CVCキャピタルパートナーズ
日本法人 最高顧問
藤森 義明 氏

CVCキャピタルパートナーズ日本法人最高顧問 藤森 義明氏

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日本法人 最高顧問
藤森 義明 氏

CVCキャピタルパートナーズ日本法人 最高顧問 藤森 義明氏
CVCキャピタルパートナーズ日本法人 最高顧問 藤森 義明氏

藤森 義明(ふじもり よしあき)氏

CVCキャピタルパートナーズ日本法人 最高顧問
1975年 日商岩井株式会社 (現 双日株式会社)入社
1986年 日本ゼネラル・エレクトリック(GE)株式会社入社
2001年 ゼネラル・エレクトリック・カンパニー(米GE)
     シニア・バイス・プレジデント(上席副社長)
2008年 日本ゼネラル・エレクトリック株式会社
     代表取締役会長 兼 社長 兼 チーフエグゼクティブオフィサー
2011年 株式会社LIXIL 代表取締役社長 兼 チーフエグゼクティブオフィサー
     株式会社LIXILグループ 取締役 代表執行役社長 兼 チーフエグゼクティブオフィサー
2012年 東京電力株式会社(現 東京電力ホールディングス株式会社) 社外取締役
2016年 株式会社LIXILグループ アドバイザー/相談役(現任)
     武田薬品工業株式会社 社外取締役(現任)
     ボストン・サイエンティフィック コーポレーション 社外取締役(現任)
2017年 CVCキャピタルパートナーズ 日本法人 最高顧問(現任)
2018年 日本オラクル株式会社 取締役 会長(現任)
2019年 東芝株式会社 社外取締役(現任)
※著書に『リーダーは前任者を否定せよ プロ経営者の仕事術』がある。

自分自身が変わるきっかけ ~異質なものの中に入ってみる~

幼少時代の藤森氏(右)1歳年下の弟さんとはまるで双子のよう
幼少時代の藤森氏(右)
1歳年下の弟さんとはまるで双子のよう

子供の頃、勉強しなくても成績優秀、毎日野球ばかりやっていました。けれども内気で、人に接するのが嫌いで、そういった性格だと自分では思っていました。今はみんなからアメリカ人だとか言われるし、みんなの前でも人に話しかけに行く、いわゆるアウトゴーイングに対して、子供の頃、学生の頃も基本的には極めて内向的でした。それが少しずつ変わり始めたのは、まずは、東大で野球部に入りそれを辞め、アメリカンフットボールを始めたこと。1年でも2年でも基本的には実力があればすぐにでも試合に出られる、いわゆる年功序列的なものから実力主義的なものという、現代の社会を反映したようなスポーツに触れたことです。野球からアメリカンフットボールという全く違ったスポーツに入り、まったく今までとは違ったものに触れた時、自分自身が異質なものの中に入っていった時に自分が変わることができる!自分自身がそれに対して心地よく思えてきたのです。

社会人になる時も、先輩に商社が面白いよと誘われ、また、どうせ入るのだったら出世しやすい方がいいんじゃないか、東大生が一番少ない日商岩井がいいんじゃないか、と思い入りました。東大生という環境の中から日商岩井と言う荒くれ者の中に入った時に、自分はそっちの方がわりと居心地が良いじゃないか、自分の今の常識みたいなものをどんどん自分で破っていくことによって、自分自身をもっと出せるところに入っていけるプロセスを感じました。

その後、アメリカに留学し、新しい見方を学び、そしてGEに入ることによってアメリカ社会に入っていくと、さらに自分が変わっていきました。自分が変わっていくプロセスというのはまさに今までの習慣から一歩はみ出し、自分のコンフォートゾーンから出ていって新しい自分を見つけていく、そこに入ることによって、今まで自分は内向的だと思っていたが、自分自身が楽しく感じると気づき、発見をしながらだんだん自分が変わっていく。自分の変化の歴史はそういうところにあるんじゃないかと思うんですよね。そういう意味で子供の頃の自分に対してまったく違った自分が出来上がったことは、ある意味非常に面白いんじゃないかと思います。

前任者を踏襲するトップは不要。変革を起こして、さらなる高みを目指せ。アジア人初の米GE本社役員となった「経営のプロ」が初めて語る、プロフェッショナル・マネジャーになるための仕事術。米企業では次々と新しいリーダーが生まれてくるのに、なぜ日本企業ではそうならないのか。

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ご両親の教育方針 ~正しい道って何なのかを教わる~

ご両親の教育方針 
~正しい道って何なのかを教わる~

両親は仲が良く布団屋で商売をやっていて、ものすごく真面目です。親の影響があり、社会に出たら真面目に生きる、正しいことをして生きるという、正しい道って何なのかを随分教わったと思います。基本それだけじゃないかなって。特に中学生になると、影響を受ける主体が変わっていきますよね。教育っていうのは親が言う、基本は正しいことをしなさいに対して、世の中にはもっとたくさんの要素があり、その要素をどんどん身に着けながら、自分自身を構成していくこと。たぶん中学生から高校生、大学生、社会人というプロセスを経ながら自分と関わる人で随分変わっていくんじゃないですかね。でも簡単にまとめて言えば、ちゃんと正しいことをして生きて行きなさい!今は僕も10代の子供がいるのですが、やっぱり親の影響を受けています。

アメリカのビジネス世界で常に言われる「do the right thing」、最終的には「正しいと思ったことを自信を持ってやる」それが重要になっていくんじゃないかと思いますね。
社会人になってくると、正しいことを自分に自信を持ってやりなさいという、その自信を持ってやるというのは経験の積み重ねで、自信を持つというこの一つの言葉を簡単に言えるだけの経験っていうのは相当長い間かけないと出てこないと思います。正しいことをやる!しかも自信を持ってやる!学生時代とか社会人とか、あるいはGEの時代っていうのはそういう自信を身につけるプロセスだったんじゃないかと思っています。

学生時代の面白いエピソード 
~夏の合宿で先輩ととんずらしたことで~

東大アメフト部時代に培った経験はビジネスに大きく影響
東大アメフト部時代に培った経験は
ビジネスに大きく影響

アメリカンフットボールは今までやったことがなく、体のぶつけ合いで素晴らしいスポーツだと思うんですが、一時期できなくなっちゃったんです。夏の合宿にみんなで電車で行く途中、とてつもなく嫌だっていう気持ちになって、ポンと先輩と二人で降りてとんずらしたんです。長野の中央本線で、ごとごと3時間くらい過ぎた場所で。泊まった民宿には女の子二人がいて、一緒に夜ご飯を食べ、先輩とやめてよかったですねーって(笑)人生楽しいっすよねーって。で、さあ寝ようかっていう話になり自分のパジャマを出そうとしたら、あれっ、これ僕のバックじゃない、先輩のバックだと気づき、しかも一番怖い4年生の先輩のバックを持って来ちゃったんです。一緒にいた先輩は2年生で僕は1年生。どうするかって、やっぱり持って行くしかないよね、と。次の日なんか女の子二人とどっか行こうなんて思っていたのに、また地獄に落とされちゃって。4年生の先輩からは、「やりたくないのならいいけれども、今帰っちゃうんじゃなくてずっと見とけって。」確かに見ることぐらいならいいなと思い、それから僕はずっと練習を見ていたんですね。すると、ここで負けていいのか、ここで自分自身をその楽な方向に行かせちゃっていいのかって、3ヶ月毎日練習には出てずっと練習を見ていて、毎日ものすごく考え、やっぱり俺はこの道から逃げていいのか、一旦やりかけたことから、ここで逃げたら将来またどっかで逃げるかもしれない。だから自分が本当に辞めるなら辞めるで、納得がいくまでずっと練習を見ていようと思って。みんなが練習をしているのを見ながら、3ヶ月か4か月か経った時にふと俺はやるんだと思ったんです。毎日毎日やらなくちゃいけない、けどやりたくない。逃げちゃいけないけど、絶対にやりたくない。その葛藤に対して、そこで、ふとした瞬間によしやろうって思ったんですね。次の日には防具を着て練習を始めていました。それから4年間続けたんです。

学生時代の「逃げちゃいけない、ここで逃げたら将来またどこかで同じように」という気持ちは社会人になってもあったと思います。

アメリカに留学したのですが、旅行も外人も大嫌いで、最終的に会社から行けよって言われて行ったのですが、みんなからしてみると、100人か200人に一人か二人しか行けないのに、お前それ光栄に思えよって言われつつ、自分自身は嫌で嫌でたまらなかった。ここでもやはり、逃げるっていうのは自分のコンフォートゾーンに入ってしまうんですよ。そこから出ようとするのは怖くてたまらないんです。だから日商岩井にいて毎日会社に来て、当時バブルの時代だから毎日銀座とか六本木とか楽しくてたまらない。東大に入ってエリート気分になっているのに今さらアメリカの大学ですかって。しかもアメリカ大嫌いだし。旅行も大嫌いだし絶対行きたくないって思ったんですが、ひとつひとつ自分のコンフォートゾーンを超えて行かなきゃいけない、ゾーンを出て行く時の葛藤って結構ものすごくたくさんあり、それはやっぱり社会人になってアメリカの大学に行ってこいってなった時もものすごい大きな葛藤でした。その時は難しい方を選ぶというか、人生の選択って、いろんなところにたくさんあるじゃないですか。野球部に行ってずっと続けるのも選択だし、アメリカンフットボールに行くのも選択だし、三菱商事に入るのも選択だし、日商岩井に入るのも選択だし、それから外国に行くか行かないかの選択もあるし、そのひとつひとつの選択の分岐点っていうのは結構自分のコンフォートゾーンの中に入ったところの選択をするのか、出ようとして選択をするのか。

私がいろいろなところでスピーチをするのは、自分自身を変えていかなくてはいけない、自分自身を変えていくためには、常に自分のコンフォートゾーンから出て、新しいことに挑戦することによって始めて新しい自分が見えていく。自分自身が成長していく。それが基本的に大きな柱になっています。

社会人になった時の入社動機 
~何でも飛び込め的な社風が良かった~

日商岩井時代 自分で門戸を開くことを学ぶ
日商岩井時代
自分で門戸を開くことを学ぶ

一つは、アメリカンフットボールの先輩から誘われたこと、もう一つは、もう亡くなられたのですが、藤井さんという体育会系の固まりみたいな人事部長がいらしたこと。他の会社の人事部長は全然面白くないんですよ、やっぱり東大だな、みたいな感じで。商社の中ではこの人事部長が一番面白いから入ろうって思いました。藤井さんというか、日商岩井の社風というか普通のエリート集団ではない、わりと体育会系に近い何でもやってみよう、何でも飛び込め的な社風が良かったんじゃないかな。その前に僕は、東大工学部だったので、何で商社に行く
のってみんなに言われたのですが、僕らの学部だとほとんど行く人はいない商社を選びました。大学を卒業した時に、自分は技術系じゃだめだなと思ったんですよ。技術系では絶対上手く大成しないだろうと。大学の授業で使う技術系のことほとんどわからないし、なんで工学部に入ったのかわからないですが、自分は技術系はダメだなと、ただ技術をベースにした商社っていうのは面白いな、技術のバックグラウンドを持ったビジネスマン、商社マンというのは面白いと思い、そこで選択し、
メーカーには入らず、商社の中でも日商岩井を選びました。

途中で辞めることになりますが、日商岩井魂っていうものが結構あり、将来の自分を作るには役に立ったと思います。
日商岩井で早くから辞めた人たちが「溜池会」って会を作ったんです。結構若い人から年配の人を含め上場会社の社長になった人たちの集まりで、若い人は活躍している人がたくさんいます。最初は、日商岩井をもっと良くするためにどうしたら良いか、辞めた人が日商岩井に対して何か言おうっていう会でした。今の溜池会の主旨というのは、それぞれの啓蒙ですよね。それぞれの人たちが刺激し合いながら、自分が成長していく場になっている。お互いに同じ巣から出てきた人達なので、信頼し合いお互いを尊敬して、その人たちが日商岩井に対して文句を言うのではなく、自分たち同士が学び合うすごく良い会だと思います。年に2回集まりゴルフをやったりもしています。

日商岩井では、英語の試験があり、AA~Fまでの結果の中、僕はFクラスでした。なんで試験に通ったのかよくわかりませんが、東大を受けた時の英語はほぼ満点近く、得意の東大の暗記に対して、話すとか聞くとかは別でFクラス。MBAもTOEICとTOEFLと両方あり点数を満たしてないわけなんですよ。TOP20とか30に入れない点数で全部落とされ、これはどうしようもないと、とにかくアメリカに行くしかないと、ミシガンのアナーバーに行きました。が、ほとんど英語の勉強をせず、さらにはフランス人の友達が出来ちゃって、なおさら英語はやらず。一番の目的であるTOEICに受からないと9月には帰らなくてはいけないので、6月7月8月でいろんな知り合いの弁護士とかを紹介してもらっては、俺はできるんだ!点数なんか気にしないでくれ!俺はきっと将来すごくなるんだ!だから俺に対する投資をしてくれと直談判。10個所くらい行ったんです。8月の後半ぐらいにもう帰るしかないなと思っていたころ、当時TOP5くらいに入っているカーネギーメロンという大学で二人の日本人の枠にひとり欠員ができ、なんとカーネギーメロンに入ったんですよ。本当に点数が低いなって言われたのですが、ここでもこれはたまたま調子が悪かった点数で、俺は本当は出来るんだ!と言って。そういう意味では粘るしかないなっていう、でもカーネギーメロンに入れることになったら、他の大学からも最後の最後で3個ぐらいOKがきて、その中でもカーネギーメロンが一番優秀だったので、これにこしたことはないと。入ってみたら英語は全然わからないし、難しくて毎日必死だったのですが。いやもうガッツで乗り切りました。

自分がそこでただ単に願書を出して待っているような状態ではなくて、やっぱり実際に飛び込んでいかなくてはいけない。飛び込んでいけばきっと何かが拓けるんじゃないかな。もともと僕はそういう性格ではまったくなかったんですけどね。真逆だったので。でもそういう風なことを教えてくれたのはこの荒くれの日商岩井だったんです。荒くれ集団の中で、自分で門戸を開くことを教えてくれたのは日商岩井じゃないかと思います。
日商岩井は面白いですよ。他の商社とは全然違います。5大商社対、他商社っていうくらいですから、それだけユニークな存在だったと思いますよ。全員がね。

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ビジネスポリシー

ビジネスポリシー

「ストレッチの法則」 ~ジャック・ウェルチのポリシーに影響を受ける~

「20世紀最高の経営者」と称される元GE最高経営責任者ジャック・ウエルチ氏
「20世紀最高の経営者」
と称される元GE最高経営責任者
ジャック・ウェルチ氏

社会人になり、日商岩井に行って、MBAに行って、また帰ってきて日商岩井に戻り、さらにGEに入りましたが、GEに入って2年目くらいでアメリカに移り、そこでアメリカのジャック・ウェルチのポリシーにものすごく影響を受けたんですね。私がGEに入ったのが35歳で、初めてウェルチと会ったのも35歳。その時に影響を受けたことが、今のビジネスポリシーあるいはリーダーシップ論とか経営論とかになります。自分の頭がいろんなことを吸収し、自分自身が構成されるのは、社会の中で30歳の前半から40歳の真ん中くらいまでにどういう環境でどういう人たちに巡り合うかで自分自身のポリシーが出来上がってくるんじゃないかと思います。

その中で一番影響を受けたのが、ジャック・ウェルチであり、彼が言っている言葉が基本的には私の座右の銘になっている。リーダーっていったいどういうことをしなくちゃいけないのか、リーダーの役割は変化を起こすこと、それから人を育てること。人を育てることがなぜ大事かと言うと、社会の環境ってものすごく大きく変わっていて特にこの第4次産業革命の世界って、あっという間に世界が変わっていく、そうやって変わっていく中で、外界の変化に対して自分の変化が遅れてしまうと、もう取り残されてしまう時代になってきている。だから外界の変化よりも早く自分を変えていかなくちゃいけない。外界の変化よりも早く自分の組織も変えていかなくてはいけない。だからその会社は変革していかなくてはいけない。自分も変わっていかなくてはいけない。いわゆる変革を常に起こしていくという、それがリーダーのやるべき姿なんじゃないかなと思います。

ウェルチって3年間で仕事を交代させるんですね。3年間でまったく違ったことをやらせる。
3年間で何をやらなきゃいけないかって言うと、大体、市場とか自分たちが持っている製品とかあるいは競合状態とか全部のお客様を把握するのに半年しかない。そこから3年後に自分たちがどういう風なところに行っていたいかっていうのを決める。そこが今から階段を上がっていけばできる3年間ではなくて、その3倍くらいのところに焦点を置いた自分たちを見据えましょうと。3年後の自分たちの姿を見据えた時に、今の普通の同じやり方で行っては絶対に到達しないので、今までとは違った何らかの方法を、あるいは自分たちのバリアを破った新しい方法を見つけることによって、3倍のところにジャンプしていく。
そのジャンプをするためには一体どうしたらいいのか、そのためには、組織を変え人を変え、この3年間で到達する戦略を立てチームを作る。それができるかできないかでもう1回チャンスがあるかないかが決まる。できなかったら、はい、さよなら。それから次の3年間が
あって、まったく同じプロセスをやり、学び、そしてものすごいストレッチな将来を描きそれに対して戦略を立て、チームを作る。それができると、また次のステップ。そういうのを4・5回繰り返して、初めてGEの上の方に行けるというプロセスなんです。その中であるのは何かと言うと、やっぱり変革のプロセスなんですね。何かと言うと、現状から自分が行けるところ、思っているところの3倍のところに焦点を当てて、そしてそこにどうやって行けるかという戦略を立て、そしてチームを作って実行していくという。こういうプロセスの連続なのです。

これは日本の社会とか米国の社会とかという違いよりも、個人個人が何を目指しているかっていう違いだと思います。ストレッチの感覚は何かって言うと、みんな自分の中で限界を作ってしまう。例えば、普通はここまでだよねって思った瞬間にここまでしか行けない。自分の持っている潜在能力のほんの一部さえ使えばそこに行ける。だから3倍くらいのところに設定すると基本的には自分の持っている能力の全部を出し切らないと、という気持ちになる。そして、今まで自分が気づかなかった自分を見つけることが出来る。だから自分の限界っていうのは自分で作るというのはまさにその通りで、やっぱり無限の能力を持っているにもかかわらず、どこかで簡単なところに設定してしまうこのプロセスがいけないんじゃないかと思います。

彼のストレッチの法則と言うのは、自分を3倍のところに持っていくというストレッチを常にかけることによって、今までの自分から脱却していく。そのためには強いチームを作らなくてはいけないし、だから人が大事で、だから人を育てる。ウェルチは逆にそういうことをチャンスにして与えてくれるわけです。

例えば、ウェルチが私に最初にチャンスを与えてくれたのはアメリカに行った時で、GEに入って3年目、38歳とか39歳ですよね。それまで部下を一人も持ったことがない。GEのジャパンに入った時も部下は誰もいない。それがいきなりアメリカに来いって言われて、アメリカでチャンスを与えてあげるって言われて、与えられた仕事が、グローバルで技術から製造から営業から全部任されている医療器の一部門のジェネラルマネージャー。部下をまったくもったことがない人がいきなり500人くらいの部下ができ、しかも英語で技術とかセールスとか、お客様はみんなドクターですから。こんな仕事を何で僕に、と最初は思ったのですが、これがウェルチの人の育て方。要するに自分が思っているところの3倍の仕事を与えてくれる。チャレンジの機会を与えてくれる。普通の仕事を与えられたなら普通にやっていれば出来るが、本当に自分が考えてる3倍くらいの仕事を与えられると基本的にはそこまで追いつこうとする自分が出てきて、それこそ、英語の能力とかあるいは対人能力とか技術がわかる能力を、常識を超えたスピードで進んで行くわけですよ。アドレナリン500%くらいの感じでそこまでたどり着く。でも出来るんですよ。じゃあ次は何をやるのかなって思ったら、すごいストレッチのかかったジョブが入ってきて、これで出来なかったら終わりっちゅうことかと。でもやろうと思えば出来るんです。

そういうことでどんどん上がって行き、最終的にはGEでシニア・バイス・プレジデント、その上はチェアマンしかいなく、さすがにチェアマンになれなかったのは、このプロセスが若干35歳という年齢的なスピードでさすがに追いつかなかったことと、もうひとつはアメリカに行ってから身に着けた英語。自分がもう1回やり直すとすれば15歳くらいから英語を学びアメリカの社会に22歳から入って行く。そうしたら絶対TOPにはなれるんじゃないかな。

とにかく自分をストレッチする、そのために自分を変えていかなくちゃいけない。組織を変革していかなくちゃいけない。チームを作ってチームを育てていかなくてはいけない。人を育てていかなくてはいけない。そういうことが僕自身のポリシーとしてずっとやってきたことです。

リーダーとして心がけてきたこと 
~ストレッチをする、常に学び努力する、変化を怖がらずにやっていく~

GE時代 ジャック・ウェルチ氏の後任であるジェフ・イメルト氏と
GE時代 ジャック・ウェルチ氏の後任である
ジェフ・イメルト氏と

GEは30万人いるわけですよ。その中で日本人である自分がなぜそのチャンスを与えられたかというと、僕がGEに入った時から、TOPはウェルチ。会う人ごとに「僕はアメリカの中でアメリカ人と戦ってそこで絶対勝っていきたいんだ。だから僕にチャンスをくれ。チャンスをくれれば絶対に勝てるから」って誰にでも言ったんです。自分がそう言っていると、誰かにチャンスを与えてあげようと思った時、みんな優秀な中で誰が頭に浮かぶか?と言ったらそういう風に毎日言ってる人。ひょっとしたら出来るかもしれないですから。

そういうことが出来る人っていうのはまず第一に実力があるという前提があるわけです。
誰を選ぶかって言ったら、そういう自分を出している人。自分を出せるっていうことは、チームに対しても自分を出せる。人を率いるってことは自分がこう考えているからここに行きたい、っていうのを伝えられる力はやっぱり自分を出せる力なので。自分を表現できる、エレベータースピーチや3分間スピーチで自分を出せる人です。

基本的な価値観を持っていることが前提で、ウェルチが我々に要求した価値観というのは、
・常に自分をストレッチしている人
・仕事の中以外の自分を成長させようと、常に学び努力している人
・変化を怖がらずにやっていく人

この3つの要素がなければ絶対に抜きんでることはない。自分達がリーダーとして心がけることはこれらの価値観を大事に持っていなければいけないこと。僕自身、GEの中でアメリカ人と競争しながらも自分の価値観を上手く出していくには、この価値観が根本にありました

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将来の夢

将来の夢

一つは将来のリーダーを育てたい。僕みたいな経験をしてきた人は割と少ないので、語ることによって誰かが学び、将来すごいリーダーたちが出てくれば、それはすばらしいことだと思います。最終的には人を育てることで社会にお返しをする、僕はそれをやろうと思っています。

もう一つ、自分が今まで試さなかったことは何かと言うと、自分自身がアントレプレナーになること。きっと何歳でも、80歳でもなれるんじゃないかと思います。今まで会社人間でずっとTOPに立ってやってきたし、CEOと言われるタイトルが30代後半からずっとついているわけです。しかしながら自分はアントレプレナーではない。基本的に人間はどっちかしかないと思っている。社会の中で大きなお金と大きな人をマネージ出来るプロフェッショナルマネージャー、つまり会社人間なのか、自分をかけて自分自身で物を作っていかなくちゃいけないアントレプレナーなのか。アントレプレナーな自分を見つけていきたい。人に教えながらもなりたいと夢見ています。

京都でICCというのをやっているのですが、いわゆるベンチャーで1000人くらいが集まりみんなで勉強会みたいなものをやっています。自分はこの人達の一員になるんだと、自分もアントレプレナーになるんだと言い続けて。何歳でも出来るわけだから自分を賭けないといけない。自分を賭けたアントレプレナーがどんな事業かわからないけれど、今まで自分が出来なかったことに挑戦するのが今のやらなくちゃいけないことだと思っています。

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次世代リーダーへのメッセージ

次世代リーダーへのメッセージ

とてつもない大きな夢を持って欲しい

社会を背負うリーダーになるってことがどういうことかというと「大きな夢を持つこと」だと思います。それぞれのリーダーたちがものすごく大きな夢を持ち続けていれば必ず実現する。諦めた瞬間に夢は実現しない。絶対あきらめないで大きな夢を持ち続けてそれに毎日邁進すること、自分自身の力をつけ、毎日努力し夢に向かっていけば必ず大きなことは出来るだろうと。だから大きな夢を持って、大きな夢を実現するための自分の実力をつけていって欲しい。そして絶対に自分の限界を自分の頭の中で作らないで欲しい。自分の将来を自分でコントロールして欲しい。ということを肝に銘じながら大きな夢に向かって行って欲しいですね。

日本はみんな小さな夢しか持っていないと感じています。社会を変革するにはとてつもない大きな夢を持たないとできない。それがあまりにもごく数人の人しか持っていないっていうのが今のこの社会じゃないかなと思います。アメリカの社会っていうのはみんな大きな夢を持って、彼らは絶対にあきらめない。そういう人たちの固まりがたくさん増えていったらいいなと思います。

■取材チームからの一言

ダンディなお声にハリウッドスターのような凛としたお姿、ブルーのYシャツがとてもお似合いの藤森氏。インタビューでお話しいただいたとおり、何事も自分で道を切り拓いていく強い信念が、ひとつひとつの言葉から感じられました。人生さまざまな選択の積み重ねの中、異質なもの、難しい方を選択し、結果ご自身が心地良さを感じられることは、ご自身から湧き出てくるものに正直に、そして、藤森氏のビジネスポリシーそのままに実践されているからだと思います。
藤森氏のお話しを伺っていると、どんな方と出会うか、どんなチャンスを与えらるれか、どんな結果を出すか、すべてご自身の決断と行動の賜物であることがわかります。

学生時代のエピソードのお話しでは、私たちを笑わせてくださって、場の雰囲気もあたたかく、とてもお優しいお人柄です。チャーミングな一面も見せていただきました。

いくつになっても大きな夢を持つ、ご自身の夢に向かってこれからどんなことに挑戦されるのか、私たちも楽しみでなりません。

素敵なご縁をいただき感謝を申し上げます。ありがとうございました。

プロフィール詳細

プロフィール 生年月日 1951.7.3
出身地 東京都新宿区
血液型 A型
生活リズム 平均起床時刻 8:00
平均就寝時刻 1:00
平均睡眠時間 7時間
平均出社時刻 8:45
平均退社時刻 18:15
自己流 ゲン担ぎ なし
集中法 体を鍛える
健全な精神は健全な肉体に宿る
リラックス法 エクササイズ
健康法 エクササイズ
休日の過ごし方 エクササイズ
座右の銘 Control your own destiny, or someone else will.
You have an unlimited potential, the only limit is in your head.
好み 趣味 ゴルフ
好きなブランド Apple , Armani , Coca-Cola
好きな食べ物
好きなお酒 Whisky「MACALLAN」 Wines
好きなエリア Silicon Valley , 六本木
好きな色 Red
お薦め 愛読書 「The Winning」Jack Welch
ビジネスパーソンに薦めたい本 「リーダーは前任者を否定せよ」(笑)
良くいくお店 銀座 , 赤坂 , 六本木
ビジネスにお薦めの店 「六雁」
Voice 秘書(社員)から一言 いつもチャーミングでとっても優しいです!!

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