ストーリーで学ぶ 営業の極意 1時間でわかる成功のポイント
株式会社ビー・アーキテクト エム・アイ・アソシエイツ株式会社
代表取締役 松丘 啓司 氏

株式会社ビー・アーキテクト エム・アイ・アソシエイツ株式会社代表取締役 松丘 啓司氏

株式会社ビー・アーキテクト
エム・アイ・アソシエイツ株式会社
代表取締役 松丘 啓司(まつおか けいじ)氏

株式会社ビー・アーキテクト エム・アイ・アソシエイツ株式会社代表取締役 松丘 啓司氏

著者プロフィール

株式会社ビー・アーキテクト代表取締役
エム・アイ・アソシエイツ株式会社代表取締役
1986年東京大学法学部を卒業後、アクセンチュアに入社し、50件以上の企業変革プロジェクトを遂行。
同社のヒューマンパフォーマンスサービスライン統括パートナーを経て独立。
2005年にエム・アイ・アソシエイツ株式会社を設立し、キャリア開発、マネジメント改革、営業力強化などをテーマとした企業研修とコンサルティングサービスに従事。
2013年に提案力の向上を支援する株式会社ビー・アーキテクトを設立。

執筆の動機

営業の極意=どうすれば「お客様の本当の課題」をつかめるかを知り、実践して欲しい

これまでにも、営業をテーマにした本は2冊出版しています。(『組織営業力』<2005年・ファーストプレス社>、『提案営業の進め方』<2007年・日本経済出版社>)
代表を務めるコンサルティング会社でも営業のコンサルティングや研修を行うなかで、実は営業として一番“肝心”なところが出来ていないのではと感じることが多々あります。

提案営業の進め方

営業で一番“肝心”なこととは、「お客様の課題を把握して、その解決策を提案」することです。このように言葉にしてしまえば「なんだ、そんなことか」あるいは「そんなことは分かっている」と思われるかもしれません。ところが、この最初の「お客様の課題の把握」が、表面的に終わってしまっていることが多いのです。例えば、「売上を上げる」や「コストを下げる」は、よく見かける課題です。しかし、売上アップやコストダウンは、どの会社にとっても同じ、普遍的な課題です。そのお客様にアプローチしている他社の営業にもすぐに思いつくことです。ということは、その提案内容では差別化できないということになります。お客様固有の課題として訴求できる提案でなければ、当然成約に至る確率は下がります。
なぜ、そのお客様は売上を上げたいと思っているのか?売上を上げることでどのような会社になりたいと考えているのか?が重要です。それをつかむために、経営者のこだわりや価値観、理念を理解しなければ、本当の課題を把握したとは言えないのです。
いったん、本質的な課題をつかんでしまえば、後はロジカルに解決策を展開していけば良いのです。それ自体は、あまり難しいことではありません。逆の言い方をすれば、最初の課題設定を誤ってしまうと、その後どんなに精緻なロジックで解決方法を提案しても、お客様からすれば、まったく検討違いな提案になってしまうということです。 ロジカルシンキングや提案書の書き方などについては、既に多くの書籍や研修コースが出ています。ところが、営業にとって一番“肝心”な「お客様の課題の把握」については、解説書のように理屈で説明しようとすると大変難しくなってしまいます。そこで、この本を手にとっていただいた方には、分かり易く、リアリティも感じながら理解してもらうために、ストーリー仕立てにするのが良いと考え、物語の形にしました。また、本質を汲み取っていただけるように、ストーリーも極力シンプルにしました。 お客様=「経営者の課題」と言っても、若い営業の方は、アプローチ先として経営者に会ったことがない、あるいは、そもそも経営者にアポイントメントが取れると思っていないかもしれません。また、経営者に会えたとしても、何を話して良いのか分からないと不安に感じる人もいるでしょう。
しかし、お客様の真の課題を理解するためには、先に述べた理由から経営者に会うことが大事なのです。そして、経営者に会えたら、とにかく相手の話を聞くことです。
営業では、往々にして、自社の商品やサービスを売るために一方的な説明になったり、自分にとって都合の良い情報だけを引き出したりしてしまうことがあります。また、「仮説を持て」と言われて、自分の仮説の正しさを検証するためだけの質問になってしまったりします。仮説を持つことは大事ですが、その正しさを裏付けることを目的にしてしまうと、思考にバイアスがかかったり、表層的な理解になってしまったりして、本質に迫れません。
この本が、お客様の本質的な課題=ありたい姿に向けた実現方法を提案することで、お客様に最大限の価値を提供したいと考える営業のみなさんのお役に立てれば、これほど嬉しいことはありません。

顧客視点に立つことを頭でわかっていても自分の基準だけで提案していませんか?自分の基準で顧客視点を決めることはできません。お客さまの基準を理解しなければ、顧客視点に立つことはできないのです。

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生い立ち

生い立ち

幼少期・小学校時代 
~いたずらと授業から学んだ他者への影響・他者からの反応

自然に囲まれた環境で育つ
自然に囲まれた環境で育つ

私は、和歌山県で生まれました。周囲は田んぼばかりの田舎です。
近所には農業を営む家が多かったのですが、私の両親はサラリーマンで共働きだったため、学校から帰ってきても川へ行って魚を採ったり、山へ行って虫を捕まえたり、子供の基地を作ったり、友だちと外で遊んでばかりいました。
田舎で自然が豊かだったため、季節に合わせて色々な遊びができる環境にありました。
友だちと一緒になって結構いたずらもしました。例えば、ニワトリを飼っている家に忍び込み、卵に小さな穴を開け中身をストローで全部吸ってから、開けた穴を下にしてそっと戻しておいたりと、知能犯的ないたずらが多かったと思います。自分の言動によって、相手がどのような影響を受け、どのような行動をとるのかに興味があったのだと思います。ある意味、コンサルタントの原点になったかもしれませんね。 両親から勉強しなさいと言われた記憶は、あまりありません。でも勉強は楽しく、学校の授業では先生の説明にリアクションをしたり、教室全体への問いかけに率先して答えを返したりと、とにかく良くしゃべる落着きのない、賑やかな子供だったと思います。

中学校時代 
~社会に対するその後のスタンスを変えた「出席簿でポカリ」事件

にぎやかな生徒から無口になったきっかけ
にぎやかな生徒から無口になったきっかけ

普通であれば、そのまま小学校と同じ学区の中学校に上がるところですが、親の期待もあって、国立和歌山大学の付属中学に進学しました。当時は入学試験はなく、抽選で新入生を決める牧歌的な時代でした。
それでも中学校は県庁所在地の中心部にあったため、自宅からはバス・電車を乗り継いで、片道1時間以上かけて通学することになりました。クラスメートも市内各所から集まってきていて、小学校のときからは環境も顔ぶれもガラッと変わりました。 授業では相変わらず、先生の問いかけに反応して、よくしゃべる生徒でした。
ところがある日突然、理科の先生から出席簿でポカリと叩かれてしまったのです。先生にしてみたら「いい加減、うるさいぞ!」ということだったのでしょう。
このとき初めて、子供心ながらに「世の中は危険だ・・・」ということを悟りました。「しゃべる前に、まず状況把握が重要だ!」ということを学習したのです。この後から、あまりしゃべらない生徒になってしまいました。今もどちらかと言えば口数は少なく、冷静で落ち着いている人物だと見られていますが、そのルーツはこの出席簿でポカリ事件だと思います。 中学でも成績は良いほうでした。中二の時の模擬試験で上位に入ったこともあって「あれ、勉強出来る方かも」と自覚し、将来の進路に強いこだわりがあった訳でもないので、流れで県内の進学校を受験することになりました。

高校時代 ~勉強漬けの毎日

高校の時は、とにかく良く勉強をしました。もちろん勉強ばかりしていた訳ではありませんが、進学校に入って競争環境に巻き込まれたというのが正直なところです。競争に巻き込まれた以上、乗り切らなければという思いがありました。
家でも夜遅くまで勉強するため、朝が起きられず、遅刻の常連だった野球部の奴と二人で、一限が終わるのを教室の外で待っているような毎日でした。
当然、受験は日本で一番難しい大学を受けることが目標となり、東京大学1校だけを受験し、無事合格しました。

大学時代 ~競争環境から解放されて、初めて自分の将来に悩む

幼いときから虫採りに行ったり、歴史が好きだったので、生物学や考古学、史学といった専門を選びたかったのですが、周囲の期待もあって文系最難関の法学部に進みました。 近くにジャズ喫茶があり、店のオープン時刻の午後2時になると、そこへ行ってジャズを聴きながら勉強していました。でも、実際はあまり勉強していなかったように思います。

将来について悩む
将来について悩む

競争に流されるままここまで来ましたが、卒業が近づいてくると、ようやく自分は何になりたいんだろうと考える日々が続きました。4年で卒業は出来たのですが、わざと1つ単位を落とし、あえて留年しました。いわゆる、モラトリアムですね。
就職でも、具体的にやりたいことや行きたい会社が決まっていた訳ではありません。
周囲の多くは、司法試験や国家公務員試験を受けていましたが、それも自分には違う感じがしていました。
私が卒業した1986年にはまだ、終身雇用の制度が色濃く残っていました。それでも、1つの会社に一生勤め続けることもイメージできませんでした。狭い社会に閉じ込められてしまう気がして嫌だったのです。
ですから、就職活動では一通りいろいろな業界を受けてみました。その中で、当時はあまり認知度の高くなかった外資系コンサルティング会社に興味を持ちました。
コンサルティング会社には、一生勤めるというイメージはありません。当時の入社試験も、今に比べると随分いい加減だったと思います。逆にその緩さにも惹かれました。
そして、中でも一番自由な社風に感じたアクセンチュア(当時、アーサー・アンダーセン)に入社を決めました。

就職・起業するまで 
~早い昇進から30代半ばで経営メンバーになって感じたこと

当時のアクセンチュアは、まだ社員200名程度、同期入社は30人くらいでした。
入社1年目のプロジェクトではプログラミングが中心で、2年目から戦略策定に関するプロジェクトにアサインされるようになりました。 入社試験こそいい加減でしたが、そこはコンサルティング会社、いったん入社してしまえば厳しい環境です。
アップorアウトのカルチャーは明確で、入社後2年目、3年目には同期内で昇進スピードに差が出てきます。
当時は、現在のようにデータベースが十分整備されていませんし、情報収集のためにグローバルのメンバーと簡単にコンタクトをとることも出来ません。ここでも競争に遅れまいと、毎日毎日勉強し、自分の頭で考え抜きながら必死で仕事をしていました。
入社して丸2年経ったところで、同期より早くスキップ昇進しました。それまでは仕事に取り組むことに精一杯でしたが、この時初めて「あれ、評価されているかもしれない」と感じました。
当時のアクセンチュアは、若くても出来る人間にはどんどん仕事を任せる方針でした。3年目には、クライアントの経営戦略に関する提言レポートの半分くらいは、私が書いていました。
金融機関向けのプロジェクトに関わることが多かったのですが、金融業界に関する国内の参考文献は少なく、海外の書籍や雑誌を取り寄せて、自分で一生懸命勉強しながらまとめていたことを思い出します。

新たなチャレンジへ
慣れ親しんだ環境から
新たなチャレンジへ

1991年にアクセンチュアで初めて戦略グループをつくることになり、そのスターティングメンバーとしてアサインされました。
その後、チェンジマネジメント(組織・人材変革)の立ち上げメンバーとして一時的に事業計画の立案に加わったところ、そのまま留まることになり、最終的には統括を任されました。一番規模が大きくなったときで140名くらいの組織になったと思います。 30代後半で会社の経営メンバーにもなり、ちょうどグローバルでの組織改編のタイミングの時期とも重なって、自分としては一区切りという意識がありました。
この頃になると、カルチャーも仕事のやり方も分かっている同じ会社のメンバーのマネジメントは楽ではあるけれど、結果も想像できてしまうところに物足りなさも感じていました。
そこで、この機に外に出て自分で起業し、いろいろなバックグラウンドを持つ人材を集めて仕事をしてみようと思ったのです。

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ビジネス美学

ビジネス美学

「本質的」なところで「ビジネス」を創る

もともと、ものごとの根本原理を追究することが好きで得意なため、“薄っぺらい”ことが嫌いです。
「本質的なところでビジネスをやる」と言うと、当たり前のように聞こえるかもしれません。実は、「本質」と「ビジネス」を両立させることは難しいのです。
「本質」にこだわり過ぎてしまうと、真理を追究するあまり自己満足になったり、ビジネスというよりも学術・学者になってしまいます。一方、「ビジネス」が先に来ると、まずは損得勘定、お金もうけが優先されてしまいます。
コンサルティング会社として仕事の内容は様々ですが、常にここに立ち返って取り組むことをビジネスのポリシーとしています。

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将来の夢

将来の夢

ずっと仕事は続けていく

趣味や旅行など、自分でやろうと思えばできることは、いつでも何でもできます。ですから、これは夢とは言いませんね。
相手がいないと出来ないこと、つまり仕事はずっと続けていきたいと考えています。本質を追究するためには、落ち着いて仕事をしたいと思います。独立した理由はそのためでもあるのですから。 今は、エム・アイ・アソシエイツという人材・組織開発を中心としたコンサルティング会社と、ビー・アーキテクトという提案営業力強化を支援する会社の2社の代表を務めています。
前者は人や組織をコンサルティングの対象としているため、心理学など人の内面的な要素が重要です。一方、後者はコンサルティング会社で鍛えられたメンバーが、どちらかと言えばロジカルに方法論を構築しています。
そういう意味では、2社はカルチャーも方法論も違います。ですから、一応、別々にマネジメントしています。でも私は、多様性のなかから予想できない結果が生まれたりすることも、緻密に論理を進めていってゆるぎない結論に至ることも、どちらも好きなのです。
本質に迫るプロセスはそれぞれですが、これからも「本質的なところでビジネスを創る」ことを信念に、仕事を続けていくことに変わりはありません。

■取材チームからの一言

東京大学法学部卒業で大手外資系コンサルティング会社の統括パートナーだった方といえば、キレモノそのもの、眼光鋭く、話は立て板に水、至る所に横文字を使い、クリアカットな論理も鋭く、相手を瞬時に論破するか納得させてしまう人をイメージしませんか。
これは、まさに松丘社長のいう“薄っぺらい”認識ですね。
実際の松丘社長は、柔和な眼差しに、言葉を選んで訥々とお話になる超然とした印象の方です。

学生時代から社会人になり、独立するまでのお話を聞いても、「何になりたいって将来を決めていた訳でもないしなあ」「うーん、競争社会に巻き込まれたって感じかなあ」という調子でしたが、地頭の良さにプラスご本人の努力からくる能力的な余裕を差し引いても、この虚心でしなやかなスタンスが、本質を見極める曇りのない目を持ち続けていらっしゃる理由ではないかと思います。 この本は、ストーリーも登場人物もあっけないほどシンプルですが、1章1章が連続ドラマのような仕立てになっているため、どんどん次の展開が気になって、サブタイトルどおり1時間もあれば一気に読み切れてしまいます。
しかし、交される会話の中から汲み取れる示唆や含意には、何度読み返しても奥深く、その都度気づきになるポイントがあります。難しいことを易しく表現する。本質的なことはシンプルに表現できる。読後は究極のコンサルティングを受けたような感覚になります。
営業だけでなく「ソリューションビジネス」に関わっているすべての人に読んでいただきたい本です。 松丘社長と弊社は、松丘社長がアクセンチュアに在籍していた頃からパートナーとして長くご一緒させていただいています。
人や組織は、どんな企業にとっても経営の基盤であり、本質です。それゆえ、人材・組織の活性化は、常にあらゆる経営者の課題でもあります。これからも、企業の組織・人材開発を支援するという同じ目的に向かって、カルチャー・方法論は違えど本質を追究していく良きパートナーでありたいと思います。

プロフィール詳細

プロフィール 生年月日 昭和38年1月18日
出身地 和歌山県和歌山市
血液型 O型
生活リズム 平均起床時刻 午前6時
平均就寝時刻 午後11時
平均睡眠時間 7時間
平均出社時刻 午前8時30分
平均退社時間 午後19時
自己流
ゲン担ぎ 特になし
集中法 将棋
リラックス法 睡眠
健康法 水泳
休日の過ごし方 DVD鑑賞
座右の銘 Where there is a will, there is a way.
好み 趣味 鮨を食べること
好きなブランド ゼニア
好きな食べ物
好きなお酒 何でも
好きなエリア 青山
好きな色 天然色
秘書(社員)から一言 口数少なく、常に冷静な印象の信頼できる方。テンション高い姿を拝見してみたいです。

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