三越伊勢丹 ブランド力の神髄
株式会社三越伊勢丹ホールディングス 代表取締役 社長執行役員
大西 洋 氏

株式会社三越伊勢丹ホールディングス代表取締役 社長執行役員 大西洋氏

代表取締役 社長執行役員
大西 洋(おおにし ひろし)氏

株式会社三越伊勢丹ホールディングス代表取締役 社長執行役員 大西洋氏
株式会社三越伊勢丹ホールディングス代表取締役 社長執行役員 大西洋氏

著者プロフィール

株式会社三越伊勢丹ホールディングス 代表取締役 社長執行役員
株式会社三越伊勢丹 代表取締役 社長執行役員
1955年、東京都生まれ。79年、慶應義塾大学商学部を卒業後、伊勢丹に入社。
紳士服の販売員からキャリアをスタートし、プロジェクト開発・店舗開発担当となり、この間、海外勤務も経験。2003年には、新宿本店のメンズ館リモデル・オープンを成功させる。
その後、執行役員などを経て、2009年4月、伊勢丹常務執行役員と三越取締役常務執行役員を兼任。
同年6月、社長就任。12年2月より、現職。
現場の人を重視し、日々、新しい時代の百貨店のモデルづくりに挑む。
座右の銘は、「夫子の道は忠恕のみ」。

執筆の動機

百貨店の「現場」を支えるスタッフのモチベーションを高めたい

お買場に足を運ぶ大西社長
お買場に足を運ぶ大西社長

百貨店ビジネスを支えるのは、最もお客様に近いところにいる「現場」の従業員・お取組先様(当社では取引先を「お取組先様」と呼びます)です。
私は、自分が販売や商品担当だったときから、現場を最も大事に考え、行動してきました。
社長になった今でも、時間が許す限りお買場(当社では売り場のことをお客様を中心に据えて「お買場」と呼んでいます)に足を運んでいます。そこでは、現場のスタッフに、今の状況や彼らが感じていること・考えていることを聞かせてもらうのと同時に、私の思いや気付きなども直接伝える機会にしています。
また、LINEなどのデジタルなコミュニケーションツールも活用し、社内にメッセージを発信し、反応や意見をもらったりもしています。
現在、従業員数は1万2,000名を超え、店舗も日本全国に展開していますので、経営の考えを十分に伝えるには、それでもなかなか難しいものがあります。
一方、3年半前にホールディングスの社長に就任してから、お蔭様でこれまで外部向けの講演や取材の機会をいただくことも少なくありませんでした。外部にも当社グループの変革に対する考え方や取り組みをお伝えできているのではないかと思います。
そこで、これからの三越伊勢丹を「世界一の百貨店」に高めるため、日々変革を推進してくれている現場に、もっともっと私の思いを伝えたいという思いが今回の出版を後押しした一番の背景です。
当社の強みと変革の方針・方向性を本としてまとめ、外部はもとより社内に向けてメッセージを伝えることで、現場スタッフの心に私の思いを届け、さらに当社の「現場力」=「ブランド力」が上がっていくことを期待しています。

2009年6月、三越伊勢丹ホールディングスの社長に大西洋氏が就任。生き残りのカギは「現場力」にありとばかりに、仕入構造改革をはじめ、次々と新たな挑戦を行いはじめた。圧倒的なブランド力がいかに現場に支えられているか、バイヤーやスタイリスト(販売員)をはじめとする現場の声を交えながら、大西改革の全貌と経営哲学に迫る。「現場の重要性を忘れた瞬間に、三越伊勢丹という会社はダメになる」と語る大西社長。経営トップの鬼気迫る思いが結実した渾身の一冊。

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生い立ち

生い立ち

幼少期・小学校時代 
~引っ込み思案な性格から積極的な子どもに変わったころ

小学校時代
小学校時代

父は四国出身、母は満州の奉天生まれです。私は、母方の実家(東京)で生まれ、しばらく家族で間借りをさせてもらっていました。7つ上と5つ上の兄がいます。
幼稚園には行かなかったので、集団生活の経験は小学校に上がってからになります。
どちらかと言えば引っ込み思案で、低学年のうちは人と屈託なく接するのは苦手な方でした。反対に母は、お昼の時間になると給食のエプロンを届けがてら、しょっちゅう職員室に顔を出して先生方と話をしたり、PTA会長などもやるような大変積極的な性格の人でした。
4年生になると、私の良さを引き出してくれるタイプの先生に担任が変わって、本来の性格が開花したのでしょうか、生徒会長まで務めるほど明るく積極的な性格になりました。 5年生6年生のときには、通っていた小学校の警備員さんと親しくなり、可愛がってもらいました。その人は、かつてプロゴルファーを目指した人ものの叶わなかった人で、当時は小学校の警備員として勤めていました。彼は卓球も上手で、放課後になると卓球を教えてくれました。母が彼の分までお弁当を作ってくれ、それを持って公共の卓球場へ行って練習をしたり、小学生のうちから高校生とも試合をしたりしていました。

中学校時代 ~私立ののびのびとした校風の下、楽しく勉学に励む

当時はまだ中学受験は珍しい時代でしたが、私は塾に通い受験に挑戦することにしました。
志望校は残念ながら全部不合格となってしまったために、最終的には区立の中学へ進む選択肢もありましたが、担任の先生から「出来たばかりだけれど、とても良い学校があるから」と桐蔭学園を勧められて受験し、合格することできました。
私は桐蔭学園の3期生ですから、入学したときには1期生がちょうど3年生になったばかりの本当に新しい学校でした。
ここは成績順でクラス編成をとる実力主義の学校でしたが、同時に風通しの良い自由な校風で、生徒には好きなことをやられせくれるのびのびとした環境でした。
勉強も出来るようになれば公正にどんどん評価され、実力主義といっても全員が上を目指して頑張っている健全な雰囲気にあふれていました。
今から考えても、この中学校3年間が人生で一番勉強した時期だと思います。
学校の運動部では、野球部に入部しました。一方、卓球を教えてくれていた警備員さんは、中学校に上がると同時にゴルフを教えてくれるようになりました。
毎日野球の部活を終えて帰ると、続いてゴルフの練習です。スポンジボールを一日200球から300球打つ練習をみっちりやらされました。また、ボウリングにハマったのも中学の頃からでです。

高校時代 ~楽しい中学時代から一転、停滞の3年間

当時は麻布高校も学生運動の影響を受けていた
当時は麻布高校も学生運動の影響を受けていた

兄2人が受験で苦労したこともあり、ゴルフやボウリングなど私が好きなことを続けていくのなら、母としては高校は大学のある付属がよいのではと考えたようです。桐蔭学園は中・高までで、大学はないため、高校進学のタイミングでまた受験することになりました。
ところが高校受験でも志望校には全滅し、あわや浪人かと思ったところ、たまたま最後に受けた麻布高校に合格しました。
ちょうど1970年の安保闘争に絡んだ学生運動が激しい時代で、高校と高校生もその影響を受けました。入学してから半年後には、機動隊との衝突を避けるため、学校はロック・アウトされ、半年間休校となってしまいました。
学校がなくなっても、東大を受験するようなレベルの生徒は、自学自習で粛々と勉強を進めます。それ以外は、大学生と一緒になって闘争活動に巻き込まれていく生徒、授業がないことを良いことに麻雀に没頭する生徒や、好きなスポーツに黙々と励む生徒など、休校でもそれなりに自分のやるべきこと、やりたいことに熱中できる生徒が多いなか、残念なことに私はどのタイプにも属していなかったのです。
このような学習環境もあいまってモチベーションは下がり続け、中学校時代から一転して、高校3年間は人生で最も勉強をしなかった時期になってしまいました。
もともとは高校・大学一貫校を目指した受験にも失敗し、せっかく入学した進学校も時代背景から荒んだ環境のせいで、大学受験への意欲は失われていました。そこで一番楽な方法は、学校推薦で大学に進むことです。ところが、勉強もしていないのに内申書が良い訳がありません。3年生の10月には判定が出て、推薦書を出したすべての大学とも不合格でした。この時期からでは通常の受験体制も間に合うはずがなく、結局やむなく1年浪人することになりました。

大学時代 ~競馬予想の趣味が高じて、スポーツ紙に記事を連載

「六大学競馬リーグ」が話題となり<br>スポーツニッポン紙に競馬の記事を書くことに
「六大学競馬リーグ」が話題となり
スポーツニッポン紙に競馬の記事を書くことに

厳しい高校時代ではありましたが、好きなゴルフとボウリングは続けていました。高校生2年生になると、ゴルフの方はコーチである警備員さんが初めてコースに連れていってくれ、それからときどきコースにも出るようになりました。
大学に入ったら、ゴルフ部に入ると決めていました。警備員さんが中学から基礎をしっかりと教えてくれたお蔭で、同期より腕前は良かったと思います。だだ、1年経ってみると、周囲は付属から上がってきた人たちばかりになり、自分にとっては居心地が悪く、結局ゴルフ部はやめてしまいました。
勉強はあまりしない大学生活でしたが、一番のめりこんだのが「六大学競馬リーグ」です。
当時の大学生は馬券は買えなかったため、あくまでも机上での予想で各大学の有志が集まって競っていました。これがスポーツニッポンの企画として取り上げられ、土・日は「スポーツニッポン」紙に競馬の記事を書くところまでいきました。

就職活動・入社動機 ~成り行きの就職活動で伊勢丹入社

就職活動では、スポーツニッポンとJRA(日本中央競馬会)を志望しました。ところが、スポーツニッポンはその年の採用計画はゼロ、JRAは書類選考で不合格でした。
このあたりから就職に苦戦を強いられることになり、母の知人に頼って、関西を本店とする銀行へ滑り込むルートを何とか確保してもらいました。
相手に対する有り難い気持ちと同時に、自分の不甲斐なさと東京生まれ東京育ちの私としては関西で働くことに正直抵抗がありました。 また、この頃よくファミリーレストランを利用していました。ファミリーレストランに通って気が付いたのは、店長の指揮一つで店のサービスや雰囲気がまったく変わってしまうということです。お水が欲しい時、料理をこぼしてしまった時、カトラリを落としてしまった時・・・何も言わなくても、こちらの欲しいもの・して欲しいことに気付いて、さっとサービスしてくれるお店と、こちらから呼んだりお願いしたりしなければ何もしれくれないお店があります。
店のクオリティを決めるのは店長の采配だと気付いたとき、ファミリーレストランの店長になりたいと思いました。
そこで、実際にロイヤルホストの採用試験を受け、内定をいただきました。

お客様に関わる仕事がしたいと思い伊勢丹へ入社
お客様に関わる仕事がしたいと思い伊勢丹へ入社

何とか2社から内定を得ることができホッとしていたところへ、母の知人で百貨店業界のある重鎮の方から「ロイヤルホストのようにお客様に関わる仕事がしたいなら、伊勢丹という百貨店は労働条件が良い会社だから、受けてみるといいよ」と勧められました。
人から勧められ、労働条件の良さで志望するというのも成り行き的で現金な話ですが、伊勢丹からも内定をもらうことができました。
3社の中で、最終的には、東京にとどまりたいという思いから伊勢丹への入社を決めました。

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ビジネス美学

ビジネス美学

自分が「正しい」と思うことは、言ってみよう・やってみよう

先ほど就職活動の経緯でもお話したとおり、私が伊勢丹を受けてみようと思ったのも、最終的に入社を決めたのも最初から強い意志があった訳ではありません。
また、現在の社長というポジションも、誰も私が社長になるとは思っていない状況での就任でしたし、私自身も社長になることをイメージしたことはありませんでした。
それでも、私自身のキャリアのなかでは「自分が正しいと思ったことはやってみよう」ということを大事にしてきました。
1991年の春から4年ほどマレーシアの伊勢丹に総務部長として駐在していたときの社長が私の考えを尊重してくれる人で、比較的自由にやらせてもらいました。総務部長という肩書きで店頭に立つことも奨励してくれ、クアラルンプールの超高層ビル内への出店など、新しいことへの取り組みも任せてくれました。
この時の経験が大きな弾みとなって、こういう“筋”を通した生き方が私自身心地よく、またパフォーマンスにも結びつくことを意識するようになりました。

リスクテイク

もともとの性格もあるのだと思いますが、チャレンジ精神は旺盛な方だと思います。チャレンジするためには、必要なリスクはテイクするべきという考えです。
サプライチェーンの中でリスクをとらないビジネスモデルが、現在の百貨店業界の停滞を招いた一つの原因だと考えています。当社の進める「仕入構造改革」は、お取組様と一緒になり、当社も必要なリスクを負いながら、双方でより利益を分かちあえる仕組みを作り上げ、且つお客様にも当社独自の新しい価値を提供することを目指しています。
また、最近はIT業界をはじめとする新しい業界や成長している会社をベンチマークしていると、百貨店業界や当社がいかにスピード感に欠けているかということに危機感を持ちます。伸びている企業はリスクを取りながら、時代の先端でどんどん変化に対応しています。
新しい時代に、前の時代と同じことをしていても駄目なのです。新しい視点で百貨店の改革を進めてきた前社長の考え方にも大きく影響を受け、私の社長としてのスタンスもこの考え方を踏襲していきます。

「現場力」=人と人との接点から生み出される人を幸せにする力

スタイリストたちの笑顔
スタイリストたちの笑顔

小学生にとって、普通、夏休みは楽しみですよね。ところが私は、夏休み明けの登校日が楽しみだったのです。学校に行って久しぶりに友だちの○○ちゃんと会えること、○○ちゃんに会ったらどういう話をしようかと想像してるだけでわくわくしていました。登校日に、実際に友だちに会い、一緒いたり話をしたりすると、本当に感動したものです。
同じように、現場でスタイリスト(当社では販売員を「スタイリスト」と呼びます)の笑顔に出会い、言葉を交わすと、苦労や辛さは一気に吹き飛んでしまいます。
人が人を思い、言葉をかけ、おもてなしすること、笑顔で接することは、商品以上にお客様を幸せにする力だと信じています。

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将来の夢

将来の夢

三越伊勢丹グループで働く社員全員が誇りを持てる会社に

生き生きと働くスタイリスト
生き生きと働くスタイリスト

企業の価値は企業規模では決まりません。
私の考える価値ある企業として、当社グループに働く社員全員が「この会社に勤めて良かった」と思える会社にしたいと思っています。夢の実現までに、今はまだ半分くらいでしょうか。
今日も伊勢丹新宿本店に寄って、何人かのスタッフに「仕事は楽しい?」「どう?」と聞いて回りました。もちろん「楽しい」と答えてくれたスタッフもいたのですが、中に「後は報酬だけですね」と言ったスタッフがいました。これはその通りで、成果を出している人は正しく評価されなければいけません。そのために、まず一部からではありますが、来年度から販売実績に応じたインセンティブ制度を導入していきます。
百貨店のブランド力は、何といっても顧客接点である現場が支えています。この現場の力を高め、お客様と社員の両方に満足してもらうためには、期待以上の成果を出した人には相応に評価される仕組みに変えていくことが急務だと考えています。

情熱と新しい感性を持つ20代から30代社員への期待

若手スタッフとのコミュニケーション
若手スタッフとのコミュニケーション

冒頭でも、現場やLINEを通じて社内の若手スタッフとも直接コミュニケーションをとる機会やチャネルを用意していることをお話しました。
お買場での会話は、物理的・時間的な制約がありますが、LINEは一度により多くのスタッフとつながることも出来ます。帰宅途中の1時間ほどは、LINEを使ったコミュニケーションの時間にしています。
そのなかで、状況報告や情報提供のレベルを超え、具体的な提案や納得できないことへの疑問を投げかけてくる社員もいます。本気で考え、情熱を持って仕事に取り組んでいる人はきちんと言ってきてくれるのです。
ただし、頭越しにされた上司は面白くないでしょう。私としては、面白くないのであれば、上司も言ってきてくれれば良いと思っています。一方で、自分が正しいと思うことを伝えてきた社員には「それを本当に実現しようと思うのなら、実現できる方法を選びなさい」とも伝えています。
私も自分が正しいと考えて実現したいことは、経営会議や取締役会に諮り、組織としての“筋”を通すことにしています。組織の活性化や改革の糧として、若手の情熱や提案は大切にしたいので陰ながらフォローはしますが、やはり組織である以上、意思決定ラインは尊重すべきだと考えています。
今、そういった情熱と新しい感性を持った20代から30代の若手から非常に面白い提案が上がってくるようになりました。良い意味で、40代・50代の中間管理職の人たちが若手から突き上げを受けるようになってきているように思います。よりイノベーティブでスピード感を持った組織に変革するために、会社の体制としてもまだまだ考えていかなければならないことは少なくありません。
私が社長というポジションでいる期間には限りがあります。10年後には会社にもいなくなっているでしょう。でも今の若手社員が成長した10年後には、当社はきっと素晴らしい会社になっているはずだと期待が持てているのです。

■取材チームからの一言

プロモーション代表 菅原と

かつての百貨店は、お祖父ちゃん・お祖母ちゃん・お父さん・お母さんと子供たちの家族揃って休日にお出掛けできるわくわくする場所でした。今の若者は家族連れも含めて、セレクトショップやショッピングモール、アウトレット、ファストファッションなどに多く流れています。百貨店が家族全員に魅力ある場所となり、かつてのような賑いや勢いを取り戻すためには老舗百貨店として長年のロイヤリティの高いお客様も大切にしながら、次の世代を新しいお客様として取り込んでいくことは、重要なことです。
老舗百貨店の社長がLINEを活用されていらっしゃることには、正直びっくりしました。しかしそれは、大西社長が若いお客様と同じ年代の社員との接点や思いを大事にされていらっしゃる一端でもあると思います。
インタビューの中で、20代・30代は、人とのリアルな接点(現場)に加え、デジタルなコミュニケーションツール上でも相手の状況や気持ちを察する力を持っているというお話がありました。ここには、目に見える「商品」だけでなく、お客様には「満足」さらには「感動」といった目に見えないものも提供してくという百貨店の価値の本質や、今後の三越伊勢丹グループの改革の方向、新しいビジネスのヒントが隠されているように感じます。 大西社長の座右の銘は「夫子の道は忠恕のみ」とのこと。孔子の思いを弟子が解説した論語の中の言葉です。実はこの言葉は、孔子自身が語った「吾が道は、一を以って之を貫く」(私の人生はたった一つの信念に貫かれている)という言葉に続くものです。

大西社長直筆サイン

忠恕とは、まごころや相手を思いやる気持ち。大西社長ご本人の変わらぬ信念であると同時に、昔も今も、そしてこれからも百貨店がお客様に提供し続ける変わらぬ価値であるとも言えるのではないでしょうか。 大西社長のたたずまいや物腰は、品格や優雅さと同時に優しさや親しみやすさを備えています。今でも時間が許す限りお買場に足を運んでいらっしゃるそうですが、大西社長が接客をしていても、まさか社長とは気付かないかもしれません。
この本に書かれている改革を推し進める経営者としての厳しさや鋭さ、スピード感は、しっかりその奥に秘められているのでしょう。 「革新」の伊勢丹と「伝統」の三越が合併し、これからの三越伊勢丹グループが日本を代表する百貨店として、独自性ある新しい価値を生み出していくためには「変えていくべきこと」と「変えてはいけないもの」があると、大西社長はおっしゃっています。
変えてはいけない「人のありかた(忠恕)」と、時代に合わせて変えていくべき「フロアや商品・サービス、ビジネスに対する考え方」の両方を大西社長ご自身のたたずまいのなかに感じました。

プロフィール詳細

プロフィール 生年月日 1955/6/13
出身地 東京
血液型 O型
生活リズム 平均起床時刻 6:30~7:00
平均就寝時刻 0:30~1:00
平均睡眠時間 5.5~6時間
平均出社時刻 8:30
平均退社時間 18:00~19:00
自己流 健康法 今年に入ってジム
休日の過ごし方 街歩き(タウンウォッチング)、スポーツ観戦
座右の銘 夫子の道は忠恕のみ
好み 趣味 カフェ・レストラン通い、スポーツ観戦
好きな食べ物 肉(焼肉、鉄板焼、カツ)
好きなエリア 西麻布、恵比寿、青山、表参道
好きな色 ブルー、紺

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