俳優 市村 正親氏

著者インタビュー 役者ほど素敵な商売はない
俳優
市村 正親(イチムラ マサチカ)氏

生い立ち

両親

父親は「武州新報」というローカル新聞を発行、母親は赤ちょうちん「いっちゃん」のおかみでした。父親は戦争から帰って来てから、農家の長男の権利を全部次男に譲ってまでも、俺のやりたいことをやらせてくれと貫いた人。どことなく夢やロマンみたいなものを持っている気がするね。父も母も当時はお互いに付き合っている人がいたらしいんですよ。親の命令で結婚して、どんな人かも分からないし、母は結婚初夜の日に枕元に出刃包丁入れて寝たっていうんだから。子供のころ聞いたときは本当にびっくりしましたよ。

子供の頃のエピソード ~僕なりのアイデアで周りを喜ばせる~

小学3年生の正親少年
小学3年生の正親少年
僕は無事に昭和24年1月28日に生まれて、一人っ子。両親にしてみたら目に入れても痛くないぐらいだと思いますよ。物心がついたころから、父は新聞の仕事をやっていたし、母は飲み屋をやっていたので、子供の頃は、小学校が終わるとお店でうろうろしたり、一畳ぐらいの酒蔵で寝ていたんですよ。夜お店が終わると起こされて、自転車で家に帰るの繰り返し。お店の目の前には映画館があったので、映画を見る機会が多かったな。テレビが普及し始めてからは、近所の子たちと遊んで、夕食を食べた後は、テレビを見てるみたいな。いわゆる鍵っ子ですよね。

僕はガキ大将ではなく、ガキ大将にリードしてもらっている方でしたね。だけど、リードしてもらっている中でも、僕なりのアイデアで周りの人を喜ばせたりしていました。お店の母の金庫から10円20円30円ぐらいをちょろまかして、神社の裏に埋める。翌日みんなと遊んでいる時、「わぁ!お金の匂いがするよ」って言って、前日埋めたお金を見つける。「あっ、お金だ!」「まーちゃんすごいね!」「何だか知らないけど、匂ったんだ!」みたいな感じでね。

後は、みんなで沼(伊勢沼)に赤虫を捕りに行って、それを釣り道具屋さんに売りに行ったりとかね。当時は「くずやー、おはらーい」っていうのがあり、屑鉄を集めて屑屋さんに売ったり。電線を修理しているところに行くと赤屑(※銅のこと)がいっぱい落ちているんですよ。なにせ赤は高いので。

小学生の時、山田太郎さんの「新聞少年」っていう歌が流行ったんだよね、「僕のアダナを知ってるかい朝刊太郎~♪」みたいな。僕もかぶれやすいからすぐに新聞配達やったんです(笑)。

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