ペネトラ・コンサルティング株式会社 代表取締役
安澤 武郎(やすざわ たけろう)氏
著者プロフィール
ペネトラ・コンサルティング株式会社代表取締役
1974年 滋賀県生まれ。
1998年 京都大学工学部卒業後、鹿島建設に勤務。
大学時代はアメリカンフットボールで2年連続日本一に貢献。
個人としても、鹿島建設時代までを含め、オールジャパンに4度選出されている。
その後、「実行力支援」に特化した経営コンサルティングファームにて事業変革手法を習得。
2012年 ペネトラ・コンサルティング株式会社を設立。
※アメリカンフットボール部での組織づくり(スポーツ推薦のない国立大学チームで日本一)
※外部コンサルタントとしての短期的な成果創出支援※企業内部の変革推進責任者としての事業変革
※同一企業での10年にわたる組織変革活動の展開(経営者の世代交代を跨いで継続的に推進)
※学生の育成活動(京都大学大学院 総合生存学館「思修館」協力講師)など多様な経験から、「成果」と「成長」を両立する独自のメソッドを確立している。著書に『京大アメフト部出身、オールジャパン4度選出の組織変革コンサルタントが見つけた仕事でもスポーツでも成長し続ける人の「壁をうち破る方法」』『ひとつ上の思考力』がある。
執筆のきっかけ
「ダブルループ学習」~学習の方法を学習する~
出版社からの依頼があったのですが、「自分の仕事の仕方、闘い方を選んでいくこと」の大切さに気づき、実践する人が増えると意義があると感じて書くことにしました。
この本の一つのコンセプトとして『ダブルループ学習』を謳っています。
世の中の多くの人は、勝つための闘い方をどう工夫したら良いかを考えています。
分かりやすい事例に、漫画の「ドラゴン桜」があります。偏差値の低い学生が東大に受かろうと一流の先生につき、学び方、どういうトレーニングをすると受かるのか、受かるという目的に対して最適な方法、作戦で学習していくストーリーです。
東大理Ⅲを卒業した学生でも、医師国家試験に受からないのはなぜか?
そういう人は「どういう勉強の仕方をすると受かるのか?」という作戦を考えていないという特徴がある、と聞いたことがあり、ダブルループ学習は世の中であまり認識されていないことがわかります。
塾や学校のシステムの中で学習を進めているだけで、自分で自分の学習カリキュラムを考えてこなかった人は、厳しい勝負にはなかなか勝てないのです。
そういう視点を持つだけでもビジネスパーソンとしての結果を出しやすいと考えます。
つまり、“ダブルループ”とは、「物事の進め方における作戦を立て、自覚して行動すること」です。
仕事についても同じようにやるべきだと思っています。
しっかりとした仕組みが出来上がっている会社は、その仕組みが出来上がっているほど、人間の力、個々の力が衰えてしまう傾向にあります。それは、深く考えなくても最初からレールがあるからです。特に大企業、優秀な人はその中でも高度な仕事をしていると思いますが、少し気を許せば、それがすべて自分の実力と勘違いしてしまったり、自分の泳いでいる水がみえない魚のように振り返ることができなかったりします。
その意味から、自分の仕事の仕方、闘い方は、その先の未来も大丈夫なのかを考えて欲しくて、ダブルループを広め、闘い方を選び実践し、応用力の高い人になるための仕事術を身に着けていただきたいと考えています。
世の中には2種類の人がいると言えます。
経験から学んだことを別の事象に応用できる人と、経験したことと同様の事象であれば、経験を活かせる人。後者でも多くのことを経験していけば、さまざまな事象に対応することが可能になりますが、ひとつの経験から法則を見出し、他の事象に応用できる前者と比べると、その成長スピードの差は歴然です。
生い立ち
幼少期 ~好奇心に従って物事を探求する経験~
滋賀県の田園地帯で自由に伸び伸び育ちました。祖父が教育者で地元の教育委員長をやっていたこともあり、祖父からさまざまなことを仕込まれました。とは言っても、勉強を強制されたことはなく、好奇心に従って物事を探求する経験、将棋の研究をしたり、ガンダムのプラモデルにハマったら徹底的に作って遊ばせてもらったり、テレビゲームにハマれば一晩中やったりと、興味を持ったことに関しては徹底的にやらせてもらえる環境でした。
今もやりたいことに関してはとことんやっています。勉強や仕事が苦痛と感じることはなく、好奇心にしたがって楽しく過ごしています。
中学・高校時代 ~チームスポーツに興味を持つ~
中学受験をしました。決して親から受けろと言われたのではなく、自分で探し、こういう学校があるから受けていいかと。滋賀県から京都の学校までどうやって通うんだと親に言われつつ、手段を考えたりしました。田舎には通えるところに塾がなかったので、我流で勉強していたのですが、結局落ちてしまったことがすごく悔しく、大学受験では、合格ラインよりも上の方に成績を上げ、試験で実力が7割8割しか発揮できなくても受かる、という作戦を立て、志望の京都大学に合格しました。これも祖父の教育のおかげだと思っています。
中学は地元の私立に行ったのですが、兄が所属をしていたバトミントン部へ入部、学校の中では大会に勝てるクラブで、地区大会で優勝するなど活躍をさせていただきました。
しかし、高校ではチームで戦うスポーツをやりたいと考えたのですが、野球やサッカーは経験者が多かったので、同じスタートラインから始められ、結構かっこいいかなと思ったアメフト部に入りました。
身体は大きくなく、昔はスマートですばしっこかったため、ボールを持って走る“ランニングバックと”いうポジションをやっていました。チームメンバーが充実していた学年であったこともあり、体を鍛えれば強くなる、強くなると勝負に勝てるという楽しさがあり、のめり込んでいきました。
大学時代 ~アメフトにのめり込んだ4年間 京大が勝てた理由~
京大を選んだ理由は、アメフトをやっていたこともあり、大学のアメフト部から声をかけてもらったことがあります。と言っても、京大には推薦入学がないので、受験して受かって入部をしてね、という勧誘だったのですが。
また、父親が設計事務所を経営していたこともあり、京大の建築学科というのは名門でしたので、そこに行って勉強とアメフトとどちらもできたら良いんじゃないかと思い、迷わず京大の工学部建築学科に決めました。
しかし、入ってみるとアメフトしかしていなかった、アメフトにのめり込んだ4年間でした。
京大のアメフト部では、高校からの経験者は貴重な存在で、1年生から試合で使ってもらっていました。
もともとボールを持って走るランニングバックでしたが、ディフェンスのラインバッカーというポジションに抜擢されました。レギュラー選手がケガをして、コーチが急ごしらえで私を起用したのです。体が大きな選手がやるイメージがあったので、大学の一部リーグのラインバッカーなんて自分にできるのかな?という不安があったことを覚えています。
しかし、やってみると工夫次第で補える余地の大きなポジションで、やりがいがありました。スカウティングチームといって対戦相手のプレーを模して練習台になるチームがつきっきりで相手をしてくれたこともあり、なんとか試合で通用したかなという感じです。 チャンスに恵まれ、そのチャンスを上手く活かせたことで、大学4年間はずっとレギュラーで試合に出られるという幸運に恵まれました。京大アメフト部が強かった一つの理由は、選手の能力を見極め大胆に抜擢していたことです。
当時の京大は勝つための「体系立てたシステム」ができ上がっていました。例えば、春と秋のシーズンは戦い方が違います。
春のシーズンは、基本的なスキル能力を身に着ける練習で、ヒットの仕方や身のこなし方の反復練習をひたすらやります。基本的な動き方を無意識でできるようにし、戦えるだけの土台を作っていきます。秋のシーズンは一発勝負!実力としては10回やって2、3回しか勝てない相手だったとしても、それを一発目に持ってくるにはどうしたらよいか。実力を100%出すこと、相手に実力を出させないためにはどんな作戦が良いかを追求します。
まさに“ダブルループ”です。どういう作戦をとるかで結果が違ってくる。この経験で今の仕事に通じるようなことを学びました。
自分は小さいのでプレースピードを速めることが重要だと考えました。プロセス分解し、自分の勝つポイントは「判断の速さで勝負」と分析し、勝てる要素を伸ばすという、普通にビジネスの世界ではされていることを実践していました。
また、日本一のチームにする・チームを日本一にできる選手になるという、ありたい姿に対して、常識にとらわれることなくゼロベースで考えていく、ということは、まさにマネジメントですべきことです。世間で言われていること、教科書に載っていることをしているだけでは勝てません。
そして、最後はセルフイメージと言いますか、正解かどうかわからないものを正解にしてしまう、決断する力、そういったものをチームで学びました。
性格は慎重と言いますか、次男坊なので地雷を踏まないように生きてきた感じです。小学校の時IQテストで「180」あったようですが、左脳型のどちらかというと頭で考えて正しいと思うことを導き出すのが好きな人間です。しかし、アメフトは正解が分かる前に動かなくてはいけないので、まさに決断の連続です。70点の判断でも早く決断をして迷わず遂行すれば結果がついてきます。
ビジネスも同じで、ビジネスアイデアで良いなと思ったものはすでに100人200人が考えているわけで、最後はいかに決断と執念でものにするかで勝負が決まる点は同じような気がします。
鹿島建設時代 ~「和を以て貴しとなす」 本当に温かい会社~
鹿島建設にはアメフトチームがあり声をかけていただきました。また、私は建築でも構造設計の方に進んでおり、鹿島建設の構造設計は日本最先端、霞が関ビルなど超高層ビルを最初に作った一流どころでしたので、そこで仕事ができ、アメフトをさせていただけるのは良いのではないかと入社しました。
本当に良い会社で、ずっと続けていたらまだまだいろいろな可能性があったと思います。しかし、入社してすぐに山一証券が自主廃業したり、バブル崩壊後の余波がゼネコン業界に押し寄せてきている時でした。福利厚生も徐々に削減されたりと、世の中全体の元気がなくなってきているように感じていました。そんな中でも職場には和があり、本当に温かい会社だったと思います。
最初の仕事は、データベースCADの開発。設計段階で建物、部材を登録したら、そのデータを連動させて自動で施工図を起こすとか、見積の数量がすぐに出てくるとか、そういうCADシステムの開発をしていました。まだまだIT技術が発展途上の環境で、完璧な仕組みが作れない中で、その仕組みを使ってどう運用するかという人間の工夫が求められるシステムでした。
イメージとしては、主要な変換はパッとスムーズに行くが、設計変更などの手修正が大変。いろいろな人に活用する意義を説き、使ってもらうことに苦労をしていました。
今の仕事に通じるのは、組織の人を動かすという意味で、いくら自分が良いと思っても人は動かないこと、どうしたら参加協力してもらえるかを学びました。
コンサルタントで独立 ~長く寄り添ってひとつの企業の発展に寄与~
大企業だと昇進もゆっくりですし、影響力を発揮するまでに時間がかかる。それは言い訳かもしれないが、若くてもできるし、外から変えるような仕事がもっと世の中には必要なんじゃないか、もっとチャレンジをしたいというフラストレーションが私の中にあり、実行支援、チェンジマネジメントを専門とするコンサルティングファームに転職をしました。
そこは、こうすればいいという戦略を提案する会社ではなく、変えるべきことを実践する、やりきって結果を出すことを支援するという会社でした。
そのコンサルティングファームの創業者は事業が思い通りに展開できていない経営者から出てくる大体の言い訳が、人がいない、時間がない、お金がないという点に着目し、企業を救うのに大事なのはソリューションの助言ではなくてその実行だと考え、実行支援メソドロジーを編み出したのでした。その手法はソクラテスメソッドと言って普遍的な考え方が含まれていました。そのファームは、非常に肌があったというか、人間の力を信じている会社でした。若い人にも非常にチャレンジングな機会が与えられます。いくらメソドロジーがあるとはいえ、それを実践し成果を出すためには、クライアント企業の方々から信頼され、組織を動かす人間力が必要でした。逆にいえば、自分次第で活躍できるフィールドは広がっていきます。
そこで大学時代の経験が非常に活きました。綱渡りのようなプロジェクトですが、毎回最後には良い結果に繋がり楽しかったですね。特に感動したことは、プロジェクト開始時点では「こんなの無理、できないです」と言われ、「チャレンジしなきゃ分からないですよね、やりましょう・・」と話をすると喧嘩になる会社がありました。行き詰っている会社でしたので。「お前の話は理想論、根拠もないのに何を言うてんねん!」と会議室から怒って出て行かれます。落ち着いた頃に「そうは言ってもやるしかないでしょう」と再び話をしにいくと、「しゃーないな、やってみるか」と行動が起きる。なんやかんやと続け、最終的には半年で、受注量が2倍になったのです。クライアントから引き上げるときには、社員総出で見送ってもらいました。外部コンサルタントの存在価値を感じられたプロジェクトでした。その後プロモートして、プロジェクトマネージャーとしてお役目を頂戴するようになりました。あるクライアントの経営者から「うちに来てしばらく改革を手伝って欲しい」というオファーをいただきまして、2年間出向することを決めました。これが非常に良い経験になります。短期では見えなかった課題や経営の奥深さがいろいろ見えてきました。私が大きく舵を切るときに強硬な態度で進めたこともあり、面従腹背で本心を明かしてくれない人ができてしまったり、そういう人との関係修復には時間を要しました。短期で成果を出すことと長く経営することを自分なりの手法で両立させたい、長く寄り添ってひとつの企業の発展にしっかり寄与できるようなコンサルティングをしたいと思って独立をしました。
自分は、人が仕事に誇りを持ち、仕事を通じて周りの人との繋がりを深め、幸せな人生を歩める会社を増やしたいということで、今の会社をやっています。
ビジネス美学
大事にしていること ~母から教育の秘訣を学ぶ~
子供のころから自由なところは首尾一貫しています。性格的なものもあり、あまり人に怒られなかったですね。決して人に媚びているわけではなく、人の期待に上手く応えるところがあるようです。
ベースとしては、自分に関わった人がちゃんと幸せになれることを大切にしています。私心に惑わされることなく、やるべきことに集中する、役割を100%の力で遂行するようにしています。祖父の葬式で、教え子たちがいっぱい来るのを見て、こういう人生を歩みたいと感じたことがあります。父親も設計事務所で信頼されて紹介で仕事を得ている話をよく聞きました。
母親は穏やかでとても褒め上手、ちょっとした子供のことに感動できる人でした。先日も実家に帰った時、靴を揃えた私に、「あんたって子はなんて素晴らしいの」って言うんですね。この歳の大人に言う言葉ではないのですが、そのプラス面を捉える感性は教育者として素晴らしい。穏やかでいることは人を育む上での秘訣だと思っております。
コンサルティングポリシー ~ゼロベースで考えること~
一つは、弊社のロゴ(名刺にも使用)に表しています。大きな丸の脇に小さな丸があるのですが、それが私の立ち位置です。企業の外でも内でもない『縁に立つ』位置が人や企業を動かす上で非常にパワーを発揮します。いろんなアプローチがあると思いますが、本当に現場まで動かそうとするならば、私は縁に立つことが重要だと思います。
いくらこれが正しいと言っても変われない人には変われない理由があり、その痛みを感じるということと、一方で安易な妥協案には同意しないというか、同調してしまうと、何も変えられないので、話をしながら粘り強く対話をしていくことがチェンジマネジメントにおいては非常に重要になってきます。
他に、クライアントを変える秘訣があるとすると、自分を変化させることだと思います。自分の教義を曲げなかったり、先生になってしまうと、良いものが生み出せず大した成果は残せない。話をしていく中で、「それ、ええやん!」と思ったらこちらも素直に変化する。「この会社にとってのベストなソリューションなのか」を一緒に追求するということが、基本であり大事なことです。面白いのはクライアントと話をしていて自分の引き出しにないアプローチが出てくる場合があります。例えば、「目標を決めずに進めたい」とか。簡単に受け入れることはできない話ですが、「なぜそう考えるのですか?」と丁寧に聴いていき、相手の中に成功イメージがあるなと思えば、「1回それでやってみよう!」と自分の中で腹を括ります。それが成功するように一生懸命取り組めば、自分だけでは決してできない成功パターンを経験し、自分の幅が広がっていきます。
マネジメントには「状況によってやり方を変える」という原則があります。似たような課題だなと思ってもゼロベースで考えることが大切です。これも京大アメフト部の教えで、監督は思考停止を嫌う方でした。「こだわりを持つな」「一度できた仕組みは壊せ」と言われ続けました。過去にとらわれず、常識にとらわれないことは本当に難しいことですが、本当に今取り組んでいることがBESTなのか? を考えることが大切です。
専門家の罠だと思うのですが、経験を積むほど常識や信条ができていきます。「ゼロベースで考えよ」と言うことは簡単ですが、それをいかに実践するか、毎回自問する、ということをコンサルティングポリシーとして大事にしています。
商い道
~自分のベースを確立して相手に意識を向けられる状態をどう作るか~
一つは自分の損得を忘れること。アメフトでもそうでしたが、自分のプレーを成功させたい、失敗したくないと思うことは本当に邪魔で、一番力を発揮できるのは、目の前のやるべきことだけを考え、対象にすべての意識を向けることです。「このお客様の仕事が追加で欲しい」とか、「チャレンジして失敗したときかっこ悪いな」とかをすべて忘れ、課題に100%向き合っているとアイデアも生まれてきます。そうやって成功させられれば次の仕事を頼まれ、紹介もしていただけるようになります。これはサラリーマンでも同じだと思います。自分の立場がどうだとか昇進がどうかとか、でも大事なのは自分の目の前の役割をしっかりやりきることです。
人間が苦しむのは自我があるからです。幸せになりたい、死にたくない、健康でいたい、好きな人と一緒にいたい、別れたくない。この自我があるから、そうならないことに対して苦しむのです。ここは重要なことで、この欠乏を追い続けても永遠に満たされることはないでしょう。まず自分がとらわれているものごとを観察すること。そして、必要なことに意識を向けなおすという訓練をすべきです。やるべきことを明確にしたり、しっかり準備をして迷いが入り込む余地をなくすことも大切です。この感覚を若い時に体感できたことが財産になっています。
そういう苦しみから人を開放することで能力を発揮させることが本当のいい組織作りの鍵になると考えています。企業にも果たすべき役割がありますし、解決すべき社会(顧客の)課題があります。そこにどれだけ全員のエネルギーを向けられているのか、が組織力を発揮できているかのバロメーターです。組織が大きくなると、その組織を維持するための監査や管理に多くのエネルギーを割いています。内向きにエネルギーを使いすぎて、外に向けるエネルギーが枯渇している企業を目にすることもあります。とてももったいないですね。
興味を持っていること ~giveの世界って面白い~
自分の幸せはもちろん大事ですが、この歳になるといかに人に返していくか、そちらを考えるようになってきました。世の中には「giveの世界」と「give and takeの世界」と「takeの世界」があり、giveの世界が面白いと思うんです。意識してやっているとそれが結果おもしろい化学反応が起きたりします。
私も結構歳をくってきましたので、若い人と接するときは謙虚であることを意識しています。若い世代の人のポテンシャルを見て、おもしろいなと思った若い人を応援していきたいと思っています。そういう人が成功することを自分の喜びにしていけると最高だと思います。自分に返ってこなくてもいいんです。自分の息子とか、巡り巡って知らないところで循環していくものだと思います。「宇宙預金」の世界です。
今、ある会社で他者応援のコミュニケーションを促進するシステムを展開する取り組みをしています。働き方改革で残業に制限がかかり、限られた時間の中でいかに仕事をするか効率が重視されます。そのため、プラスアルファで他者に貢献しようという話は全然響かないわけで、「そんなゆとりなんかないよ」と反論されてしまいます。日常業務への組み込み方、適切な評価をしていかないと実現できません。一番効果があるのは、他者応援のコミュニケーション量や質が計れるようになり、仲間への貢献が数字で見られるようにすることでしょう。
あるクライアントで成功した事例があります。毎週「周りの部署の課題、部署と部署の隙間の課題に対して、自分が何をするか」を宣言するのです。そしてその行動が実践されると、支援をもらった部門から、「誰々さんありがとう」と感謝を返すのです。これを全社で進めました。社内の雰囲気がすごく良くなり、社員に笑顔が増えました。そして、その会社を見学に来た学生が100%応募するようになります。応募してくれた理由を聞くと、「職場の空気が良かった」と応募者が口を揃えたのです。「そんなこと誰からも言われたことなかったのに」と社長が感動していました。組織が変われば人は能力を発揮できるし、人も集まってくるのです。
プライベートと仕事のバランス
結構仕事がプライベートを侵食しています。実際私の妻はワンオペだと言っておりますが、家族と過ごす日を決めています。今週も土曜日は仕事、日曜日は家族と過ごすと決め、朝から一緒に過ごし、陶芸の体験教室に連れて行ったりと楽しくやっています。
今は子供が成長期なので、プライベートは家族中心ですね。釣りが好きですが、ここ2年は行けてないです。京大アメフトが再び日本一になれるように応援したい、という思いもありますが、なかなか実行できていませんね。アメフトを頑張っている人がいれば、貢献するのも大事だと思っています。
ライオンズクラブという奉仕団体に所属をしているのですが、私が所属するピースライオンズクラブでは、今、貧困家庭の子供向けに英語の教室と食事を提供しています。以前、私は児童養護施設の子供向けに塾を作ったりしたのですが、一人で奉仕をすると自己犠牲になってしまうので、みんなでちょっとずつ時間を作り長くやるスタイルのライオンズクラブはとても良いかと思っています。で、そのピースが支援をしている生徒が今度スピーチコンテストで入賞しました。ちょっとしたバックアップでそういう人の人生が開けていくことはとても貴重なことだと思っています。まあ「それで何人救えるんだ?」という人もいますけど、私は一人でも価値があると思っています。反応のある子供は大きく支援をすることもできますし、将来の日本のリーダーが生まれて欲しいと考えています。
利他というと自己犠牲と勘違いをする人もいますが、自己犠牲では長くは続きません。まずは自分の仕事や生活を充実させて幸せな気持ちになり、その上で利他の取り組みをする事が長続きのコツです。自分のベースを確立して相手に意識を向けられる状態をどう作るかっていうところが大事な気がします。
ビジネスパーソンへのアドバイス
自分のことを心配しなくても良い状態を早く作ること
独立したころ、一つのクライアントに売上の過半を依存していました。そうなると、そこのクライアントからの評価は気になりましたし、評価を気にすると、やるべきことに100%意識を向けられないこともありました。そういう状態に陥らないようにするためには、多くの柱を打ち立てて、余計な心配をしなくて済む状態になることが必要です。ゆとりがあると真心から相手に接することができるようになっていきます。そういう意味で、依存先を増やすというのは生存能力を高めるということになります。仕事をする中で、社会の中で頼れる人をいっぱい作りましょう。社会の中で信頼される存在になればお金を借りることも簡単ですし、やりたいことを実現していけます。1社に依存するのではなく、他の会社でも通用するスキルを磨けば、余計なとらわれから解放されます。自分の実現したいことを実現することに集中することができます。
そういう意味で、家庭と職場の往復だけではなくて、公共セクターの取り組みとか、もう1個軸足を作るのがいいんじゃないかと思います。自分の軸を増やすという意味もありますし、社会からフィードバックをもらって自社サービスを進化させていくことにも役立ちますし、固定化しちゃうのが人間の特徴だとすれば客観的に自分をみられる場所に行くという意味でとても良いと思います。
■取材チームからの一言
安澤氏は、どんなお話をされるときも言葉一つ一つが前向きでいらっしゃいます。
著書の一つのコンセプトである『ダブルループ』が特別なことではなく、ベースにあり、常により良い方向に進むために意識が向かれています。
自由であることは、すべて自分の選択の積み重ねであり、責任を持つということ。それを小さい時から実践され、進化を続けられています。
自分への心配がない状態を作り、人の幸せを考えたい。良い方たちとのご縁が続くのは、ご自身が当たり前にされている習慣の積み重ねなのだと感じました。
最近の爆笑したことはなんですか?とお尋ねしたところ、思い出せないご様子。
それは、日々を楽しまれているからこそ、特別なことではないのですね。
インタビュー中も、笑いが絶えない時間となりました。
そして、ご家族のお話をされる時の表情は、優しい旦那様・パパの顔に。
インタビュー前日には、結婚記念日のお祝いで、奥様とディナーデートをされたそうです。
お忙しい毎日、日曜日以外は、11歳・8歳・4歳のお子様と過ごすお時間は少ないご様子。
「また来てね!」とはまだ言われていないと、チャーミングにお話しをされていました。父親の威厳もあり、なついてもくれているのは、自分がいないときの、子供たちへの妻の接し方が大きいと感謝をされていました。
インタビューの締めくくりは、『働く女性へのギフト』いろいろなストーリーを考えているそうです。どんな新しい仕掛けをされるのかこちらも興味津々です。
プロフィール詳細
プロフィール | 生年月日 | 1974.11.22 |
---|---|---|
出身地 | 滋賀県 | |
血液型 | B型 | |
生活リズム | 平均起床時刻 | 5:30 |
平均就寝時刻 | 24:30 | |
自己流 | ゲン担ぎ | 担がない あるがまま、なすがまま |
集中法 | 集中できないときは寝る、散歩する、 違うことをする | |
リラックス法 | ゆったりお酒を飲む 頭の中を空にする(呼吸を工夫して) | |
健康法 | 体重キープ 血糖値コントロールエアー縄跳び | |
休日の過ごし方 | 家族とお出かけ | |
座右の銘 | 我事において後悔せず (執着せず、前を向き、すべきことをする) | |
好み | 趣味 | 釣り(最近行けていない) |
好きなブランド | Made in Japan(結構、マイナーブランドを愛用しています。 人と被らない方が好きなB型) | |
好きな食べ物 | カレーライス | |
好きなお酒 | スピリッツ (ウィスキー、ブランデー、ラムなど) | |
好きなエリア | 浅草 | |
好きな色 | 赤 | お薦め | 愛読書 | ローマ人の物語(塩野七生) |
ビジネスパーソンに薦めたい本 | 論語とドラッガー(安富歩) 徳川家康(山岡荘八) | |
良くいくお店 | チアカウンター 3Wood | |
ビジネスにお薦めの店 | 鶴我 東京赤坂店(会津料理のお店) |