株式会社フォーバル 代表取締役会長
大久保 秀夫(おおくぼ ひでお)氏
著者プロフィール1954年東京都生まれ。
国内、外資のふたつの会社を経て、26歳で新日本工販株式会社(現・株式会社フォーバル)を設立。代表取締役に就任。
ビジネスホンの販売を開始。電電公社(現NTT)独占の販売市場に進出。
1988年、当時、日本最短記録で店頭登録銘柄(現・ジャスダック)として株式を公開。
同年、社団法人ニュービジネス協議会「第1回アントレプレナー大賞」を受賞。
東京商工会議所特別顧問、公益財団法人CIESF(シーセフ)理事長、NPO法人元気な日本をつくる会理事長。
「『社長力』を高める8つの法則」(実業之日本社)など著書多数。
執筆の動機
これを機に本質的な在り方を考えて欲しい
近年、何事にも「やり方」ばかりが取り上げられる傾向にある中、3.11の東日本大震災をきっかけに、「やり方」よりももっと本質なこと、つまり「在り方」が問われるようになってきた。
“人生”“教育”“政治”“家族”など、様々な「在り方」がある中で、自分自身は、以前より携わってきた“社会貢献”について自分なりの解を出そうと試みた。
例えば、「新興国に対する教育支援」と言えば、現地に学校を建てるという発想がある。勿論、これ自体が悪い訳ではないが、本質的な社会貢献とは何か?と自問自答した時に、今回、自分なりに出した解を世に示してみたいと考えるようになった。
また、起業家/企業家として、30年以上企業経営にも携わってきた経験から、企業と社会との関連性から見た企業の在り方=企業の本質については、具体的に伝えたいメッセージがある。
中でも特に若い経営者に対しては、経営のやり方やビジネスゲームばかりを学ぶのではなく、ぶれない経営者、ぶれない企業とはどうあるべきかということを最初にしっかりと考えて欲しいということである。勿論、その時代・その業界に応じたやり方も必要になるが、それはHow toである。もっとその前に大切なことは、基盤となる自分の経営・自分の企業の本質をきちんと見定め、社会や社員、市場や株主にしっかり説明できるようになることである。
自分の会社が、社会や社員にとってどのような存在価値を持つのかを明確に示すことは、まず経営者としての重要な役割であると考えている。
史上最短、最年少で株式公開!グループ企業23社中3社を上場一大ベンチャー企業グループを率いる「伝説の起業家」が語る会社を強くするリーダーのあるべき姿。 「私は、幼稚園児のときに大きな交通事故で死にかけました。母親には、お宅の息子さんは即死ですという電話が入ってきたそうです。」
本書は1回死んだ人間として私が考える「人生の成功とは何か?」「人」として、「企業」として、「社会貢献」としてのあるべき姿を解き明かしていきます。
生い立ち
交通事故が“正義感”を育て、“社会貢献”を考え続ける原点に
5歳の時、幼稚園の帰りに車にはねられる交通事故に遭い、誰もが即死と思った大怪我を負った。奇跡的に命は取り留めることが出来たが、医者には二度と歩くことは出来ないだろうと言われた。
母親は、「一度は無くした命なのだから、これからは世の中のため、人のために生きなさい」と私に言い続けた。
だが、一方、私にとっての小学校6年間は、ほぼ毎日が歩くことに対する挑戦の日々だった。 人格形成の基礎である幼少期に、母親からは“社会貢献”と“正義感”を、自分自身では“不可能に対する挑戦”という強い信念が刷り込まれたといえる。
実際、中学生時代には、歩くことから走ることへの挑戦に変わり、陸上部ではマネージャーから選手になるまでになった。
妻との運命的な出会いと結婚の決意
高校2年の夏休みに男友達4人と大島へ旅行に出かけた。
当時は、カトレア号という船で島に向かうのだが、ひどい嵐のせいで、グループの中で自分だけすっかり船酔いをしてしまった。元気な友人たちは、同じ船で三宅島に向かう女子高生グループと意気投合し、おしゃべりを楽しんでいるなかで、一人だけギターを胸に抱きかかえていた。しかし、辛い吐き気をこらえている自分の背中を見て、「私、きっとこの人と結婚する!」と直感的に思ったことを、後々になって妻から聞かされた。
当時はそんなことを知る由も余裕もなく、それ以上の接点もないまま、船が着いてそれぞれ、大島と三宅島へと別れた。
大島を後にする時、どうせなら行きの船で一緒だった女子高生グループを追って三宅島まで行ってみようということになり、三宅島のお寺の境内で寝泊りしながら、彼女たちを探した。勿論、何の手がかりもないために、1週間ほど経っても見つからず、諦めて仕方なく帰ることにした。ところが、帰りの船に乗ろうとした港で、なんと彼女達のグループにばったり会い、そこからグループ交際がスタートしたのである。
これも後からわかった話だが、私の祖父母のお墓は彼女の小学校の目の前にあり、彼女の祖父母のお墓は、私の祖父母の家の近くにあって、それぞれのご先祖様の眠る土地にも遠からぬ縁があった二人だったのである。彼女との交際は続き、検察官になりたいという想いから、大学は法学部を選んだものの、2年生までは語学と体育以外の授業には出ず、ひたすらアルバイトに励んだ。学生にしては自由になるお金もでき、結構ちゃらんぽらんな大学時代を送っていた。 それでも、一応何となく卒業ゼミぐらいは探そうと思っていた時、大学OBで、その後一橋大学の大学院を卒業し、司法試験に合格した教授による司法試験ゼミが目にとまった。
実は、大学は付属高校から進学しており、本当の志望大学への挑戦から逃げてしまったという思いを持っていた。教授の経歴を目にした時、もう自分は自分から逃げたくない、という強い気持ちが沸いてきて、これからしっかり勉強し、大学院に行って司法試験に合格するぞ!と覚悟を決めた。
しかし、司法試験は並大抵の勉強量・勉強時間で合格するようなものではないことも分かっていた。だが、それを理由に彼女との時間は減らしたくないし、また、自分の夢のために彼女と別れ悲しませるのはもっと卑怯だと思った。そこで、「司法試験を受けるから、結婚するぞ!」と彼女に宣言した。「これからお父さんに挨拶に行く!」と急に言い出した自分に困惑している彼女を急かして、そのまま実家へ案内してもらった。
突然の学生結婚の申し入れに、当然、彼女の父親は激怒し、最初は門前払い同様の状況だった。しかし、彼女の父親が次々と質問してくる心配事にひとつずつ答え、夢を諦めたくないこと、同時に彼女と別れるという無責任で卑怯なこともしたくないことを数時間かけて訴え続けた。
最終的には、「2年間で司法試験に合格しなければ、サラリーマンになる」という条件で、彼女の父親からは、その日に結婚を許してもらえることになった。
将来は検察官か警察官になりたいと思っていたが、彼女の父親からは、「もしサラリーマンになるとしても、警察官だけは駄目だ」と言われた。その理由を尋ねると、「正義感の強いお前は、真っ先に殉職してしまうから」だった。その時から、彼女の父親は、一番自分のことを理解してくれていたのである。その後も、彼女の父親は、実の息子以上に私を可愛がってくれ、今でも自分の一番の理解者は義父だったと思っている。
ビジネス美学
“人の成長”と“実力主義”が両立するグッド・カンパニーを目指して
2度の司法試験で合格が叶わず、他の学生に遅れて就職活動をスタートさせたが、なかなか内定がもらえなかった。
義父との約束でサラリーマンになることにしたが、実は司法試験の夢を捨てていなかった。会社に勤めながら試験勉強を続けようと、面接では「デスクワークを希望します」「司法試験に受かったら会社は辞めます」と受け答えしていたのである。元来の曲がったことが嫌いで嘘がつけない性格が裏目に出てしまっていたのだ。
何とか日本のアパレル会社に入社したが、年功序列の評価にうんざりし、まさか自分で希望することはないと思っていた営業への異動を希望する。しかし、異動希望が叶わなかったため、退職することにした。次は、外資系企業でフルコミッション営業となり、全国トップセールスにもなったが、社員が定着しない人材育成の考え方に違和感を覚え、社長と衝突の上、やはり退職することにした。
そこで、日本企業と外資系企業両方の良い面、長期的スパンで人を育て、結果を出した人は報われる企業を実現するために、26歳で起業することにした。
売上・利益の大きい企業はエクセレント・カンパニーと呼ばれる。一方、人を育てる企業は、グッド・カンパニーだと思っている。フォーバルはグッド・カンパニーを目指してきたが、30年経った今、それを実現することが出来たと思っている。
社会における“存在感”とは「ありがとう」の数
企業は、短期的に売上・利益の向上を目指すのではなく、自社の製品/商品・サービスを通じて、すべてお客様のためになることを考え、また、社員に対しては、自己成長の場を提供するということに存在価値がある。
エクセレント・カンパニーは最初から目指すものではなく、グッド・カンパニーとしての結果であるべきだと考えている。
これまでの企業の優劣は、「社会性」(社会的価値があるか)に優先して、「経済性」(儲かるか)で判断されていた。
しかし、「経済性」を優先させた売上・利益至上主義の企業は、そうそう長くは続かない。お客様や自社の製品/商品・サービス、社員までもが、儲けるための手段になってしまうからだ。
一方、「社会性」を優先させた社会的価値創造型の企業は、長期間にわたり、存続・継続していくのである。そこでは自社の社員を育て、安定配当で株主にも還元し、社会的責任を果たしていくのだ。
ライバルは、競合企業ではなく、お客様である。
どうしたらお客様に喜んでいただけるかということをとことんまで追求した企業は当然「存在感」が出てくる。結果としてお客様から「ありがとう」と言っていただける企業、「ありがとう」の数が多い企業が、100年、200年と永久に続いていくのである。
経営から社会貢献活動へ・・・原点回帰と公益主義
26歳で起業した時、50歳になったら引退して社会貢献活動を行おうと漠然と考えていた。
実際のスタートは若干遅れたが、カンボジアをはじめアジアの国々に活動を広げ、今では我々の方が各国から多くのことを学ばせてもらっている。
国家や生活は貧しいかもしれないが、国民は、明るく素直で元気に逞しく生きている。そこには、将来に対する希望と、実現のために努力しようとする熱い意思や意欲を強く感じる。
日本もかつては、貧しくても強く明るい健全な国だったはずである。
経済合理性を優先させた結果、疲弊し、俯きがちになってしまった日本や世界は、今こそ原点回帰をするべきだと思っている。
今こそ企業や個人の存在とは何かという原点に立ち返り、“人のために働く”“人と人との繋がりや支えあい”を大事にする 公益主義、社会合理性を優先する考え方が、まさにこれからの日本と個人を豊かにすると考えている。
将来の夢
身体の動く限り、ひとつでも多くの布石を
起業から引退予定までの24年間は、勉強して知識を蓄積し、人脈を作り、ある程度の富を蓄えるインプットの時代だと考えていた。
50歳になったら、今までの人脈を後継に引継ぎ、自分が試行錯誤で遠回りした経営の知識を移植し、蓄えた富はすべて社会に還元していくアウトプットの時代にしようと思っている。
社会貢献活動のスタートは少々出遅れたが、現在着々とアウトプットの活動を進めている。
現在進めているアジア地域への社会貢献に関しては、カンボジアからミャンマー、ラオスなど、身体の動く限りひとつでも多くの布石を打てるよう尽力したい。
国内の活動では、「大久保秀夫塾」がスタートし、自分自身が30年の経営者人生で学んだことを、今とこれからを担う経営者に伝えていきたい。振り返ると試行錯誤の30年だった。これからの経営者が自分と同じ遠回りをしなくてもいいように、企業の“在り方”を軸に考えてもらうことで、これからの日本を変革すべくリーダー教育に注力していきたいと考えている。
そして、いよいよ身体が動かなくなったときには、執筆活動でこれまでの人生で得たものを社会に還元していくつもりである。
今回、出版した「在り方」をベースとして、「企業の在り方」「教育の在り方」「父親の在り方」など、「在り方」シリーズを出版するというのも一つのアイディアだと思っている。
欲を言えば、最後に天国に行ったら、社員を含めて自分が教えた人たちが、どのように成長し、幸せになっているかを空から眺めてみたいと思っている。
語録
大久保語録1「担ぐ人/担がれる人」
世の中には、担ぐ人と担がれる人の2タイプがいる。
どちらが偉くて(上)、どちらが偉くない(下)ということではない。その人の特長や適性を生かした役割分担である。
担ぐ人は、一生懸命に人のサポートをすることが喜びであり、生きがいである。担がれる人は一生懸命担がれて、リーダーシップを発揮するべきである。双方がお互いの役割をまっとうしながら、実は双方支えあっている存在なのである。
大久保語録2「満員電車理論」
以前、家族から「パパは、そんなにたくさんの人に頼られて、だれに頼っているの?」と聞かれた時に、答えに窮したことがある。 しかし、よく考えてみたら満員電車と一緒だということが分かった。
つまり、自分は頼られれば頼られるほど、寄り掛かられれば寄り掛かられるほど倒れないということ。
自分は、支えることによって支えられていることに気がついた。
■取材チームからの一言
カンボジアは「太陽の国」と呼ばれることもあるそうだが、大久保会長は、まさに「太陽の人」。
終始輝くような笑顔で語られることは、厳しく激しい30年の経営者人生を過ごしてきたからこそ、浄化・昇華されて、たどりついた究極の結論と境地であるのだろうと感じた。
正義や善といった本質的な判断基準で生きてきた真っ直ぐさやぶれない強さと同時に、学生結婚にいたるエピソードでは、チャーミングで愛情あふれる情熱家の一面も伺えて、一度会ったら誰でもファンになってしまう魅力を持っている。
これからも関わりのあるすべての人を照らし続け、日本とアジアに明るさと力を与える存在でいていただきたい。
プロフィール詳細
プロフィール | 生年月日 | 1954/10/2 |
---|---|---|
出身地 | 東京都 | |
血液型 | A型 | |
生活リズム | 平均起床時刻 | 5時から6時の間(日によって多少違う) |
平均就寝時刻 | 12時から1時の間(日によって多少違う) | |
平均睡眠時間 | 4時間~5時間 | |
平均出社時刻 | 7時50分前後 | |
平均退社時刻 | 21時頃(日によって多少違う) | |
自己流 | ゲン担ぎ | していません |
集中法・リラックス法 | 気功(毎朝5分ほど、10年以上続けています。) | |
健康法 | スポーツジムでのウォーキング | |
休日の過ごし方 | 午前中はゆっくり過ごして、午後は体を動かす、あるいは勉強の時間にあてたりして過ごすのが好き。 | |
座右の銘 | 親孝行 | |
好み | 趣味 | スポーツ、読書、音楽鑑賞 |
好きなブランド | ダンヒル | |
好きな食べ物 | お寿司・和食すべて | |
好きなお酒 | 赤ワイン。ボルドーやブルゴーニュが好き。銘柄ではエシェゾー、ヴォーヌ・ロマネ。 | |
好きなエリア | 海外ではアジア(東南アジア)、国内ならば「青山」。 | |
好きな色 | 白、ピンク、紺 | |
Voice | 秘書(社員)から一言 | 海外出張も多いので、お体にはお気をつけ下さい。 |
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