「区分所有オフィス」投資による最強の資産防衛
株式会社ボルテックス 代表取締役社長
宮沢 文彦 氏

株式会社ボルテックス 代表取締役社長 宮沢文彦氏

株式会社ボルテックス 代表取締役社長
宮沢 文彦(みやざわ ふみひこ)氏

株式会社ボルテックス 代表取締役社長 宮沢文彦氏

著者プロフィール

株式会社ボルテックス 代表取締役社長
1965(昭和40年)生まれ群馬県前橋市出身
1989年 早稲田大学商学部卒業後、ユニバーサル証券株式会社(現三菱UFJモルガン・スタンレー証券株式会社)に入社
1995年 株式会社レーサム・リサーチ(現株式会社レーサム)に入社
1999年 株式会社ボルテックスを設立

執筆の動機

より多くの人に「区分所有オフィス®」について興味をもっていただきたい

勝ち残る企業のための
不動産投資バイブル
革新的戦略
「区分所有オフィス」

2年前に「勝ち残る企業のための不動産投資バイブル 革新的戦略『区分所有オフィス』」を出版いたしました。

こちらは区分不動産の内容について上級者向けの著書になっていました。そこで今回は初心者でも読みやすく、そして、より多くの人に新しい不動産投資商品である区分所有オフィスについて興味をもっていただきたく執筆いたしました。

株、保険、太陽光発電への投資など中小企業のオーナーが取るべき資産防衛術は数多く存在する。しかしそのどれもが確実性に欠ける、オススメできないものばかりだ。そこで注目したいのが「都心の中規模オフィスビルの区分所有」。手ごろ感もあって売れ筋の小型ビルを一棟で購入するのではなく、あえて中型を区分所有するのは3つの大きなメリットがあるからである。本書ではそのメリットはもちろん、安定した賃料収入を得られ、節税効果も抜群な「オフィスの区分所有」の詳細を余すことなく紹介する。

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生い立ち

生い立ち

幼少期~中学生 へそ曲がりだった少年時代

人とは違った考え方を持つ少年だった。
人とは違った考え方を持つ少年だった

小学生低学年の時からとにかくへそ曲がりな子供でした。

算数の授業で「1+1=?」といった問題を出されます。この時、素直に2という答えを出すよりも、学校で教える計算の過程とは違う答えを出そうとする子供でした。別に間違った答えを出すのではなく、ひねりを加えて答えを出したかったのです。

当時を思い出すと、なんとなくですが全てにおいて懐疑的でした。大人や先生は意見を言ってきます。その意見に対して「これは本当なのか」と常に考えており、とにかく、大人達の言葉には常に疑問を持っていました。

なぜ、そのような考え方をしていたかというと、皆さんも経験があると思いますが、両親や大人にいわれたとおりの事をやったのに上手くいかずに、怒られたりしたことがあるからだと思います。それらに納得のいかなかったのが一因になったのかもしれません。

中学生時代 劣等感が強かった中学生時代

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中学生時代は劣等感が強かった

小学校時代は特に勉強はしていませんでしたが成績は良かったです。しかし、中学生の頃から試験勉強のため、自宅で勉強をする機会が多くなると成績は下降しました。

また、この頃は非常に劣等感が強かったのです。ふとした時に周りを見てみると、自己顕示欲が強い人間が目に付いてしまいました。

勉強が出来るタイプや喧嘩が強い同級生など、様々なタイプの人間が目に付いてしまい、自分の優位性を証明できないと思っていたからです。

いじめから学んだ事

中学生時代には今でも後悔していることがあります。いじめた事といじめられた事です。

昨日までリーダーだった人が次の日にはいじめられる側になったりと、半分は遊び感覚だったのかもしれませんが、どちらにせよ気持ちが悪い事で、小学生低学年の頃から人と違う人生を歩みたいと思っていた自分が大変くだらない価値観で行動してしまったことが、今でも非常に残念でなりません。

この経験から、人には常にフェアに接する事を心掛けるようになりました。

高校生時代 高校3年間はほぼ下位の成績

サッカー
サッカーへの情熱は今も失っていません

進学校と呼ばれる高校に入りました。3年間にわたり400番中400番といった成績を取り続けました。受験の頃には先生から「お前は共通一次試験を受けるな」とも言われました。

勉強については受け身で授業中はほぼ寝ていました。特に悪気はなく、ただ人の話を聞いているとすぐに眠くなり、十分に睡眠を取ってもなぜか授業では寝てしまいました。

部活は小学生から続けていたサッカー部に入部。器用なタイプではありましたが、選手としては普通だったと思います。そして、サッカーに関しては誰よりも愚直にハードトレーニングに取り組みました。とはいえ、チームの勝ち負けに興味は無く、いかにエクセレントなプレーを出来るかに集中してしまう傾向があり、3年生の最後の試合では試合が終わった後も、一人だけ口笛を吹いていて怒られました。

学校へは部活だけのために通っているようなもので追試ばかりでした。確か偏差値がワーストで35ぐらいだった気がします。模試では、ある大学の志望者中のなかで最下位にもなりました。

1日20時間を勉強に費やす浪人時代

当然のごとく、大学受験は失敗し浪人生活を送る事になりました。

予備校にも通ってみましたが、授業となると眠くなってしまうので独学することにしました。
ただ、集中力と体力に関しては自信がありましたので、20時間勉強し10時間寝る、その後まる2日間勉強して1日寝るという様な生活を夏休みの時期から行い、なんとか早稲田大学の試験に合格する事ができました。なぜ私が約半年の勉強で難関の早稲田大学に合格できたかというと、プレッシャーや危機感を感じず、落ちてもともとという考えなので、ストレートに実力を発揮できたからだと思います。

麻雀と合コンに明け暮れた大学生活

麻雀
社会人になっても麻雀は良く打ちました

大学入学と共に群馬から東京に出てきました。高校時代に男子校だった影響もあり、少しでも女の子にモテたいという気持ちと、早く母親の食事から開放されたいと思っていましたので、一人暮らしに憧れていました。母の食事は不味いというわけではないのですが、あまりにも健康的な食事だったので、少しジャンクな食事をしたかったのかもしれません。おかげさまで体は丈夫になったので母には本当に感謝しています。

大学生活では勉強をおろそかにしアルバイトとサークル活動に励んでいました。サークルはサッカーサークルを選びました。メンバーとは大変に仲も良く誰かが授業の終わるのを部室で待機し、4人そろったら麻雀という流れは非常に多かったです。そして、夜にはアルバイトに精を出す。当然成績は悪く、就職活動では優の数で最低でも10は欲しいといわれているところを、自分は2つしかなく、その2つもお情けでもらったようなものでした。

しかし、後に役立つ経験も出来ました。年60回行なった合コンや、サークルへの勧誘では会話力といった営業スキルや人を繋ぎとめるためのノウハウなどを身に付けることが出来ました。これらは就職してから大変役立ちました。

そして、就職活動が始まりましたが、これが上手くいきません。いいところまでは行くのですが、20~30社は落ちました。ようやく旅行会社に内定をもらいましたが、簡単な科目を落としてしまい留年が決定。ただ、この留年はある程度計画的で、もう一年楽しい学校生活を送りたかったのが本音です。とはいえ2回目の就職活動はいやがおうでも訪れます。この時の活動方法は個性を前面に出して“俺はやばい奴だぞ”という売り込み方をしました。

地方銀行を受けた際には、20分ぐらい遅刻して行きました。しかも正面玄関にバイクで乗り付けました。服装もジーパンとオレンジのスイングトップから現地でスーツに着替えさせてもらい面接に挑みました。自己紹介を始めると面接官から「宮沢くん面接日は2日前ですよ」と言われました。世間を舐めていたというか、自分の本質を見て欲しいという思いと、アナタ達では見抜けないだろうといった、少し諦めも加わった気持ちがこの様な行動をとらせました。特に根拠のない自信はあったのですが、自分の優秀さの表現方法が分からなかったんです。

そして最後の最後で受かりましたのが、当時は中堅だったユニバーサル証券(現三菱UFJモルガン・スタンレー証券株式会社)でした。当時の証券会社は大量採用しており同期は約200名。大多数の社員は営業に配属されますが、いわゆる上位校出身者の約20名は調査部やアナリストなどのいわゆる内勤に配属されます。てっきり自分も内勤になると思っていたところ営業に配属。決まった直後はぼやいていましたが、望まない環境でも否定的に捉えず、やってみてから考えるのもありかもしれないと覚悟を決めました。ここから社会人としての一歩が始まりました。

社会人時代 不動産業界への転職

証券会社
証券会社時代の経験は貴重な財産です

証券会社で働く一方、不動産業界にも興味を持ち始め、不動産業界に転職。当初は楽勝だと思っていましたが、10~15人ぐらいいた中途の社員の中で自分だけがまったく売れない状況が3ヶ月続きあっけなくクビを言い渡されました。

ちょうど阪神淡路大震災の時で、祐天寺の家賃4万9,000円のアパートを見つけて住んでいましたが、クビになった後は部屋に引きこもりゲームばかりをプレイしていました。1ヶ月近くそんな生活を続けていくと当然ながら蓄えも少なくなり1日100円で過ごす生活へ。当時、真剣に付き合っていた彼女ともお金が原因で別れまして、この時になって色々と真剣に考えました。もう自分には不動産業しかないと腹をくくり、不動産投資の会社、レーサム・リサーチ(現、レーサム)へ転職。入社して約4ヶ月で係長に昇格しました。しかし、1週間後に営業本部長を筆頭に7名の上司が退職。辞める上司達に「一緒に辞めないか」と誘われましたが、自分は社長に賭けました。社長は感受性の強い人で、ショックのあまり会社をたたむと言ってましたが「自分に任せて下さい。社長と自分の2人がいれば大丈夫です」と、なんの根拠もありませんでしたが、社長を引き止めて、自分は営業部長として再出発しました。4年あまりお世話になりましたが、売上に関しては横ばいといったところでした。

この会社を辞めてボルテックスを立ち上げるのですが、その要因となったのが不良債権処理の業務になります。不動産の担保いわゆる債権をバルクセールという形で買ってきます。その中で会社は不動産としての商品となるものしか扱いませんでした。不動産業界の中で好まれて、なおかつ融資(ローン)がつくというこの二つの条件が必須になります。逆に投資価値が無いと判断されたものは完全に無視されていました。不動産業界に好まれるローンで買える商品は、あたりまえですが割高になります。簡単にいえば新築マンションといったところ。逆に好まれないのは事業系オフィスビルといった物件であり、これらは空室率も高くローンも組めません。 それらは非常に割安でしたので、これを商品にすべきだろうと会社に掛け合いました。ところが会社は「それを誰に売るのだ。ローンも付かないものが売れるか」と。そして、「そんなにやりたいのなら部署を作るから自分でやってみろ」となり、新規部署を立ち上げました。給料で受け取るはずの歩合を新規部署に回し、会社からあてがわれた人材も既存の社員ではなく、一度会社が採用で落とした人たちでした。一次面接で落ちた中から2人を自分がチョイスしてのスタートになりました。

そして、3,4ヶ月たった頃、当然ながら収益もほぼ無い状態。これにシビレを切らせた社長と言い合いになってしまいました。売り言葉に買い言葉ではないのですが、独立する事に。正直にいうとその時は独立したくなかったんです。自分に自信が無く資金もありませんでしたから。本音は企業にぶら下がりつつ、この事業の実験がしたかったのです。とはいえ腹をくくり、嫁さんの親戚などから借金し1,000万円の資金を用意し独立しました。これが今のボルテックスの始まりです。

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ビジネスポリシー

ビジネスポリシー

全てに対しフェアであること

ビジネスポリシー
全ての事に対しフェアで

お客様や社員からマーケットといった全てに対してフェアであることです。証券会社時代には様々なお客様の相手をしてきました。当然ゴネるお客様の対応もしました。そこは大口客だろうが、小口客であっても公平であるべきで、商売とか経済合理性で許容してしまうのが嫌いでした。また、コネクションや人脈に対して否定的な考えをもっており、コネクションを武器にして物事を有利にすることや、のし上がることを良しと感じません。そのような考えから全てに対してフェアでいることが私のポリシーになります。これは先ほどお話しした、中学生時代のいじめ、いじめられた経験に基づいており、社会人になってからは企業の偽善性といった、汚い部分も見えてきたこともあり、ますますフェアな商売がしたいという思いは強くなっていきました。

証券時代の最初の配属先は秋葉原支店で、ここは新規開拓がベースの新店でした。なにしろ当時は下落相場で、損をしたお客様が怒鳴り込んでくることもありました。怖いし殴られるんじゃないかと思いつつ、正面から向き合いキッチリと戦略を説明することで、お客様は納得し、なおかつ買い増しして帰ってくれました。この体験が営業スキルのベースになりました。

お客様は謝罪が欲しいのではなく、今後の方針や戦略、計画を聞きたいのです。そのためには豊富な知識が必要になります。学ぶことが多い業界ですから必死になりました。そのかいもあり3年で、どの社員よりも証券に関する知識は豊富になり皆からは驚かれました。とにかく色々な人に聞くことに徹して、ある時は副社長にまで「この経緯をおしえて下さい」と電話で聞いていました。何せ自分で納得しないものは売れないじゃないですか。知識の裏打ちがあったうえでフェアに接すれば、人間は必ず心を開いてくれます。

将来の夢

自分の価値観に近い人を100人作りたい

将来の夢
日本の既成概念を中和させるには企業の成長が不可欠

色々な経営者が言っていますが、「利益や売上といった財を作るのは三流で、本当の一流(重要)は人を作る」ということ。これにはまったく同じ考えを持っています。そして、なるべくなら自分と同じ価値観を持つ人が、もう少し日本には増えてもいいのかなと考えています。自分に近い価値観を持つ人を100人作るのが今の夢になります。日本の常識や価値観に一石を投じたい、別視点から日本の既成概念を中和させることで、世の中のバランスが取れるのではないかと思っています。

そのためには会社の影響力を大きくする事が必要になります。世界で一番働きたい会社であり日本で一番信頼される会社を目指す事になります。そして、夢を実現するためには、どこよりも早く成長をなしとげ、素地の良い人材、場合によっては悪い人材も受け入れ、強烈な価値観と社会貢献を実現できる人間を多く作っていくことが、自分に課せられた永遠の課題です。

■取材チームからの一言

プロモーション代表 菅原と

取材では、とても書けないような事を面白おかしく話してくれた宮沢社長。プロレスが大好きで、特に体制にたて突く長州力が大好きということ。アンケートには集中法としてプロレスの曲を頭の中で流すとありますが、これは長州力の入場曲である「パワーホール」とのことでした。

宮沢社長の直筆サイン

日本人は従順であるが個性が無いと世界ではいわれています。これは良い面もありますが、事なかれ主義にもなってしまいます。この状態に一石を投じようとしている宮沢社長。人と違う意見を尊重しその考えを汲み取ってくれる社長と会社であるということが今回の取材で分かりました。

プロフィール詳細

プロフィール 生年月日 1965.2.24
出身地 群馬県前橋市
血液型 O型
生活リズム 平均起床時刻 AM6:00
平均就寝時刻 AM1:00
平均睡眠時間 5時間
平均出社時刻 AM7:30
平均退社時間 PM20:00
自己流 ゲン担ぎ 無し
集中法 プロレスの曲を頭の中でくり返す
リラックス法 一杯やる(お酒)
健康法 ジム等で体を動かす
休日の過ごし方 家族と過ごす
座右の銘 無し
好み 趣味 ゴルフ、サッカー、スノボ
好きなブランド HUGO BOSS
好きな食べ物 スイカ、とうもろこし
好きなお酒 ウイスキー
好きなエリア 新宿
好きな色
Voice 社員から一言 仕事以外では、よく笑う面白い方です

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