アルプス電気株式会社
専務取締役 管理本部長
米谷 信彦 氏
米谷 信彦(こめや のぶひこ)氏
1981年 3月 山口大学 経済学部 経営学科卒
1981年 4月 アルプス電気(株) 入社
2000年 3月 アルプス・U.K. 社長
2004年 6月 取締役 コンポーネント事業部副事業部長
2004年10月 取締役 コンポ-ネント事業部長
2006年 6月 取締役 通信デバイス事業部長 兼 コンポーネント事業部長
2007年 6月 取締役 車載電装事業部長
2009年 6月 常務取締役 MMP事業本部生産・資材担当
2011年 6月 常務取締役 管理本部長
2012年 6月 専務取締役 管理本部長(現職)
アルプス電気製品は私たちの身近なところで活躍しています。車やスマートフォン、家電製品などの”スイッチ・通信・センサ”の多くにアルプス電気の製品が使われていることはご存知でしょうか。
アルプス電気は、電子部品メーカーとして国内だけでなく海外からも高い評価を得ているグローバル部品メーカーです。独自技術で国内外で勝負し続ける姿勢は、まさに社員一人ひとりの「部品屋」のプライドから成り立つものではないでしょうか。
アルプス電気の人事トップのお立場である米谷専務に、グローバル部品メーカーとしての人財のあり方について語っていただきました。
ビジネスポリシー ~企業として大事にしていること
お客様の喜ぶ顔が見たい
当社の製品は部品ですので、そのままでは成り立ちません。どこかに組み込まれて初めて、人の役に立つものです。 したがって、当社の顧客満足度は、エンドユーザーの満足度では単純に測れないのです。
では、当社の直接のお客様はどこかといえば、セットメーカーや車メーカーということになります。取引先メーカーのお客様に喜んでもらうこと、お客様から依頼を受けたことが形になることが一番大事なのです。
メーカーであるお客様の満足に応えるためには、まず技術力ありきということになります。少し語弊があるかもしれませんが、儲かっているかいないかはその次だともいえるのです。話は変わりますが、高度経済成長期の70年代にはじまり、「ジャパン・アズ・ナンバーワン」といわれた80年代にかけては、部品メーカーである私たちは、完成品メーカーであるお客様についていけばよった時代だったといえます。
ところが、90年の後半から2000年に入ると、最強といわれていた日本企業が次々と海外企業に負けるようになりました。同時に、日本国内の市場もだんだんと縮小してきます。そこでこれからは、「海外のお客様にいかに喜んでもらうか」ということが重要になってきました。
また、もうひとつの変化は、「お客様の方から提案を求められるようになった」ということがあります。 お客様が日本企業であれ海外企業であれ、「お客様が喜んでくださること」「お客様の喜んでいる顔が見たい」というのは当社のポリシーであり、目標は一緒です。
むしろ海外のお客様の方がイエス・ノーがはっきりしているので、わかりやすいともいえます。また、部品メーカーを単なるサプライヤーとしてではなく、強力なビジネスパートナーとしての関係を求めてくるケースも多くあります。
ビジネスパートナーとしてお付き合いさせていただくためには、これも国内外のお客様に限らず、技術力と提案力で応えていく必要があると考えています。
当社は、もともとラジオやテレビ用の部品の生産からスタートし、技術を究め、高い性能と品質の部品で差別化してきました。ところが、昨今の民生品はコモディティ化が進み、技術にも標準化が求められるようになってきています。そのため、当社独自の技術や新しい提案が通用しなくなった時期には、苦しみました。
そこでこの10年は、比較的当社の独自技術が強みとなる車載市場の方へ、事業の軸をシフトしてきました。 お客様の産業構造や当社の製品構造の変化にどのように対応していくか、ここが一番の苦労のしどころでしたが、厳しい環境の中で当社が生き残っていくために試行錯誤を繰り返しながら、何とか乗り切ってきたといえます。
求める人財像
みずから楽しい・面白いと思える仕事をみつける
仕事は、仕事だと思ってやっていたら面白くありません。
物事は楽しくなければ、また面白くなければ長くは続かないのです。
仕事をしていれば当然、アイディアが行き詰ったり、辛いことも、苦境に立たされることもあるでしょう。こういうときに大事なのは、継続する力と困難な状況を打破できる力です。これは、みずからの仕事を楽しい・面白いと思うからこそ湧いてくる基盤となる力ではないでしょうか。
会社の力を使う
ですから、自分が何をやりたいかをはっきり主張してもらいたいと思います。
そして、自分のやりたいことと会社の方針が一致していることには、自分のために会社の力をどんどん使って欲しいと思います。
「会社に入ったから安心」ではなく、「会社に入って、さあ何をやろうか!」と考えてください。自分でやりたいことを、早く見つけてください。
技術系の人がどんどんやりたいことのできる会社、事務系の人がどんどん新しいビジネスモデルを作り出せる会社にしていきたいと思っています。
当社の創業者の考えに「企業は潰れても、個人が潰れるわけにはいかない」という言葉があります。会社は経営の巧拙によってすぐに潰れてしまう存在だけれど、個人が潰れてしまうわけにはいかない、ということです。
だから、逆に個人がやりたいことを追求することで、結果として会社に貢献できればよい、それによって企業が存続していければよいと考えています。
また、当社の採用に学歴はまったく関係ありません。昇進昇格の評価にも学歴は関係ありません。自分の好きなことにプライドを持ち、のめり込むことで会社に貢献できている人が評価されています。
「部品屋」のプライド
セットメーカーであれば、製品のデザインや機能でユーザーから評価を受け、注目を浴びるということもあるでしょう。
しかし、部品メーカーは先にも申し上げたように、何かに組み込まれて初めて役に立つものですから、表の舞台に立つということはありません。
その反面、ひとつひとつが異なる完成品とは違い、部品はすべての製品に使われるケースが多いのです。しかも目立たない。いわば「黒子」のような存在です。しかも、プロフェッショナルであれば、わかる人にはわかるという世界です。この楽しみや喜びが理解できる人は部品メーカーに向いていると思います。
ひとつの企業とがっちり組んでいくのもよいと思いますが、当社の製品はいろいろなところで使われていますので、より多くのお客様に喜んでいただけるというやりがいがあるのです。
人財開発方針
興味ある得意領域を伸ばす ~減点法からは新しいものは生まれない
当社は技術の会社といっても、結局は人間関係です。そこにはスペックに表せないものがたくさんあります。このスペックで表せないこと・スペックに表れないことも含めて面白いと思って仕事をしていかないと、本人も楽しくないし、お客様にも満足していただけないのです。 そういう目に見えない部分も楽しいと思っている人は、見た目でわかります。話をすれば、そういう気持ちや姿勢がこちらにも伝わってくるのです。
当社ではそういう人を伸ばしていきたいと考えています。
表現が難しいですが、「技術屋」にはいい意味でも悪い意味でもヘンクツが多い。そこに、そつのなさや完璧さ、ジェネラリストを求めてもうまくいきません。多少欠けている部分は大目に見ていくことが必要なのです。苦手なことは周囲がカバーして、本人の得意な領域を伸ばしていくことが重要だと考えています。
当社でも一時期、管理職による減点法のようなマネジメントをやった時代がありました。しかし、うまくいきませんでした。やはり、技術の開発や新しいものを生み出そうとするときに、減点法では芽が出てこないのです。得意なこと、興味のあることを伸ばすことに加点法で評価していくことが大事だということが改めてわかりました。
だから失敗を恐れる必要はありません。もちろん、甘い会社になってはいけませんので信賞必罰はありますが、「このドメインのこのマーケットの中で」という会社の方針の範囲なら、何をやってもいいよ、何でもいいから新しいものを出してくれと言っています。
当社は幸い、民生品から車載品まで製品も技術も幅広い企業なので、会社の中でも結構チャレンジできる範囲は広いし、いろいろなことができると思います。
グローバルでの経験が社員を鍛える
もともと意図していた人事ではありませんが、かつて技術者をアメリカとスウェーデンに送り込んでいたことがありました。
このメンバーが核となり、海外を巻き込んでどんどんグローバルビジネスを広げていってくれたのです。
そして帰国した彼らが日本でマネジャーになり、その下で育った社員にもグローバルの素地が備わるようになるという好循環が生まれました。
これは、現地のトップ(現地人によるマネジメント)の下で、日本人を使ってもらったために鍛えられた結果だと思います。やはり、海外での経験は鍛えられます。特に若い人には海外の経験は良い刺激になると思います。
当社の技術部長のほとんどは海外経験がありますよ。
また、できれば海外現地法人のトップは現地の人に任せたいと思っています。現在、当社の海外売上比率は70~80%の間です。ここまで大きくなってきたのは、実は、今の「3極」にいたる流れがあるのです。
今では電子部品事業売上比率の約半分になってきている車載製品ですが、最初のころは日本の車メーカーには相手にしてもらえませんでした。系列の部品メーカーによって、国内はがっちりと固められていたからです。
そのため、まずは海外、特にアメリカのビッグ3と呼ばれる車メーカーに注力しました。彼らにも系列メーカーが無いわけではありませんが、性能・品質重視でサプライヤー(部品メーカー)を選定・採用してくれました。
アメリカで実績をつけた後、ヨーロッパに進出しました。この頃になるとスイッチなどの単品から、エアコンパネルのようなモジュール製品も供給するようになり、ビジネスの規模も大きくなりました。
その後、アメリカやヨーロッパに来ていた日本のメーカーの方が「これってアルプス電気さんの製品だったの?」ということになり、「だったら日本でも使おうよ」ということになったのです。
そこで今のアメリカ・ヨーロッパ・日本/アジアという3極体制ができあがったのです。
当社のグローバル化は、まず本当に海外の市場ではじまり、それが日本に帰ってきたという形をとってきているのです。
ユニークな人財開発プログラム
IAP(International Associates Program) ~海外新既卒者採用
IAPとは、海外で新既卒者を採用し、2年間契約社員として日本のオフィスや工場で働いてもらうプログラムです。
海外新既卒者には日本で働きながら自分のキャリアについてじっくり考えてもらい、2年後にこのまま日本に残るか、それとも出身国に戻って現地のアルプス電気グループに勤めるか、はたまた、全く別の道を歩むか、進路を決定してもらいます。
当社の「内なる国際化」のために、1989年からスタートし20年以上継続してすすめているプログラムです。毎年5名前後、これまで累計で100名をこのプログラムによって採用しました。今では、勤続20年になった社員もいます。
もともとは、アイルランド政府が実施していた「新卒者海外派遣プログラム」に沿って、同国の新卒者を研修生として受け入れたのが、外国人社員採用の始まりです。現在では、採用地域をアイルランド以外へと拡大させ、チェコ・ドイツ・アメリカ・マレーシアなど、さまざまな国の出身者がいます。
会社としては苦しい時期もありましたが、この制度をやめずに続けてきたことで、社内に常に外国人がいるという環境が当たり前になっています。
このプログラムは、海外新既卒者本人のキャリア開発にとどまらず、日本人社員にとっても大きな刺激になり、当社のグローバル化を推進する上で大きな力になってきた制度であるといえます。
若いビジネスパーソンへのアドバイス
早く自分のやりたいことを見つけよう!
当社の人財観のところでもお話ししましたが、自分の好きなこと・楽しいと思えることを仕事にすることが大事です。
誤解を恐れずに言えば、今の会社に3年いてもやりたいことが見つからなかったら、辞めてしまってもいいと思います。なぜならば、それは会社(仕事)と本人(個人)との相性が合わないということだからです。相性の合わない会社でイヤイヤ仕事していても、モチベーションもパフォーマンスも上がりませんし、自分の成長にもつながりません。
別の言い方をすれば、自分をしっかりと持って、個人が会社に何を求めるのかをはっきりさせた方が働きやすいと思います。
企業で働くということは、会社のお金で自分のやりたいことができるということです。ですから、会社の方針と一致しているのであれば自分のやりたいことの実現のために、どんどん会社のお金を使えばいいのです。イヤイヤ仕事していると、逆に自分が会社に使われていることになってしまいます。 当社は、65年前に町工場としてスタートしました。当社の理想は「偉大なる町工場」です。
社員全員が自分の力とやりたいことにプライドを持って仕事に取り組んでいるのが町工場です。それはまさに「現場主義」です。現場主義ということは、泥臭いですし、決して格好のイイ会社ではありません。
日本のものづくりの技術の高さと誇りが今でも受け継がれている代表的な地域である、東京大田区に本社を置いているのも当社の「偉大なる町工場」精神の表れのひとつなのです。
■取材チームからの一言
仕事に対する動機には、報酬や名誉のような”達成”と、自分の興味やこだわりといった”思い入れ”の2種類があるそうです。
前者はどちらかといえば「他者からの評価」の結果ですが、後者はあくまでも「自分の内なる思い」が軸です。 米谷専務のお話によると、技術者、その中でも部品メーカーの技術者は、後者のタイプが向いているということなのだと思います。
そしてアルプス電気では、そういう技術者がのびのびと力を発揮できる風土と環境を整えています。
また、部品メーカーの技術者は、日本人の得意技と美徳の両方を備えた、まさに「古き良き日本人像」そのものだと感じました。
ものづくりは日本の強みの代名詞となっており、電子部品はその中でも最高レベルの精密さを求められます。これを支えるのは社員一人ひとりの技術力以外にありません。
そして、製品は多くの完成品の中に組み込まれ、その存在を主張することなく私たちの生活をしっかりと支えていてくれます。
アルプス電気のグローバル化の歴史をお聞きしても、ここ近年になって「これからは多様化の時代だ!」「海外販路拡大による生き残りだ!」などと大騒ぎするのではなく、30年以上も前から静かに、そして地道に継続して内側から進められてきました。これも日本人の勤勉さと慎ましやかさを象徴するものだと思います。
その結果として、アメリカからヨーロッパを経て日本へと逆流するような形で、今ではゆるぎないグローバル企業としての基盤を確立されています。
米谷専務が「当社は『偉大なる町工場』ですから」と謙遜と同時に誇らしさを持って口されるとき、日本人として一緒に誇らしく思える気持ちになりました。