で急逝してから、生活態度が一変しました。商社マンとして海外を飛び回っていた父は、私の憧れでもあり、誇りでもありました。その父が仕事の最中にあっけなく逝ってしまったことで、無力感に襲われ勉強にも身が入らなくなりました。高校の後半は、スケートボードを担いで夜な夜な渋谷や池袋に出かけたり、芝浦や西麻布のディスコに出入りするようになりました。
当然、学力は急降下して大学受験にも失敗し、1浪して青山学院大学の国際政治経済学部に進学しました。
大学 ~リベラルな環境でマーケティングと経営学に対する興味を育む
青山学院大学の国際政治経済学部は、帰国子女が多い学部です。ミッション系の私立というリベラルな校風も加わって、学内でも異分子の多い学部でした。
日本の集団主義を基調にした教育では、全体の平均点が高く、優等生は皆似たようなタイプになってしまいます。ところが、帰国子女はそれぞれの国でそれぞれの教育を受けてきており、得意なことと苦手なことが各人各様バラバラです。その上、何かに突出している半面、苦手なことはほとんど出来ないことがあったりもします。同じ学部でも自分の苦手なことが同期の得意分野だったり、別の分野ではその逆だったりと、それぞれが負けまいと刺激し合って切磋琢磨する、良い意味でコンペティティブ(競争的)な環境でした。実際に入学してみると、自分の性格にはマッチした大学でした。 ある日、大学進学を祝福する祖父から1通の手紙をもらいました。そこには「学びは大事だから、しっかり勉強しなさい」と書いてありました。
大学の授業は真面目にすべて出席し、質量ともにその後の大学院に比べたらまったく及びませんが、当時の大学生としては勉強していた方だと思います。 大学時代は様々なアルバイトもしました。色々なものを見たり読んだりすることで、世の中の流行やトレンドがどこにあるかのを感じたり、知ったりすることに興味があり、地元のレコード店ではいち早く新譜に触れ、コンビニでは新しく入ってくる商品や雑誌をよくチェックしたりしていました。
1~2年生ではマクロ/ミクロ経済などに対する興味から、3年生になると次第に経営やストラテジー、マーケティングや組織論などに分野が広がり、ゼミでは国際経営学科の石倉洋子先生のものを選びました。石倉先生は、日本の女性で初めてハーバード・ビジネス・スクールで経営学博士を取得した方です。今ではテレビでも企業研修でもハーバード流が取り上げられていますが、石倉先生のハーバード式の講義やケーススタディによる授業はとても刺激的でした。
業界研究や企業研究のために四季報を読み込んだり、雑誌や新聞のスクラッピングが習慣になりました。今のようにインターネットで簡単に記事検索できる時代ではなかったので、毎日コツコツ調べ、部屋の壁中が記事だらけになっていました。ゼミでテーマを取り上げた半年が終っても、卒業するまで2年間ずっとスクラッピングは続けていました。 父の姿の影響や幼い頃の海外経験から、小さい時から漠然と「海外で仕事をしてみたい」と思っていました。
就職活動では、外資系の経営戦略コンサルであるマッキンゼーとボストン・コンサルティング、マーケティングで有名なP&Gの3社を第一志望に考えていました。残念ながらマッキンゼーとボスコンはエントリーが通過せず、この時はさすがに学歴の壁にコンプレックスを感じました。
P&Gはインターンシップから参加して選考プロセスに乗り、日本企業に比べてかなり早い時期に内定をもらいました。その後、日本企業も1業種1社ずつくらい受けてそれなりに内定をいただき、三菱商事が一番遅い時期の内定となりました。
自分としては、P&Gでマーケターになるつもりでしたが、商社マンとして志半ばで倒れた父のことを思う母から「是非、商社に入社して欲しい」と請われました。商社で海外事業も出来ますし、三菱商事には社費留学制度も整っていたので、最終的に三菱商事に入社を決めました。
就職・新人時代
~異端児ながら、ビジネスの作法と事業経験をしっかりと積む
入社前の内定者の集まりには銀髪で出席して、同期の度肝を抜いてしまいました。同期135人は全体的に真面目で大人しい印象で、仲良くなったのは、どちらかというと異分子だった帰国子女の20-30名です。
最初に配属された部署はまったく海外と関係のない事業でしたが、先輩と一緒に仕事をすることが多く、電話での話し方や議事録の取り方、宴会でのビールの注ぎ方まで、日本企業におけるビジネスの基本作法を新人時代にしっかりと教えてもらいました。 また、商社では1人よりも複数(チーム)で仕事を進めることが多く、歳の離れた人とも話をしたり、組織での仕事の進め方も覚えました。
入社1年目が終わる頃から、事業会社に出向することが多くなりました。最初に出向したメモリーテックには三菱商事出身の社員が多く、次のエイベックスには私ともう一人の方だけでした。3社目のローソンは、ご存知のとおり三菱商事の社員がたくさんいます。状況や環境が異なる企業においてそれぞれに違う役割で仕事が出来たことは、非常に濃い経験になったと思います。
留学
~ハーバードではMBAビジネス・リーダーとしての「生き方」を学ぶ
2004年、サンリオとアメリカに合弁会社を作ることになり、上手く話が進めば合弁会社のCEOに就任する予定でした。初めて海外駐在できる機会を得、CEOをしながらカリフォルニア大学バークレー校のEW MBA(夕方と週末型のMBA)に通学することを考えていました。
残念ながら合弁会社設立の話は破談となり、EW MBAである必要はないため、フルタイムMBAに切り替え、ハーバード大学のビジネス・スクールに通うことにしました。
ハーバードでは量・質ともにハードでしたが、マーケティングやエンターテインメントなど興味のある分野で楽しい授業が多かったです。特に、ロバート・キャプラン(Robert Kaplan)のリーダーシップ論には影響を受けました。
ビジネス・スクールでは、経営学の理論を学べたことも貴重ですが、コースで取り上げられるテーマや教材を媒体にして、教授や仲間たちとのディスカッションや交流によって、リアルにリーダーシップや人生のあり方を学べたことは私にとって最も大きな収穫だったと思います。
ビジネス美学
相手の価値観をリスペクトし、お互いの違いを認め合うところがスタート
■約束は守る
■一度決めたことはやり抜く
■出会い大切にし、一緒に働く人を大切にする
■社会的責任を考える
将来の夢
日本のグローバル化に役立ち、世界に1人でも多くの笑顔を増やしたい
ビジネスには様々なステークホルダーがいます。仕事をしていると、ついつい目の前の利害関係者にばかり関心が向きがちですが、会社として考えれば株主や社員、社員の家族もステークホルダーですし、マーケットで考えれば消費者や流通もステークホルダーです。最近は以前に比べ、ステークホルダーの範囲が広がってきていると思います。ビジネス美学で挙げた「社会的責任」にも通じるところで、その分、社会的影響力とその責任が問われるようになってきたと言えるでしょう。
逆の言い方をすれば、個人の影響力はささやかですが、世の中に良いことを成そうと思ったら会社組織など、大きな主体が動くことで、一人でも多くの人を幸せにすることが出来るのだと思います。
1つずつプロジェクトを成功させることで個人としての成長も大事ですが、これからはもっと影響力の大きいスケールで会社や日本のグローバル化に役立てるような活動をしていきたいと思っています。
グローバル化とは、“1枚のピザ”をどの国が/どの企業がより多く取るかという競争ではありません。まず相手を受け入れて理解することで、ピザそのものを大きくし、マーケット全体・社会全体が幸せな世界になっていくことがグローバル化の姿だと考えています。
■取材チームからの一言
今やサンリオの営業利益の9割以上は、海外事業が占めています。誕生から40年以上経ち、キティちゃんを世界的に愛されるキャラクターに育て上げた鳩山常務は、とても魅力的な人でした。
名門鳩山家に生まれ、新卒で三菱商事に入社、ハーバードでMBAを修め、サンリオへ転じた後はわずか数年でキティちゃんを世界ブランドに押し上げたご経歴に、どれほど切れ者で冷然としたエリートが登場されるのかと思っていたら、冬晴れの午後、初対面とは思えないほど人懐っこい笑顔で部屋に入ってこられました。こちらの緊張も冬の薄氷のように一瞬で解け、楽しく和やかな取材となりました。 国内市場の縮小が進む中、多くの日本企業が生き残りのためにグローバル化を重要な経営方針に掲げ始めてから20年以上が経ちます。
「異文化理解力」と言いながら、実際、「グローバル化」「グローバル人材」に求められているのは、生き馬の目を抜く勢いの新興国に負けないハード・ネゴシエーションだったり、英語の社内公用語化だったり、日本式のマネジメントで現地スタッフに言うことを聞かせることだったり、一方で極端にマナーやルールをウエスタナイズするなど、変に力が入り過ぎているようなところも多いように思います。 この本で鳩山常務が度々書かれているのは、「『受け入れてあきらめる』ということ」。
人がビジネスでも知性でもパフォーマンスを最大化できるのは、力が入っていなくて(力が抜けているのではない)、安穏でご機嫌な状態です。力みや焦り、緊張や怒りやなどはある程度出力を上げる刺激になったとしても、本来その人が持っている力を最大にはしません。
鳩山常務が幼い頃の海外生活と30歳を超えてからの海外事業経験で得た知恵は、どんな相手でもまず「受容する」というシンプルで本質的なことでした。
これはグローバルにとどまらず、実は、私たちが自分の周りすべての他者と共存していくために重要なポイントではないでしょうか。
そこから自己利益だけにフォーカスするのではなく、他者や社会、さらには時間(世代)を超えた利益を考えていくことが、最終的には自分を含む世界全体の幸せを増すことになるという考えに至られたのは自然のことのように思います。
あえて『あきらめる』と一見ネガティブなワードを使ったのも、若い時の“やんちゃ”の片鱗やカルチャー好きな一端も見え、良い意味でアナーキーな感じが素敵です。
プロフィール詳細
プロフィール | 生年月日 | 1974年生まれ |
---|---|---|
出身地 | 東京都 | |
血液型 | A型 | |
生活リズム | 平均起床時刻 | 海外出張や海外とのやりとりが多いため、起きる時間も寝る時間もバラバラです。睡眠コア時間を夜中の1時-4時として、その前後をフレックス制にしています。なんとなく、どこにいても5時くらいには目が覚めてしまいます。睡眠時間を考えるとあとで辛くなることもあるので、体に聞いて、時間を見ないように心掛けています。(疲れたら寝る、元気があるなら、寝ない) |
平均出社時刻 | なるべく早く行くようにします。朝は電車がすいているし、誰もいないオフィスも好きです。 | |
自己流 | ゲン担ぎ | 忘れ物、忘れ事を一つくらいした方が物事うまくいく。 |
集中法 | 気持ちをそれに向けて高めていく。あるいは、とにかく、向きあう。 | |
リラックス法 | あまりしない。家に帰るとか。 | |
健康法 | 疲れたら寝る。 | |
休日の過ごし方 | なるべく家族と過ごす。現実は多くを出張に費やしてきた。 | |
座右の銘 | 「”You have to believe that there’s justice”/世の中に正義はある。」 「”You need leadership in all layer of the organization”/リーダーシップとは必ずしもTOPだけでなく、あらゆるレイヤーで必要であり、実践できる」 |
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好み | 趣味 | 音楽、スノーボード、読書 |
好きなブランド | コカコーラ、アップル、ハローキティ | |
好きな食べ物 | そば、米、パスタ | |
好きなお酒 | なんでも | |
好きなエリア | シリコンバレー | |
好きな色 | 赤 |
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